ローランド・ブラックマン

ローランド・アントニオ・ブラックマン (Rolando Antonio Blackman, 1959年2月26日 - ) は、パナマ出身の元プロバスケットボール選手、指導者。身長198cm、体重86kg。ポジションはシューティングガードNBAダラス・マーベリックスで活躍し、オールスターに4度出場した。

ローランド・ブラックマン
Rolando Blackman
引退
ポジションSG
基本情報
国籍パナマの旗 パナマ/アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1959-02-26) 1959年2月26日(65歳)
出身地パナマの旗 パナマシティ
身長(現役時)198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時)86kg (190 lb)
キャリア情報
出身カンザス州立大学
ドラフト1981年 9位
永久欠番マーベリックス  22 
選手経歴
1981-1992
1992-1994
ダラス・マーベリックス
ニューヨーク・ニックス
指導者経歴
2000-2006ダラス・マーベリックス (AC)
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

大学時代

ブラックマンはパナマシティで生れ、8歳の時にニューヨーク州ブルックリンに移住した。進学したカンザス州立大学では学校史上3位の通算1,844得点を記録し、カンファレンス年間最優秀選手に選ばれた。4年次にはチームをNCAAトーナメントベスト8に導いている。また、1980年にはモスクワ五輪アメリカ代表に選ばれたが、アメリカのボイコットにより出場できなかった。

ブラックマンは2015年にカレッジバスケットボール殿堂入りを果たし、背番号『25』はカンザス州立大学の永久欠番に指定されている。

プロキャリア

1981年、ブラックマンはNBAドラフト全体9位でダラス・マーベリックスに入団し、パナマ出身者で初のNBA選手となった。2年目から先発に定着し、3年目の1983-84シーズンに自己最高の平均22.4得点を記録した。この年マーベリックスは43勝39敗で球団史上初のプレーオフ進出を果たした。翌1984-85シーズン、ブラックマンは初めてオールスターに選ばれ、この年から3年連続で出場した。1987年のオールスターゲームでは試合をオーバータイムに持ち込むフリースローを決めるなど29得点の大活躍を見せた。

1980年代後半、ブラックマンやマーク・アグワイアデレック・ハーパーらを擁したマーベリックスはリーグ屈指の強豪に成長し、1987年から2年連続でシーズン50勝を達成した。特に1988年のプレーオフではチーム史上初のカンファレンス決勝を果たし、前年王者のロサンゼルス・レイカーズを第7戦まで追い詰めたが敗退した。この年を境にマーベリックスは低迷期に突入するが、ブラックマンはその後もチームの中心として活躍を続けた。1989-90シーズンには平均19.4得点で自身4度目のオールスターに選ばれた。

1992年、ブラックマンはデビュー以来11年間を過ごしたマーベリックスを去ってニューヨーク・ニックスに移籍した。ニックスでは主にシックスマンとしてプレーした。1993年プレーオフのカンファレンス準決勝第4戦では残り5秒で決勝シュートを沈め、チームのカンファレンス決勝進出に貢献した。翌1993-94シーズンにニックスはファイナルに進出したが、ブラックマンの出場機会はなかった。シーズン終了後、35歳となっていたブラックマンはチームを解雇され、NBAキャリアに幕を下ろした。

NBAでの成績は、980試合の出場で通算17,623得点2,981アシスト(平均18.0得点3.0アシスト)であった。マーベリックスで記録した通算16,643得点はダーク・ノヴィツキーに次ぐ球団史上2位の数字である。その他、出場試合・リバウンド・アシスト・スティール等多くのカテゴリで球団史上トップ10にランクされている。

NBAを離れた後、ブラックマンはヨーロッパに渡り、ギリシャイタリアのプロリーグでプレーを続けた。1996年にはイタリアのセリエAでリーグ優勝を果たしている。38歳となった1997年に現役を引退した。

2000年、ブラックマンの背番号『22』がマーベリックスの永久欠番に指定された。

引退後

ブラックマンは2000年から2006年まで古巣マーベリックスのアシスタントコーチを務め、テレビ解説者としても活動した。また、2001年にはドイツ代表のアシスタントコーチに就任し、翌2002年のバスケットボール世界選手権で銅メダルを獲得している。

ブラックマンは現在ダラスに居住し、恵まれない子供たちを支援する財団の理事を務めている。

個人成績

*リーグ1位
太字キャリアハイ

レギュラーシーズン

SeasonTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1981–82DAL821624.1.513.250.7683.11.30.60.413.3
1982–83756231.3.492.200.7803.92.50.50.417.7
1983–84818137.3.546.091.8124.63.60.70.522.4
1984–85818035.0.508.300.8283.73.60.80.219.7
1985–86828134.0.514.138.8363.53.31.00.321.5
1986–87808034.5.495.333.8843.53.30.80.321.0
1987–88716936.3.473.000.8733.53.70.90.318.7
1988–89787837.8.476.353.8543.53.70.80.319.7
1989–90808036.7.498.302.8443.53.61.00.319.4
1990–91808037.1.482.351.8653.23.80.90.219.9
1991–92757433.7.461.385.8983.22.70.70.318.3
1992–93NYK603323.9.443.425.7891.72.60.40.29.7
1993–9455117.6.436.357.9061.71.40.50.17.3
Career98081532.7.493.343.8403.33.00.70.318.0
All-Star4022.0.592.8133.33.31.30.517.8

プレーオフ

YearTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1984DAL1039.7.531.8414.14.00.60.423.9
19854442.3.511.500.9476.54.80.50.532.8*
1986101037.1.497.000.7923.53.20.80.120.8
19874438.3.493.000.9173.54.30.50.023.5
1988171739.5.483.000.8873.24.50.90.218.1
19903342.3.444.4001.000*3.04.32.00.720.0
1993NYK15014.3.344.267.8331.11.10.20.14.2
1994605.7.273.5000.50.50.00.01.3
Career693831.0.484.290.8692.93.10.60.216.1

関連項目

外部リンク