利用者:Tomos/GFDL改訂草案についてのコメント

前置き

GFDLの議論用の草稿を読んで見ました。

インターネットアクセスもないところで慌しくコメントだけを書き付けたので、著作権法やGFDLのversion 1.2についての記憶違いなどもあるかと思います。あらかじめお詫びします。

著作権法、英語、ライセンスと敷居の高い話題ですが、最近ではGFDLについて踏み込んだ議論をされる方が増えているので何かの足しになることもあるかと思います。

コメントの中にはウィキペディアにあまり関係のないものもありますが、ライセンス周りのトラブル防止・解決にとって重要そうなものもあります。重要そうなものについてはコメントとしてFree Software Foundationの方へ提出していきたいと思っています。

その際に、「ウィキペディア日本語版有志GFDL検討チーム」みたいな形で出せると、単に個人としてコメントするよりもあるいはとりあってもらいやすいのではないかということも考えました。個々の意見について、またそのようなアプローチについて多くの方の合意が得られれば、という条件つきですが。

改訂の概要

GFDLの主な変更点だと思ったのは以下の5点です。

  • タイトルページについての要求事項が大幅に緩和された
  • 上演をめぐる許諾が明記された(以前のバージョンには言及がなかった)
  • 画像や音声など非文書系の作品についてもライセンスの対象となることが想定され、それなりに配慮のある文面になった。
  • WikiLicenseへの移行が一定条件下で認められることになった
  • Excerptの利用という新しい利用の類型が導入され、これについては履歴保存など各種要求事項をURLの表示によって満たすことができるようになった

ただ、全体的な印象としては、十分練られていない部分が要所要所にあるような気がしました。

上演をめぐる許諾はどうも不明瞭な部分が残っていて、少なくとも僕にはこのライセンスがどの程度実用に耐えるものなのかはわかりませんでした。非文書系の作品についての対応も、ページ、表紙、タイトルページなど文書作品を前提としていたライセンスの枠組みを引きずっているために対応が不十分、あるいはどういう風に適用したらいいのかが不明瞭と思える箇所がありました。ウィキライセンスについては、そもそもライセンスの内容がどのようなものか全く説明されていないので、今のところ何とも言えません。また、Excerptの利用についても、アイディアと現に導入された仕組みはいいものの、まだ典型的な例を限定的に認めているだけで、柔軟な使い方ができにくいものだと思いました。

以下、逐条コメントです。

0条

第1、第2段落 

このライセンスの目的について、以前の版とは異なる説明があります。以前の版ではフリーなコンテンツを可能にすることと、著者や出版社の貢献の明記と2つを併記するスタイルだったように思いますが、今回は前者が一義的な目的であり、後者は二次的な目的だという説明になっています。

以前、Modehaさんが履歴を保存しなくてもコンテンツを自由にすることを優先してもいい、という見解をとられたことがあり、僕はコンテンツを自由にすることと帰属表示をはっきりさせることと両方がライセンスの目的になっているのでその見解は異論の余地があるという風に述べましたが、今回の改訂でよりModehaさんの考え方に近くなったように思います。

(と言って、Modehaさんが示唆されたように、コンテンツの自由の確保と著作者や出版社への帰属表示が対立するような場合には後者をあきらめてもライセンス違反にはならない、という風に解していいかというとやはりそうは断言できない感じがしますが。)

最終(第4)段落

ライセンスの対象として想定する作品の種類については、以前はソフトウェアマニュアルなどが中心でしたが、画像や音声も含め、また、芸術やフィクションも(中心的でないながらも)想定しているという風に記されました。ウィキペディアは芸術的というよりも資料的な作品ですので、ライセンスが想定する主な作品の種類の中に入ったことになると思います。

GFDLを使うのは、人間の鑑賞用の作品で、機械の作動用はGPLを、とどちらを目的にしているかによって判断するようにという考えのようですが、コンピューターゲームの類は、両方を兼ねているように思いました。GPLとGFDLと2つのライセンスで担当範囲を分けるという発想があてはめにくい部分は他にもありそうなので、デュアルライセンスを薦めればいいのではないかとも思いましたが、ちょっと瑣末過ぎるでしょうか。。。


1条

第1段落 Workの定義 

作品が複数巻に及ぶようなものであっても構わない旨が明記されました。これを、作品は著作権者によるライセンスノーティスをひとつ含んでいるという記述を考え合わせると、複数巻に及んでいて例えば最初の巻の冒頭だけにしかライセンスノーティスがないような形態で存在している作品であっても、その作品が丸ごとライセンスされていると考えていいということになります。

ウィキペディアにおける作品の単位は「記事」だということに日本語版ではなっていますが、ここで記事は単にメインのコンテンツにあたる本文だけではなくて、履歴のページなども含んでおり、履歴ページが複数ページに渡って存在していることもあるわけですが、そのような形で記事が存在していることがライセンスと齟齬をきたすとか、ライセンスの想定外の事態であるという風になる可能性が減ったように思います。

