佐竹雅昭

日本の空手家、格闘家 (1965-)

佐竹 雅昭(さたけ まさあき、1965年8月17日 - )は、日本空手家格闘家コメンテーター政治活動家大阪府吹田市出身[1]大阪府立北千里高等学校関西外国語大学卒業。

佐竹 雅昭
基本情報
本名佐竹 雅昭
通称世紀末覇王
掟破りの空手家
怪獣王子
流浪の空手家
階級ヘビー級
身長187cm
体重105kg
国籍日本の旗 日本
誕生日 (1965-08-17) 1965年8月17日(58歳)
出身地大阪府吹田市
スタイルフルコンタクト空手
キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数33
勝ち19
KO勝ち13
敗け9
引き分け5
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人物

佐竹自身が造った言葉「闘志天翔」(「運命とは、すでに決められたもの、それを自分の力で切り拓き、突き進み、変えていくことが人生」を意味する)を座右の銘とする。

大学卒業後、テレビ局の内定を蹴って正道会館の職員となり、その後プロに転向した。

K-1創設に携わり[1]、日本人エースとしてK-1の創成期を盛り上げた立役者である。空手、K-1の他PRIDEリングスに参戦する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組等でも活動。現役引退後は自身が生み出した武道である総合打撃道の道場「佐竹道場」を開いている。

来歴

ウルトラマンに憧れて格闘家を志し[1]、中学時代に大山倍達の著書に感銘を受け空手の道を志す。高校入学と同時に大阪天満にある正道会館総本部に入門し[1]、2年で黒帯を取得した。正道会館入門前に福島区にあった極真会館関西本部に入門していたが、「道場の空気が肌に合わない」という理由で1か月で退会している。

大学在学中に正道会館主催のオープントーナメント全日本空手道選手権大会無差別級に出場し、4回生時(1987年)に初優勝。(その後3連覇、通算4度の優勝)

1990年

6月30日全日本キックボクシングのリングで、ドン・中矢・ニールセンと対決。キック初挑戦ながら1R2分7秒、左ストレートでKO勝ちを収める。

1991年

6月4日フルコンタクト空手界初の流派対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」で"熊殺し"ウィリー・ウィリアムスと対戦。判定勝ち。
12月7日、リングスに参戦し、本格的にプロ格闘家として活動を始める。

1992年

1月12日、体重無差別グローブによる顔面パンチあり、肘打ちあり、掴みありの空手大会「第1回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」で優勝。
3月26日、格闘技オリンピックⅠWKA世界ヘビー級王者 モーリス・スミスと特別ミックスルールで対戦。キックルールではスミスに一方的に攻められるが判定決着無しのルールの為ドロー。
10月4日、格闘技オリンピックIII〜'92カラテワールドカップのスペシャルマッチでピーター・アーツとキックルールで対戦し引き分け。
10月29日、リングスMEGA-BATTLE TOURNAMENT '92に出場し、1回戦で長井満也にKO勝ちしたものの、練習中に右胸骨を骨折し、2回戦を欠場。
11月13日のリングス大会でリング上から挨拶を行った。これを最後にリングス参戦は終了。その後正道会館が立ち上げた格闘技イベントや「K-1」の旗揚げに関わり、中心選手として精力的に活動する。

1993年

1月31日、「第2回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」を制し二連覇。
4月30日、8選手による無差別級トーナメント「K-1 GRAND PRIX '93」に出場。1回戦でトド"ハリウッド"ヘイズにKOで勝利するも、準決勝でブランコ・シカティックに3RKO負け。
6月25日、ドン・中矢・ニールセンとUKF世界ヘビー級王座決定戦で再戦、1R2分30秒でTKO勝ちし、王座を獲得した。
9月4日、佐竹の持つUKF世界ヘビー級王座の防衛戦としてWKA世界スーパーヘビー級王者のスタン・ザ・マンと対戦し、3-0で判定勝利。
10月3日、カラテワールドカップ'93の決勝戦でアンデイ・フグと対戦し、試し割り判定で勝利。
12月19日、K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"で行われたKICK世界スーパーヘビー級&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦でジェフ・フォーランスを2R1分28秒TKO勝ちし、両王座獲得。

1994年

4月30日、K-1 GRAND PRIX '94に出場。1回戦でマイケル・トンプソンにTKO勝利、準決勝でブランコ・シカティックに判定勝利するも、決勝でピーター・アーツに判定で敗れ準優勝。

