信(しん)は、一般的には真実で偽りのないこと[1]。信用。信仰。宗教・倫理の分野においてさまざまに用いられる。
儒教においては、五常(仁義礼智信)の一徳目であり、友情に厚く、人をあざむかないこと、誠実なことをいう[1]。孔子は「民、信なければ立たず」(人間は信がなければ生きていくことができない)と「信」の重要性を指摘している[2]。孟子は、人が守るべき「五倫」の道のなかに「朋友(ほうゆう)信あり」として「信」を守るべき徳のひとつとして掲げている。また、孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢代になって、五行説にもとづいて董仲舒により「信」の徳目が付け加えられ、合わせて「仁義礼智信」の「五常」と称された[3]。
仏教用語 信 | |
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パーリ語 | saddhā |
サンスクリット語 | śraddhā |
チベット語 | དད་པ (Wylie: dad pa THL: dat pa) |
ベンガル語 | শ্রাদ্ধের |
中国語 | 信(T&S) (拼音: xìn) |
日本語 | 信 (ローマ字: shin) |
朝鮮語 | 믿음 (RR: mid-eum) |
英語 | Faith |
クメール語 | សទ្ធា (satthea) |
シンハラ語 | ශ්රද්ධාව (shraddhawa) |
タイ語 | ศรัทธา |
ベトナム語 | đức tin |
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仏教においては、サンスクリット語のシュラッダーŚraddhā もしくプラサーダPrasada の訳語で、開祖仏陀(ゴータマ・シッダールタ)の教えを信ずることによって、心が清らかに澄みわたることをさしている[1]。
カーラーマ経において釈迦は、聖なる権威、伝統などであったり、または自分の師匠だからといった理由での盲目的な「信」に反対している[5]。そして何が諦(saccaṃ)であるかを自ら判断するための、10つの判断基準を述べている[5]。
Etha tumhe kālāmā mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garū'ti.
カーラーマたちよ、あなたがたは、風説(anussavena)によるなかれ。伝承(paramparāya)によるなかれ。伝聞(itikirāya)によるなかれ。聖典(piṭaka)記載によるなかれ。推論(takka)によるなかれ。公理(naya)によるなかれ。類比(ākāra)によるなかれ。見解(diṭṭhi)からの推論に対する受容によるなかれ。有能な外見(rūpatāya)によるなかれ。自分の師(garū'ti)である沙門という理由によるなかれ。
イスラム教では、コーランに記された「信ずべきもの」を指している。
の6か条がそれであり、これは「六信」と総称される。