第2段落 "利用"についての用語の定義 PropagateとConveyという用語を導入しています。先行しているGPLの改訂も同様ですが、これまでアメリカの著作権法の用語法に暗に依存していたものを、より多くの国の著作権法に照らして有効な文面になるように、という配慮から著作権法上は用いられることのない用語が選ばれているようです。

ちなみにクリエイティブコモンズのGeneric版の改訂では同じ配慮からベルヌ条約の用語法が導入されており、目標はほぼ同じでありながらアプローチは対照的なものになっています。どちらが優れているかなどについて考察を加えられるだけの見識は持ち合わせていませんが。。。

ここでPropagateの定義から、他人と共有しない改変については、ライセンスの許諾範囲から外しています。ライセンスの許諾範囲から外しているということは、特に許諾を与えないし、禁止もしないということで、著作権法の規定に任せるということになるということだと理解しました。

(ウィキペディアのサイト上でのあれこれにはそれほど関係がありませんが、例えば私的複製・改変・上演(観客などがいない上演というのはちょっと変といえば変ですが)などは一括して無条件許諾を与えてもよさそうなものだとふと思いました。日本の場合には私的複製については著作権の制限事項があるので利用者はそれなりに自由がききますが、アメリカの著作権法はそうなっていなかったように思います。また、公表しないことを前提に他人の作品を改変することが日本の著作権法下で著作者人格権の侵害にならないか、というとちょっとよくわかりません。公表しなければ名誉声望を傷つけることはないわけですが、著作者の意に反した改変全般を禁止しているようなので公表の有無には関係ないのかも知れません。)

また、この段落の後半部分ではModified version (改変版)、work based on another work (別の作品にもとづく作品)などについての説明がされています。この部分は、ウィキペディアにも非常に関わりが深い4条(改変版の利用についての条件を述べている部分)に直結している部分でもありますが、どうも雑な印象を受けました。

まず、A "modified" work includes という文がありますが、これは同じ段落ですぐ後に出てくる modified version、4章に出てくるModified Versionという語と同じものを指していると思いますが用語法が統一されていません。(Modified Versionは6aにも登場します。) それだけでなく、7条では derivatives (派生作品の複数形)という形でアメリカの著作権法上の用語が用いられており、8条では"modification"という語が使われています。指しているのは同じものだと思うのですが。。。

加えて"modified" work が何を指すかについては、"includes"という形で何が含まれるかを説明しているに留まっているので、定義が与えられていないことになります。他にどういうものが含まれているのか、何が含まれないのか、などについてはわかりません。

更に、この文にはA, B, or C, or D とor が2度登場しますが、1度でいいような気がします。。

また、 ~ based on ~ という言葉は定義が与えられているのですが、せっかく定義されていながら、この概念はこの後出番がないようです。改変版の一種という位置づけなので、この定義にあてはまる改変版について、改変版一般と比べて制約事項や許諾内容などが違っているのではないか、と期待したのですが、何も説明が見つけられないのでわかりません。(見落としでしょうか。。。)

また、この定義で指しているのが、このライセンスがなかったと仮定したら著作権法下で許諾が必要になるような全ての改変作品のことなのか、それとも、このライセンスの許諾の範囲内にないために別途著作権者の許諾が必要になるような作品のことなのか、ということもよくわかりません。

第3段落 Secondary Sectionと呼ばれていたものがAncillary Sectionと名前を変えました。ウィキペディアにはあまり関係ないと思いますが。

第5段落 カバーテクストについて語数制限が導入され、非常に短いものしか使えないことが明らかになりました。ウィキペディアにはさしあたり関係ないと思います。

第6段落 Transparent とOpaqueの定義。変更があるのはわかりますが、ウィキペディアへの影響はなさそうだという以外はそれほどピンと来ません。

第8段落 タイトルページについて。タイトルページは作品の表題と本文の冒頭の間などのスペースというような指定が以前の版にはあったように思います。そうした指定は今回はなくなりました。ウィキペディアではタイトルページは履歴などを見ることのできるページですが、そのページと本文との位置関係やリンクの位置などを考えることが以前は重要でしたが、今回のライセンス改訂後はその点について悩む量は減りそうに思いました。

1条a

新しく設置された項です。特にこの項に限った問題ではないのですが、「Copyright」という語を使っています。広い意味での著作権は、著作者人格権や著作隣接権をも含むものだと思いますが、狭くは著作財産権のことを指していると思います。GFDLの文脈ではどうなるのかということが少し気になります。

例えばAさんが書いた文章をBさんが身振りと共に読み上げてそれをCさんが録音してレコードを製作するとなると、レコードについてAさんは著作権を、Bさん、Cさんはそれぞれ上演者・レコード製作者として著作隣接権を持っているということになると思います。

GFDLはこの内、狭義の著作権を扱うものなのでしょうか? それともそのようなレコードがあればAさんの権利だけでなくBさん、Cさんの権利の分も含めて許諾がおりているのでしょうか? 僕が素人だからかも知れませんが、わかりづらいように思いました。