1995年

3月3日、K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦のGP1回戦で、UFCホイス・グレイシーに敗れはしたが、ホイスが棄権するほどにまで追い込んだことで注目を集めたキモと対戦。2R2分27秒、左ミドルキックでTKO勝ち。5月4日のGP準々決勝でジェロム・レ・バンナに3R2分32秒、KO負け。

1996年

10月18日、K-1 STAR WARS '96で1年半ぶりに復帰するも、アンディ・フグに0-3の判定負け。

1997年

7月20日、JAPAN GPに出場。決勝で鈴木政司に勝利し優勝。
11月9日、K-1 GRAND PRIX'97の決勝トーナメントに進んだが、準々決勝においてアンディ・フグに1R15秒、左ハイキックでKO負けした。

1998年

8月28日、JAPAN GPに出場。決勝で中迫剛に勝利し二連覇を果たした。
9月27日、K-1 GRAND PRIX'98のGP1回戦でグラウベ・フェイトーザに判定勝利するも、12月13日の準々決勝でピーター・アーツに1R2分40秒、左膝蹴りでTKO負け。

1999年

10月5日、 K-1 GRAND PRIX '99のGP1回戦で武蔵と対戦し、ダウンを奪うも0-3の判定負け。その直後リングサイドにいた石井和義館長と結果を巡って激しい口論を交わした。この敗戦を最後にK-1および正道会館から離脱。

2000年

1月30日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦のGP1回戦でマーク・コールマンに1R1分14秒、ネックロックで敗れる。
10月31日、PRIDE.11小川直也と対戦し、スリーパーホールドで一本負け。

2002年

4月28日、PRIDE.20クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、ジャーマン・スープレックス気味に投げられKO負けとなった。この投げで頭蓋骨骨折し病院で開頭手術を受け、背骨にもヒビが入る重傷を負った。
11月17日、K-1主催のプロレスイベントファンタジーファイトWRESTLE-1にリングネーム「SATA...yarn」(さたやん)としてプロレスデビュー。アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し、大回転チョップなどを繰り出すも、毒針エルボーからの体固めで敗退した。
12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002吉田秀彦と対戦し、フロントネックロックで一本負け。この試合をもってプロ格闘家としての現役を退く。

2003年

1月19日、WRESTLE-1でアブドーラ・ザ・ブッチャーと再戦し、またしても毒針エルボーからの体固めで敗退した。
10月、「総合打撃道」を掲げ、京都府京都市内に佐竹道場を構える[1]

2007年

京都の企業・会社・医院などの経営者を対象にした人間活学塾「平成武師道」(へいせいぶしどう)を立ち上げる[1]

参議院議員選挙出馬

2013年5月24日、自由民主党参議院全国比例区公認を受け第23回参議院議員通常選挙に立候補したが、7月21日の同選挙にて自民党圧勝の中で落選[2][3][4]。得票数27582票(得票率0.6%)

