兼重元鎮

兼重 元鎮(かねしげ もとしげ)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。父は毛利豊元で、毛利元就の叔父にあたる。

 
兼重元鎮
時代戦国時代
生誕不詳
死没天文10年10月15日1541年11月2日
改名浄閑(法名)→笠間元鎮→兼重元鎮
別名通称:弥三郎、五郎兵衛尉
戒名浄閑
主君吉川興経毛利元就
氏族大江姓毛利氏庶流兼重家
父母父:毛利豊元 母:藤掛蔵人の娘
養父:笠間刑部少輔
兄弟毛利弘元兼重元鎮
吉川経世の娘
元宣、長久
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生涯

文明年間[1]毛利氏当主・毛利豊元の三男として、安芸国吉田庄兼重の地で誕生。母は因幡国の藤掛蔵人の娘で、妾腹であったことから、幼少時に大通院に預けられて出家浄閑と名乗ったが、成長した元鎮は出家を嫌って還俗し、吉川氏配下の国人である笠間刑部少輔の養子となって笠間五郎兵衛元鎮と名乗った。元就の代になると元鎮は吉田郡山に招かれ、故郷である安芸国吉田庄兼重の地を与えられたことから、兼重元鎮と名乗る。元就とは親しく、元就は常日頃から元鎮を呼び寄せては「兼重殿兼重殿」と呼んでいたという。

天文9年(1540年)、吉田郡山城の戦いにおいて深手を負い、翌天文10年(1541年)10月15日に死去した。跡を嫡男の元宣が継いだ。

脚注

参考文献

  • 萩藩閥閲録』巻52「兼重五郎兵衛」
  • 舘鼻誠「元就・隆元家臣団事典」(河合正治編『毛利元就のすべて(新装版)』新人物往来社、1996年
  • 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』(マツノ書店1999年復刻)