また、次の第2条には上演を含めた利用についての規定がありますが、それを見るとそもそも上演者の権利が想定されておらず、上演というのは作品を変更なしに提供する行為の一種のように捉えられている節があります。もしそうだとすると、そもそも上演者が自分の上演を利用する権利についてGFDLで提供することができないといった可能性も考えられます。

第2条

タイトル Verbatimというのは一語一語忠実に、といった意味だと思うので、画像や動画や音楽については当てはめにくい概念のように思います。そこでセクションのタイトルを変えてはどうかと思いました。

第1段落 タイトルはこれまでのGFDLと同じですが、内容は少し拡張されています。文章だけでなく画像や音声なども意識したもので、また上演という形での利用も考慮しています。Propagate がここで用いられますが、作品を改変することなくPropagateする場合としており、上演も含めて考えているようです。

上演は、ほとんどの場合、原作品にはない次元を付け加えるものですから、Verbatim Copyingの一種ではなくて改変の一種として扱う方が理にかなっていると個人的には感じます。但し、第4条のModified Versionsの部分で扱おうとすると上演の性質上どうもうまく行かないように思うので、解決策としては新しい条項を設けることになってしまい、面倒ではあるかも知れません。

また、上演の録画物を利用するとなると、上演者は単に著作権上の権利だけではなくてパブリシティなどの権利についても絡んでくる場合があるのかも知れません、そういうところまで扱うのは面倒だから手をつけないことにしたのでしょうか?

第2段落 新しい条項です。Verbatim Copyingについての規定としては、ちょっと無理のあるというか、意味を成さない規定のように思います。You というのは許諾を受けた利用者なわけですが、その利用者が、Verbatim Copiesを作成・配布しようという際に、その作品を国の登録機関に登録し、GFDLの下にライセンスされていることがインターネット上でわかるようにするなら、ライセンスを作品内に同封しなくてもいい、というのがこの条項ですが、そもそもVerbatim Copiesを作成する一利用者はそのような機関に登録する資格を持たないことが多いのではないかと思います。登録する資格を持っているのは、許諾を与えた著作権者などではないかと思います。ですが、Verbatim Copyingに関する規定は、Modificationsの規定としても用いられますから、改変をした人が改変した作品を登録し、ライセンスを明らかにする、ということを指していると考えれば、意味のある規定のようにも思います。そこで、僕はこの項はVerbatim CopyingではなくてModified Versionsに収めておくのがいいのではないかと思いました。

第3段落 更なる利用を妨げることの禁止。以前は技術的手段だけでしたが、法的な権利についても同様の規定を導入しているようです。

一つ気になったので、他人が作品をコピーすることを阻止できないのは誰か、と考えてみたのですが、例えば本屋さんで、GFDLでライセンスされたある文書の印刷版を売りに出した場合、売りに出した著者は、本屋さんなり本屋を訪れたお客さんなりが印刷版をコピーしたり、そこに付属のCD-ROMをコピーしたりすることを阻むことはできないようです。では本屋さんがお客さんに対してコピーを阻むようなことをできるか、と考えてみると、本屋さんが自らコピーして作成してしまった場合には既にライセンスに同意してしまっているのでできないように思いますが、他の人がコピーしているものを売っているだけなら阻むことができるように思いました。 そして、このようなコピーの阻止は、印刷版などではできるもののオンラインショップでファイルのみを販売する場合にはできないように思います。オンラインショップでCD-ROMや印刷版を販売する場合には本屋と同じですが、支払いをした人にファイルを送付するようなビジネスだと、公衆送信可能化とか、複製とか、著作権法上の権利が絡む利用を売り手側もすることになるので、ライセンスに同意することになり、コピーを阻止することもできなくなります。コピーを阻止できないだけではなくて、支払いをしない人にはファイルへのアクセスを阻む、支払いをした人にだけダウンロードを認める、ということ自体がライセンス違反になりそうな気がしました。次の段落と第3条の内容に関わる話ですが、映画館で映画を上映する場合も、CD-ROMを提供するとか、映画をダウンロードできるURLを教えるといったことが必要になると思います。

最終(第4)段落 2条の最後の段落には上演についての許諾が述べられていますが、ここで交換条件として求められているのは透過的なコピーを提供することです。ということは上演者は上演者の持つ権利についてフリーライセンスによって一部許諾をする必要もないし、上演を録画・録音したければ上演者に許諾を得ることになるのかも知れません。

Verbatim Copyingは、一般に、複製をするだけですから、新しい著作権が発生することがなく(改変などとはその点が大きく違います)、原作品のライセンスをそのまま提供できれば、それで作品の自由が保てることになります。ですが、上演を同じ形で扱うということは、上演によって新たな著作権が発生することはないから、上演されている作品のライセンスさえ提供すればいい、という発想になっているようです。