逸話

  • 中学時代は生徒会会長だった。
  • 1986年1月の吹田市の成人式の際は、新成人代表として壇上で挨拶をした。
  • 1992年から1994年にかけて、佐竹本人を主人公とした実録漫画『となりの格闘王』が、週刊少年チャンピオンで連載された[5]
  • トレーディングカードゲームであるマジック:ザ・ギャザリングをプレイしていたことがあり、関口宏の東京フレンドパークII出演時にダーツの景品としてBlack LotusとAncestral Recall(共に高額なレアカード)をリクエストしたことがある[1]。ゲーム雑誌「ゲーメスト」「メガストア」でコラムを連載していたことがあり、コラム内ではマジック・ザ・ギャザリングの話題が多かった。
  • 1992年、みうらじゅん筋肉少女帯人間椅子のメンバーで構成されたロックバンド『大日本仏像連合』のメンバーとして加入。佐竹は筋骨隆々の肉体を生かしたパフォーマーとして参加した。
  • 前田日明を慕っており、1999年2月の前田の引退試合での対戦相手であったアレクサンドル・カレリンが来日しないという噂が事前に流れた時、対戦相手に立候補していた。試合は予定通りカレリンを相手に行なわれている。
  • 引退後、著書『まっすぐに蹴る』で、石井和義による搾取、正道会館の後輩が死亡事故に見舞われた事例、角田信朗に人望がなく後輩から苦情を出されていたという人物評等、所属していた正道会館の内幕を語っている。
  • 同書で書かれていた自身のパンチドランカー気味の症状については、2015年の取材インタビューで、当時医者からこのまま試合を続けていたらアルツハイマーになると忠告されただけであり、「実はパンチドランカーでも何でもありませんでした。ですがいつの間にか、まわりにパンチドランカー扱いされていました」と否定している[6]
  • 得意技のひとつであるローキックの威力は多くの選手からも恐れられており、ピーター・アーツアーネスト・ホーストにも「K-1選手の中でもトップクラスの破壊力」と言わしめた。
  • K-1創成期当時、佐竹以外にヘビー級で戦える日本人がほとんどおらず、同じ階級の選手とスパーリングをするには海外に出張稽古に行くなど、ヘビー級選手としてまともにトレーニングができる環境ではなかった。そのため、自分のスパーリングパートナーを自ら育て上げなければならないという状況であった。
  • 最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』の第1回プロスポーツマン大会に出場した際、THE FINAL PUSH-UPという太鼓の音に合わせて1回ずつ腕立て伏せを行う競技種目で、佐竹は300回やり遂げ、池谷幸雄秋田豊と並んで種目別No.1に輝いたが、佐竹の腕立て伏せが視聴者から疑惑をもたれ、『筋肉番付』内で行われた同種目の全国大会やTBSSASUKE』の予選会など、現在の腕立て伏せレースでは、用意された顎付け台に顎をきちんとつけないとカウントされず、足を開く範囲も50cm以内というルールになっている。
  • 人気バラエティ番組『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にもレギュラーメンバーとして出演していたが、後年ビートたけしからは『北野ファンクラブ』内で酷評された。また、正道会館時代、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に何度か出演しているが、現在発売されているDVD版では佐竹の登場シーンはほぼ削除されており、顔が映るようなカットもすべてモザイク処理が施されている。

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
10 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
1100010
82330
勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×吉田秀彦1R 0:50 フロントネックロックINOKI BOM-BA-YE 20022002年12月31日
×クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン1R 7:07 KO(スラム)PRIDE.202002年4月28日
サム・グレコ3分5R終了 時間切れINOKI BOM-BA-YE 20012001年12月31日
×セーム・シュルト1R 2:18 TKO(スタンドパンチ連打)PRIDE.172001年11月3日
×イゴール・ボブチャンチン3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3PRIDE.152001年7月29日
×安田忠夫3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2PRIDE.132001年3月25日
×小川直也2R 2:01 スリーパーホールドPRIDE.112000年10月31日
村上一成1R 6:58 TKO(マウントパンチ)PRIDE.102000年8月27日
×ガイ・メッツァー10分2R終了 判定0-3PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦2000年5月1日
×マーク・コールマン1R 1:14 ネックロックPRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【GRANDPRIX 1回戦】
2000年1月30日

リングス

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×  ヘルマン・レンティング不戦敗(右胸骨骨折)リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 2nd Round
【トーナメント 2回戦】
1992年11月13日
 長井満也1R 1:24 KOリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 1st round
【トーナメント 1回戦】
1992年10月29日
 ロブ・カーマン3分5R終了 時間切れリングス MEGA BATTLE SPECIAL 礎~ISHIZUE【グローブマッチ】1992年8月21日
 ピーター・ウラ4R 1:02 KOリングス MEGA BATTLE 6th. 颯~HAYATE【グローブマッチ】1992年7月16日
 ウィリー・ピータース3分5R+延長R終了 時間切れリングス MEGA BATTLE 5th. 獅子吼~SHI SHI KU1992年6月25日
 バート・コップスJr2R 2:09 KOリングス MEGA BATTLE 4th. 光臨~KOHRIN リングス旗揚げ1周年記念大会1992年5月16日
 ヘルマン・レンティング7:29 KOリングス MEGA BATTLE 3rd. 雷~IKAZUCHI1992年4月3日
 フレッド・オーストロン6:22 KOリングス MEGA-BATTLE 2nd. 息・吹~IBUKI1992年3月5日
 ジェラルド・ゴルドー2R 2:13 反則リングス MEGA-BATTLE 1st. 回天~KAITEN1992年1月25日
 ハンス・ナイマン2分5R終了 引き分けリングス ASTRAL STEP FINAL BLAZE UP 炎上
【正道会館空手ルール】
1991年12月7日