これはひいては、上演(朗読であれ、ドラマなどの演技であれ、音楽などの歌唱・演奏であれ)をした者が、自分の上演を利用する権利についてGFDLのライセンスを使って許諾を与えることもできない、ということでもありそうです。でもそんなことではそもそもGFDLが音声ファイルなどをまともに扱えない(ライセンスがついていても依然として著作隣接権者の権利が絡んでいるために自由な利用ができる状態とは程遠い)ことにもなってしまいます。GFDLの改訂は音声や画像などの作品も扱えるようにという配慮の下に行われているはずなので、僕が正しく理解できていないことからくる誤解があるのかも知れません。

第3条

第1段落 カバーテクストについての規定。カバーテクストという概念を用いていること自体が、GFDLがまだ本・冊子形態の作品を念頭に置き過ぎている、というかそのような枠組みで作品を捉えることから抜け出せていないということの証左のような気がします。。(タイトルページ、セクション、などの考え方も同様ですが。)

ここではfront cover, back cover という2つの概念が登場し、それぞれFront-Cover TextsとBack-Cover Textsが表示されるべき場所とされていますが、そもそもフロントカバー、バックカバーについての定義や説明がありません。(第1条の定義の部分にも登場しない概念です。) 動画ファイルをDVDに焼いてケースに入れて配布する場合など、何を「フロントカバー」「バックカバー」お見做すのかは必ずしもわかりやすいものではないような気がするのですが、(動画のオープニングとエンディングと考えることもできそうですし、ケースの表面と裏面と考えることもできそうです。DVDを起動したときのメニューの最初の表示と終了時の最後の表示と考えることもできるかも知れません。)柔軟に考えてよいならそういう示唆があった方がいいのではないかなと思いました。作品を上演する場合にも同様の問題が生じると思います。

第4条

A、B、C  Aではカバーページが存在しない場合を想定していますがタイトルページが存在しているものと前提しています。B、Cではタイトルページが存在しない場合を想定しています。両者の間に矛盾がありそうに見えます。

C 作品全体の4分の1以上、とある部分、原作品の4分の1以上なのか、改変版の4分の1以上なのか、ちょっとよくわかりません。前者だと思ったのですが、第5条の第1段落の最後の文を参考に考えると、後者のような気もしました。もしも後者だとすると問題なのが、原作が音楽で、それに静止画数枚をいくつか加えたスライドショー形式の動画が改変版である場合など、改変がメディアミックスになっている場合です。この場合に、1/4を超えているかどうかというのは、判断が難しいように思います。前者の考え方(原作品の1/4以上利用したかどうか)でも、同様に、ある動画から音楽の半分だけをとってきて利用する場合には、それが原作品の1/4を超えるかどうか、と考えてみて特にどう判断していいかわかりません。文章なら簡単に量として測定できますが、図表が入っていたりするだけでも話がややこしくなりますし、マルチメディア作品を扱う際にはこのような条項は混乱の元のような気がしました。

L、M、N、O Invariant Sectionsについて述べているMや、セクションタイトルの変更について述べているOでは、何をInvariant Sections指定できるかについては特に制約がありません。(第1条に、Ancillary Sectionsでなければならないとあるだけ。)ですが、Endorsements、Acknowledgements、Dedicationsといったセクションについては、それがInvariantでないことを前提にして、どのような場合に保存すべきか、どのような場合に削除すべきか、または削除してもいいか、ということがL,Nで述べられています。この両者は矛盾することがありえますが、どちらが優先するのかなども不明です。

P 免責事項について述べた部分。これはたぶん特に変更がありませんが、L,M,N,Oなどを見ていると、免責事項についても除去が可能になっている方がいいのではないかと思いました。Warranty Disclaimersは追加はできるように思うのですが、誰かが品質保証をしたいと思っても取り除くことができません。つまり、作品に免責がずっとついてまわるということで、ちょっとおかしな気がします。AcknowledgementsやDedicationsは、改変を経てそのAcknowledgementsやDedicationが関わっていた作品の大半がなくなったら除去していいということになっています。Warranty Disclaimersもそのような扱いをしてもよさそうなものです。また、AさんがAさんの改変した作品につけた免責事項は、Aさんの責任を免除するだけで、それを更に改変するBさんは、同じ免責事項をBさん自身についても適用するかどうかを選べてもよさそうです。(Aさんに適用される免責がBさんには適用されない、というのは、Bさんが作品の品質を保証したい時に便利な手段だと思います。)

第2段落 これは従来からあった内容を、拡張して独立した段落にしたもののように思います。出版者や著者はこれまでも一定の要求事項について「この要求事項は守らなくていい」と許諾を与えることができるようになっていました。今回は、それをより一般化して、例えば履歴保存要求についても同じようなことができるようになります。今回の改訂では、前文に、著者や出版者の貢献を明記することはこのライセンスにとって二次的な目的だという風に位置づけられましたが、この第2段落の内容はそれを具体的にしたもの(ライセンスにとっては二次的な目的なので、著者や出版が要求をしないこともできるようにしたもの)だという気がします。

第5条

第1段落 第5条はウィキペディアにおけるページの統合などのように、2つ以上の作品からひとつの作品を作り出す場合を扱っています。最後の文の意味がよくわかりませんでした。統合の対象となる全作品の全主要著作者の中から5名以上の名前を、(1)その全作品の4分の1以上を利用する場合には一定の形で表示せよ ということなのか、(2)その全作品から利用する部分が改変版の4分の1以上を占める場合には一定の形で表示せよ ということなのか。。 

第2段落 Historyは統合せよとありますが、これは必ずしも必要ではないように思いました。ひとつの作品が複数巻に渡っている場合があると言うことは既に第1条で述べられているので、履歴ページも複数のページに渡っていたり、その結果、ウェブサイト上では複数のファイルに渡って存在していたりするわけです。それなら、 Historyを統合してもそれほど意味はないのでは、と思いました。

AcknowledgementsとDedicationsについては統合するようにという指示がありますが、2つ以上の作品の統合の際にはある作品のごく一部だけを利用することもあるので、必ずしも統合が適切ではないように思いました。第4条の方針と微妙に一貫性がとれていないような気がします。 

第6条

6条はGFDLでライセンスされた作品だけを集めてひとつの集合著作物にする場合で、7条はGFDL下にある作品とそれ以外の作品とを併せてひとつの集合著作物にする場合です。両者を比べた時に6条についてひとつ気になるのは、6条が扱っているような集合著作物のライセンスについての規定がないことです。Verbatim Copyingについて規定した第2条の第3段落には、作品をPropagateする際に利用を制限してはいけない、とあるのでそれがここにも適用されて、利用は制限されていないのだから特にそれ以上規定する必要がないのだろうと理解しました。

第6条a

新しく導入された「抜粋利用」とでも呼ぶべき利用法についての規定。いくつか例が挙がっていますが、例えば、20,000字以下の文章を作品から抜粋できます。抜粋の場合にはライセンス全文の同封や履歴保存などの代わりに、それらに言及しているURLを提供すればいいとされています。

これは他言語版からの翻訳や、他のページの文章の移動などに適用すればかなり使い出がある条項だと思いました。既に、日本語版では「リンク先のページの履歴ページなどはリンク元と同じ文書の一部である」というような解釈を導入してリンクを通じた他のページの履歴情報の参照に近いことをやっているわけですが、これがより「解釈」の少ない形で実行できるという可能性を感じます。

なお、ウィキペディアにとっては便利そうなこの条項ですが、前々からDebianで、GFDLで書かれたマニュアルをプログラム中で抜粋・表示させようとするとGFDLのライセンス全文も一緒に表示しなければならないなど明らかに実用的ではないといった点が指摘されていたので、この条項はそのような批判に応えるためのものかなと思いました。また、雑誌などにウィキペディアの記事を一部収録したい場合、これまでのライセンスでは履歴の保存やライセンス全文の収録など到底現実的とは言えない要求事項が多々あったわけですが、そのような問題にも対処することになると思いました。

各種のセクションを保存したり作成したりする代わりにURLでよい、とある部分はやや問題を感じます。ウィキペディアではURLではなく、2重角カッコで囲んだインターウィキリンクなりウィキリンクなりを使って他のページに言及しています。これは一般読者にとってはURLリンクと同じようにブラウザで表示されるわけですが、原作品はデータベースに収納されているようなウィキ用のタグなどがついたデータということになるので、URL自体は含まれていないわけです。これと同じく、htmlファイルなどがGFDL下にある文書の場合は、同じドメイン内で「抜粋」するのに履歴などに短縮形のアドレス(相対URLアドレス、と言うのがいいのでしょうか?)を使って言及している場合もあると思います。 URLだけでなくその機能的な代替アドレスでもいい、という風になっていたらウィキペディアにとっても、そのようなhtmlファイルの利用者にとっても便利なのではないかなと思いました。

Publicly accessible URLs とあるのは、第3条第3段落にある"anonymous gratis access"と比べると随分緩い規定です。ウィキペディアには関係なさそうですが、anonymous gratis access を要求してもよさそうな気がしました。

20,000字までという規定ですが、抜粋・改変しての利用の場合、改変後の作品全体が20,000字以内でなければならないなのか、それとも改変に用いられる原作品の分量が20,000字以内でなければならないなのか、ということがよくわかりませんでした。文面からは前者に見えるのですが、抜粋についての規定だということを考えると後者の方が自然のような気がします。前者の場合、例えば、GFDLでライセンスされる予定の本の中である比較的短い文章を抜粋利用することができない(著作権法上定められた適法な引用などの形であればできますが)というようなことにもなるので、後者のような感じもします。ですが、利用できる原作品の量ではなく利用する作品の総量を制限する前者のアイディアは、つまり小品をリリースする場合にはあれこれの要求事項を満たすのにURLで代用してよいということで、それはそれで合理性がありそうに思います。

前者(利用する作品の総量制限)である場合は、ウィキペディアの文脈で言えば、例えば、英語版から抜粋・改変(翻訳)した記事は、この6条aに従った利用にしたければ、20,000字を超えるような加筆があってはならないということになりそうです。