キックボクシング

キックボクシング 戦績
40 試合(T)KO判定その他引き分け無効試合
241774
1284
勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×  武蔵5R終了 判定0-3K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1999年10月5日
 ゲーリー・グッドリッジ3R 2:47 KO(左ローキック)K-1 SPIRITS '99 〜魂の戦い〜1999年8月22日
 ヨッキ・オバーホルツァー3R 2:19 TKO(右ローキック)K-1 BRAVES '99 〜グランプリへの道〜1999年6月20日
×  マイク・ベルナルド5R終了 判定0-3K-1 REVENGE '991999年4月25日
×  ピーター・アーツ1R 2:40 TKO(左膝蹴り)K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1998年12月13日
 グラウベ・フェイトーザ5R終了 判定2-0K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1998年9月27日
 中迫剛3R終了 判定2-0K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 決勝】
1998年8月28日
 大石亨2R 2:03 KO(左ミドルキック)K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 準決勝】
1998年8月28日
 安生洋二2R 1:02 TKO(右ハイキック)K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 1回戦】
1998年8月28日
×  マット・スケルトン1R 2:06 TKO(左ストレート)K-1 DREAM '981998年7月18日
 武蔵5R終了 判定0-0K-1 BRAVES '981998年5月24日
 モーリス・スミス5R終了 判定0-0K-1 KINGS '981998年4月9日
×  アンディ・フグ1R 0:15 KO(左ハイキック)K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1997年11月9日
 ジャン・リビエール再延長R終了 判定3-0K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1997年9月7日
 鈴木政司4R 1:17 TKO(タオル投入)K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 決勝】
1997年7月20日
 阿部修司3R終了 判定3-0K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 準決勝】
1997年7月20日
 清原定一1R 1:33 TKO(右ストレート)K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 1回戦】
1997年7月20日
 カークウッド・ウォーカー5R終了 判定3-0K-1 FIGHT NIGHT '97 〜THE DECISION〜1997年6月7日
×  マイク・ベルナルド2R 1:24 TKO(右フック)K-1 KINGS '971997年3月16日
×  アンディ・フグ5R終了 判定0-3K-1 STAR WARS '961996年10月18日
×  ジェロム・レ・バンナ3R 2:32 KO(左フック)K-1 GRAND PRIX '95
【GRAND PRIX 準々決勝】
1995年5月4日
 キモ2R 2:27 TKO(左ミドルキック)K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1995年3月3日
×  サム・グレコ2R 1:27 KO(右フック)K-1 LEGEND 乱1994年12月10日
 ギャリー・サンドランド2R 2:28 TKO(左ミドルキック)KARATE WORLD CUP '94
【スペシャルワンマッチ】
1994年10月2日
 デニス"ハリケーン"レーン2R 1:38 TKO(右ローキック)K-1 REVENGE
【WKA世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1994年9月18日
×  ピーター・アーツ3R終了 判定0-3K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 決勝】
1994年4月30日
 ブランコ・シカティック3R終了 判定2-0K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 準決勝】
1994年4月30日
マイケル・トンプソン3R 0:34 TKO(左膝蹴り)K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 1回戦】
1994年4月30日
×  アーネスト・ホースト2R 2:45 KO(左ハイキック)K-1 CHALLENGE1994年3月4日
 ジェフ・フォーランス2R 1:28 TKO(パンチ連打)K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"
【KICK世界スーパーヘビー級王座決定戦
&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦】
1993年12月19日
 スタン・ザ・マン5R終了 判定3-0K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章"
【UKF世界ヘビー級タイトルマッチ】
1993年9月4日
 ドン・中矢・ニールセン1R 2:30 TKO(右フック)聖戦 〜SANCTUARY III〜 風林火山 "風の章"
【UKF世界ヘビー級王座決定戦】
1993年6月25日
×  ブランコ・シカティック3R 0:45 KO(左フック)K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 準決勝】
1993年4月30日
 トド"ハリウッド"ヘイズ2R 0:45 KO(右ローキック)K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 1回戦】
1993年4月30日
 クリス・ブランネル2R 1:39 KO(右フック)聖戦 〜SANCTUARY I〜1993年3月30日
 ピーター・アーツ5R終了 引き分け格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜1992年10月4日
 ロブ・カーマン3分5R終了 時間切れリングス MEGA BATTLE SPECIAL 礎~ISHIZUE【グローブマッチ】1992年8月21日
 アマッド・モハメッド1R 1:57 TKO(3ダウン)格闘技オリンピックII1992年7月30日
 ピーター・ウラ4R 1:02 KOリングス MEGA BATTLE 6th. 颯~HAYATE【グローブマッチ】1992年7月16日
 ドン・中矢・ニールセン1R 2:07 KO(頭突き→右ストレート)全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS HEAT」1990年6月30日