前者であるか後者であるかによって、例えば、Aさん、Bさん、Cさんが順に加筆編集したある文書を抜粋によって利用する場合の制約条件なども大きく変わってきます。ここで、Aさんの版から20,000字、Bさんの加筆分の中から20,000字、Cさんの加筆分の中から20,000字、というように併せて60,000字分を利用できるでしょうか? そうできる方がウィキペディアにとっては便利だろうと思います。

他にややこしいのは、Aさんの作品から20,000字、Bさんの映画から1分、と混ぜて新しいものを作る場合です。

抜粋利用は、文章の場合、マークアップ用の部分を除いてカウントした場合の20,000字だということですが、そうするとウィキペディアなどによくある表なども利用可能だということになりそうです。

電子テキスト、印刷、ビデオや音声のクリップ、について抜粋利用が認められていますが、例えば元の作品がパワーポイントのスライド資料だった場合、そこから電子テキストだけを抜粋して利用してもよいか、楽曲から歌詞を利用するのはどうか、というような疑問もあります。 スライド資料について言えば、ビデオのようなものだと考えて1分分を利用しようと思ったところ実はその1分が20,000字を超える場合には利用不可能でしょうか? 逆に、例えば映画のオープニングで物語の背景を説明する画面から20,000字分利用しようとしたところ、映画の時間にして1分以上の実行時間がかかる場合はどうでしょうか?

第7条

第1段落 6条はGFDLでライセンスされた作品だけを集めてひとつの集合著作物にする場合でしたが、7条はGFDL下にある作品とそれ以外の作品とを併せてひとつの集合著作物にする場合です。ここでは、そのような集合著作物が構成要素である個別作品の利用を制約していない場合にはAggregateと呼ばれるとしています。制約がかかっている場合には何と呼ぶのか、という点については何も記述がありませんが、そのような制約はそもそもVerbatim Copyingについての規定第2条の第3段落にある、利用者の権利を制限してはいけないという部分に反するので、ほぼ存在しえないのだろう、だから特に言及もないのだろうと理解しました。

第2段落 カバーテクストについての要求内容がどう適用されるかについて。ウィキペディアには関係ありませんが、ここでは集合著作物と、特定の個別作品の量的な比率が問題になっています。4条Cについて、1/4という量的な比較が難しいケースがマルチメディアを取り扱う場面ではいろいろ考えるということを書きましたが、それと同じことがこの部分についても言えます。

第8条

(特にコメントはありません。)

第8条a

SFDLへの移行を可能にするもの。SFDLは、前々からDebianがInvariant Sectionsに関連してGFDLはフリーなライセンスではないという判断を下していたと思うので、その批判に応えるべく導入された改訂ではないかと思います。

第8条b

これはウィキペディアをはじめとするウィキを念頭において導入された新しい条項だと思います。ただ、第8条b全体が括弧でくくられているので、暫定案程度の位置づけなのかも知れません。いずれにせよ移行先として指定されているウィキライセンスの内容がどのようなものであるかが明らかにされていないので、ウィキペディアにとっての利便性などは未知数です。

移行の条件として、2006年7月1日以前にウィキに投稿されたものだということですので、その問題もあります。例えば来年の5月にライセンスの改訂が終了し、ウィキペディア日本語版がGFDLv3に移行するのが6月だとすると、11ヶ月分ぐらいのコンテンツはウィキライセンスに移行できないことになるので。

また、移行元はGFDL v1.2 下でライセンスされていることという条件がついていることの意味を考えて、少し混乱しました。すぐに思いついた移行の手順というのは、、(1)GFDLv1.2にある作品のライセンスがまずはGFDL v3に切り替えられ、その上で(2)GFDL v3 8b(つまりこの条項)の規定によってウィキライセンスへの移行が可能になるという形なのですが、移行できるのはGFDL v3下にある作品ではなくてGFDL v1.2下にある作品だということなので、(1)の移行を果たした時点でウィキライセンスへの移行の道が閉ざされてしまいます。といって(1)の移行をしなければそもそもGFDL v3 8bにしかない移行はできないわけですから、移行しないわけにも行かないと思います。

ただ、よく考えてみるとGFDL v1.2 or any later version という形でライセンスされている作品は、そもそも v1.2でもv3 でも利用できる作品なわけですから、ライセンスを切り替えるというような作業もなく、v3 8bの条項に従った利用(ウィキライセンスへの移行)ができると考えてよさそうです。そして、GFDL v1.2 or any later version という形でライセンスされているのは、GFDL v1.2でライセンスされている、ということでもあると考えるべきなのかなと思います。若干不明瞭な部分がないわけではありませんが。。

第9条

終了条件については、GPLもほぼ同様の改訂がありました。これまではライセンスに反する利用を試みると自動的に終了されるという風になっていましたが、今回は自動終了はなくなりました。

最後のライセンス違反から60日以上が経過しても著作権者が連絡しない場合には終了せず、また、ライセンス違反から60日以内に著作権者が連絡した場合であっても、著作権者が終了決定しなければ終了しないようです。