空手

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
 アンディ・フグ試し割り判定9-8カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【決勝】
1993年10月3日
 金泰泳延長0:43 左上段膝蹴りカラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準決勝】
1993年10月3日
 アダム・ワット再延長判定3-0カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準々決勝】
1993年10月3日
 パトリック・スミス本戦1:16 右中段突きカラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【1回戦】
1993年10月3日
 西良典ドローK-1 GRANDPRIX前哨戦 聖戦~SANCTUARY Ⅱ
フルコンタクトカラテ エキシビジョンマッチ
1993年3月30日
 金泰泳判定 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【決勝】
1993年1月31日
 後川聡之判定 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準決勝】
1993年1月31日
 内田弥KO 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準々決勝】
1993年1月31日
 疋田芳浩KO 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【4回戦】
1993年1月31日
 石川雄規KO 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【3回戦】
1993年1月31日
 作本真二KO 第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【2回戦】
1993年1月31日
 稲葉紀之再延長 KO 第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【決勝】
1992年1月12日
 阿部健一判定 第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準決勝】
1992年1月12日
 村上竜司KO 第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準々決勝】
1992年1月12日
 坂爪武史判定 第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【3回戦】
1992年1月12日
 秋山文生KO 第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【2回戦】
1992年1月12日
×  ジェラルド・ゴルドー試し割判定カラテワールドカップ '91 第10回全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1991年10月10日
 ウィリー・ウィリアムス判定5-0USA大山空手vs正道空手5対5マッチ1991年6月4日
 柳澤聡行判定第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3位決定戦】
1990年9月30日
×  後川聡之体重差判定第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1990年9月30日
 川地雅樹判定第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1990年9月30日
 渡辺正彦一本第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3回戦】
1990年9月30日
 丸尾和広一本第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1990年9月30日
 ピーター・スミット延長1回判定第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1990年9月30日
 田上敬久判定第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1989年10月1日
 松本栄治判定第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1989年10月1日
 今西靖明一本第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1989年10月1日
 竹澤伸光判定第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1989年10月1日
 岸川新判定第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1989年10月1日
 南豪宏判定'89格闘技の祭典第2回カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【決勝】
1989年7月2日
 玉城厚志判定'89格闘技の祭典第2回カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【準決勝】
1989年7月2日
 村上竜司判定'89格闘技の祭典第2回カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【2回戦】
1989年7月2日
 西田操一判定'89格闘技の祭典第2回カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【1回戦】
1989年7月2日
 深井英樹一本士道館 第8回ストロングオープントーナメント全日本空手道選手権大会
重量級【決勝】
1988年10月29日
 向井田春也判定士道館 第8回ストロングオープントーナメント全日本空手道選手権大会
重量級【準決勝】
1988年10月29日
 イリュース・ダイミテリウス判定士道館 第8回ストロングオープントーナメント全日本空手道選手権大会
重量級【2回戦】
1988年10月29日
 アブドル・ラシーデ判定士道館 第8回ストロングオープントーナメント全日本空手道選手権大会
重量級【1回戦】
1988年10月29日
 柳沢聡行判定第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1988年9月18日
 角田信朗一本第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1988年9月18日
 中川敬介判定第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1988年9月18日
 藤田実判定第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3回戦】
1988年9月18日
 シアマク・マハタビ判定第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1988年9月18日
 中村政博判定第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1988年9月18日
×  柳沢聡行判定梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【決勝】
1988年4月2日
 松井宣治判定梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【準決勝】
1988年4月2日
 青柳政司一本梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【2回戦】
1988年4月2日
 山崎勝美一本梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【1回戦】
1988年4月2日
 川地雅樹判定第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1987年9月6日
 柳澤聡行判定第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1987年9月6日
 福岡賢一判定第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1987年9月6日
 清原定一一本第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1987年9月6日
 松永光弘一本第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1987年9月6日
×  川地雅樹判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1986年12月14日
 今西靖明判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1986年12月14日
 玉城厚志判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1986年12月14日
 玉城健治判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3回戦】
1986年12月14日
 池之内宏判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1986年12月14日
 木村啓二判定第5回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1986年12月14日
×  川地雅樹判定第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1985年12月8日
 今西靖明試し割り判定第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1985年12月8日
 東雅美不戦勝第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1985年12月8日
 松本保則一本第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3回戦】
1985年12月8日
 井上真路判定第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1985年12月8日
 栗原弘一本第4回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1985年12月8日
×  木村成克体重判定第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3位決定戦】
1984年9月8日
×  今西靖明一本第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準決勝】
1984年9月8日
 野村卓判定第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【準々決勝】
1984年9月8日
 本田元彦判定第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【3回戦】
1984年9月8日
 国井明方判定第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【2回戦】
1984年9月8日
 木村啓二一本第3回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1984年9月8日