違反者に対する通知の方法は特に指定がありませんが、ウィキペディアの場合にはメールなどで連絡ができない違反者もいるわけで、何を持って有効な通知とするのかが気にかかるところです。これはウィキペディアに限らずユーザーの投稿を受け付ける様々なサイトで起こりうることのように思いますし、それ以外の文脈でも起こりそうです。

通知をしたものの失敗してしまった場合はどうなのか、というとよくわかりません。メールを送ったところが違反者の使っているソフトにスパムとして処理されて相手に読まれることがなかったとか。

また、違反があったことを通知した後、著作権者は「いつでも」ライセンスを終了することができるようですが、この際にもう一度通知する必要があるという風になっていないのは何故なのか、理解に苦しみました。何らかの形で情報が届かなければ、違反者は自分への許諾が無効になったのか(ライセンスが終了されたのか)、それとも著作権者の判断により終了されることはなかったのか、知ることができません。それでは著作権者の意向が違反者のその後の行動に反映されにくくなってしまいます。

ウィキペディアで起きそうなライセンス違反の事例に即してもう少し考えてみたいところですが、これは長く、細かい話になるので後回しにします。

(4月1日追記)GPLの議論用草稿第3版が2007年3月28日に公表されました。上で書いた通り、GPLにもGFDLとほぼ同じ形でライセンスの終了についての変更案が導入されていたのですが、それが見直されました。

見直しの結果、ライセンス違反があっても、ライセンスが終了しない可能性が出てくることになりました。ライセンスが終了しないのは、その著作者への最初の違反であり、かつ、30日以内に違反が解消される場合のようです。

第10条

特にコメントはありません。


ウィキペディアにおける削除と第9条

60日ルールの影響

少々荒っぽい要約ですが、違反が解消されて60日を経過したら、ライセンス違反は問題でなくなる、というのが9条のポイントだと思います。60日以内に著作権者が見つければ、それを違反者に通知することができ、通知したら、あとはいつでもライセンスを終了できます。

ウィキペディア上で起こる違反は、削除しない限り継続するようなものかも知れません。例えば履歴保存の手続きを何もとらないいわゆる「コピペ移動」などは、GFDLの解釈の仕方によっては、このような違反に相当します。一度ライセンスに反する形でのコピペ移動があれば、放置しておいても違反が解消されたり消え去ったりすることはなく、誰かがそのページにアクセスするたびにページの複製が作成されて、アクセスした人へ送られますし、誰かが編集をすれば、履歴に不備のある文書が、不備の修正がされないままに改変されることになり、やはり違反が重なることになります。

(但し、初版でGFDL違反のコピペ移動があっても、次の版でそのコピペ元へリンクを張るなどの適当な措置がとられれば、GFDL違反は解消されると考えてもよいのではないか、という意見も出ています。このようにGFDLを解釈するなら、話は違ってきます。この解釈問題はGFDLv2でも残る可能性が十分あるものだと思います。6条aに基づく抜粋利用をした際にURLの記載漏れがある、後の版で追記して違反を解消できるか、というような形で。)

削除しない限り継続するような違反については、削除を実施して60日後には、著作権者は、その違反を根拠としたライセンスの終了ができなくなります。Aさんが書いた記事AAをBさんがBBにコピペ移動、というようなケースを考えてみると、BBが削除されて60日が経過すれば、AさんはBさんに対するライセンスを終了できなくなります。(仮に終了があれば、許諾がなくなるということですから、Bさんは記事AAをどのような形であれ編集できなくなってしまいます。)

また、GFDLの解釈により、違反があったものを後から修正できるのだということにすると、コピペ移動の場合でも、次の版に一定の情報を記載することなどにより初版の問題が解消されるかも知れません。これは違反が起きた事実を打ち消すものではなく、違反がその修正時点で解消されるものですから、解消された時点から60日以内に著作権者が違反があったことを知り、それを違反者に告知し、後に違反者に対して終了を決定すれば、やはり違反者はその記事を以後編集できないことになります。

コピペ移動の他に、他言語版からの翻訳文をGFDLに反する形で投稿するもの、2つ以上の記事をGFDLに反する形で統合するもの、なども思い浮かびます。(これらはいずれも、GFDLでライセンスされているコンテンツを、GFDLに反する形で利用するものです。GFDLでライセンスされているわけではないニュースサイトなどの文章を転載するただの著作権侵害と少し違っています。)いずれも同じだと思います。

違反者は、著作権者が終了を決定するまでは、ライセンスを得たままの状態に留まっているように思います。そこで、終了が決定されていない場合には通常通り記事を編集してよさそうです。

以上から、60日ルールがあることは、削除すべきページを削除しなくてもいい理由になることはどうやらなさそうだという感触を得ました。むしろ、ライセンスが終了したことに伴って違反を犯した特定の利用者が以後そのページを編集できるかどうかが変わってくるだけのことだということだと思いました。

理論上は、非常に多くの人が編集する必要があるページで違反があると、その違反者がそのページを以後編集できなくなることが、そもそもウィキペディアを利用することが難しくなってしまうことにつながる可能性も考えられます。具体例は思い当たりませんが。