ミックスルール

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
 ポドリャチン・デニス3分3R終了 判定3-0ULTIMATE BOXING 旗揚げ戦2000年6月11日
 モーリス・スミス4R終了 判定なし硬派er 〜格闘技オリンピックI〜1992年3月26日

獲得タイトル

  • フルコンタクト空手
    • 第3回全日本空手道選手権大会 第4位(1984年)正道会館主催(関西外語大学一回生時・初出場)
    • 第4回全日本空手道選手権大会 準優勝(1985年)正道会館主催(関西外語大学二回生時)
    • 第5回全日本空手道選手権大会 準優勝(1986年)正道会館主催(関西外語大学三回生時)
    • 第6回全日本空手道選手権大会 優勝(1987年)正道会館主催(関西外語大学四回生時・初優勝)
    • 第7回全日本空手道選手権大会 優勝(1988年)正道会館主催(2連覇)
    • 第8回全日本空手道選手権大会 優勝(1989年)正道会館主催(3連覇)
    • 第8回ストロングオープントーナメント重量級 優勝(1988年)士道館主催
    • 第1回リアル空手トーナメント 準優勝(1988年)
    • 第2回リアル空手トーナメント 優勝(1989年)
    • 第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1992年)
    • 第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1993年)
    • カラテワールドカップ'93 優勝(1993年)
  • キックボクシング
    • ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座
    • 初代UKF世界ヘビー級王座(1993年)
    • KICK世界スーパーヘビー級王座
    • K-1 GRAND PRIX '94 準優勝
    • K-1 JAPAN GP '97 優勝
    • K-1 JAPAN GP '98 優勝

芸能活動

映画

  • 1・2の三四郎(1995年7月15日、東宝) -主演
  • 極道甲子園(2004年4月25日、RIKIプロジェクト)

テレビドラマ

テレビアニメ

バラエティ等

佐竹雅昭をモデルにしたオモチャ

ラジオ

音楽

CM

執筆等

書籍

連載

  • ゲーメスト 連載コラム『天使万歳』(1992年 - 1998年) - 1993年からは『天使万歳 ふたたび』と改題。
  • 朝日新聞 夕刊コラム『私の○○』(1995年6月19日 - 6月23日の全5回) - 学生時代の最後の試合、炒めもの、怪獣、パソコン、漫画などについて書いた。

雑誌記事

  • 特撮雑誌 宇宙船 1992年夏号 - 「特撮とプロレス」の記事で取材を受ける。また竹内義和が連載コラムで「友人の佐竹」について記している。
  • BRUTUS 1995年8月15日号 - コレクター特集の記事で自室を公開した。

脚注

関連項目

外部リンク

前優勝者
川地雅樹
第6回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会無差別級優勝
1987年9月6日
次優勝者
佐竹雅昭
前優勝者
佐竹雅昭
第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会無差別級優勝
1988年9月18日
次優勝者
佐竹雅昭
前優勝者
佐竹雅昭
第8回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会無差別級優勝
1989年10月1日
次優勝者
後川聡之
前優勝者
初大会
第1回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝
1992年1月30日
次優勝者
佐竹雅昭
前優勝者
佐竹雅昭
第2回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝
1993年1月31日
次優勝者
後川聡之