また、他の利用者の会話ページで違反をしてしまい、終了を宣言されると、当分の間その利用者の会話ページに書き込みができない、といったちょっと困った事態も考えられます。長い議論の途中で違反してしまい、著作権者から終了を申し渡され、以後そのページでの議論に以後参加できなくなってしまう、ということも考えられます。これは考え方によってはウィキペディアへの参加に支障をきたすような可能性です。

通知の合理的な方法

今回のライセンスでは、違反者に通知をしなければ、そもそもライセンスを終了することができないということになっています。

通知があったかどうか、誰がどのページについての誰のライセンスを終了されたかを、他の人が確かめられるようになっていないと不便に感じることがあるかも知れません。

例えばAさんが突然、このページBBを今Bさんが編集したが、Bさんは以前AAで違反を起こして、AAについてのAの許諾が無効になっている。そのAAは一部BBに統合された経緯があるので、BさんはBBの編集についてもAから許諾を得ていない、再び違反が起きている、というような状況です。

このような主張があった場合に、これが本当かどうか、うそや誤認でないかどうかということを確認できないと、面倒かも知れません。

初回の違反についての新規定

2007年3月に出されたGPLの草稿第3版に導入された規定ですが、これがGFDLに導入される可能性が考えられると思ったので、そうするとどういう影響があるかを考えてみました。

ライセンス違反があっても、著作権者一人に対して一回だけは、ライセンス終了にならないで済む新しい可能性が出てきます。これは違反があったという通知を著作権者から受け取って30日以内に、その違反を修正すればライセンスが終了しないというもののようです。

ウィキペディア上ではそもそも著作権者からの通知がなくても削除を実施することでライセンス違反を修正・解消しているわけですが、この手の違反が「1回」にカウントされるのかどうかがまず不明瞭です。

また、著作権者一人につき一回まで違反があっても大目に見る、というこの方針は、その著作権者の作品を数多く利用している場合には、それらの利用のうちどれかひとつにでも違反が含まれればその1回にカウントされてしまうというもののようですので、ウィキペディアではあまり頼りにできないもののような気がしました。

また、ウィキペディアで言えば、A->B->C->D と編集を重ねて来た文書の、Dを外部サイトに転載してライセンスを何も守らなかった場合は、単に作品Dに対する違反だけではなくてAからDまでのすべての作品に対する違反になっていると考えることになると思います。ここで、AとCが同じ人によって編集されていれば、それで2つの作品への違反をしたことになりそうです。ここからも1回というのはあまり頼りにできないもののように感じました。

また、1つの作品に対して複数回の同じ違反をした場合はどうなるのか、ということも気になります。例えばライセンスの要求事項を誤解してある作品をメーリングリストに送ったところ、それが複数のアーカイブに貯蔵されることになり、結果としてひとつの送信行為によって複数回の複製行為が起こった、というようなことも考えられます。あるいはAという記事を別のウィキから持ち込んで、翻訳などの作業で3回変更して最新版にしたとしたら、それは3回分の利用です。その場合、最初の持ち込みの行為に違反があれば、その後の行為についても違反となってしまうのでしょうか? それとも持ち込みだけが問題なので持ち込みをした最初の1回だけが違反になるでしょうか? 

これは、そもそもGPLやGFDLでは、他人が提供した作品についてライセンス違反が含まれているのかどうかがわからないという点にもつながります。履歴がきちんとしていない作品Aを利用したところ、履歴には載っていない人が著作権者として名乗り出て、その作品Aは違反利用によるものなのであなたがいかにAの履歴をきちんと保存しても私に対する違反は解消されません、作品Aの原作品である作品aについていた履歴を参考にしてください、そこには私の名前も載っています、というようなことを言われたら、言われた人はその著作権者に対する違反の通知を受けたことになるのかどうか、というのは気になるところです。改変を受けながらネット上を流通する著作物はどこかに固定・記録されて長期的に存続するものばかりではありませんから、その著作権者の主張が本当かどうかを確かめられるとも限りません。主張を信じて修正を行ったところそれが嘘だったために逆に本当の著作権者に対するライセンス違反を犯してしまうことになる可能性も考えられます。また、作品Aに含まれている問題を知らないですでに複数回の利用を行っていた場合などは、一度の通知が来ればそれで「1回だけは大目に見る」という特典も消えてしまうことになるでしょうか。

それから、違反を修正するというのはどういう行為なのか、例えば違反がある状態で他人に譲渡した作品を回収するとか、公衆送信されて様々な人のコンピュータに保存されるに至ったものを削除するとか、他の人がさらに改変したり再配布したりするものについても修正版に取り替えてもらうことまでも含んで修正と言っているのかが気になりました。こういう解釈を採用すると実質的には無理を要求していることになるので、たぶん自分で将来譲渡したり公衆送信したりする分を修正すればいいということなのだろうと思います。それを明記してあるといいと思いました。

とりあえずの第一印象ですが、とりあえずそういうことを考えると、これがGFDLに導入されても実質的にはあまり役に立たないように思いました。