ロッシー小川

日本の実業家 (1957-)

ロッシー小川(ロッシーおがわ、1957年5月1日 - )は、日本の実業家、イベントプロデューサー。株式会社マリーゴールド代表取締役 本名:小川 宏(おがわ ひろし)。

ロッシーおがわ

ロッシー小川
2022年
生誕 (1957-05-01) 1957年5月1日(67歳)
職業実業家
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経歴

千葉県千葉市出身。実家は八百屋であり、両親が忙しかったため、子どもに対しては放任主義だったという[1]

東京写真専門学校(現・専門学校東京ビジュアルアーツ)在学中に全日本女子プロレスにかかる写真を非公式で撮影していたが、それがパンフレットで使用され、やがて全女の専属カメラマンとなる。

卒業後の1978年、広報として全女に正式入社。ビューティ・ペアミミ萩原らスター選手の担当となり、後にクラッシュギャルズのマネージャーを務め、80年代の黄金時代を牽引。

90年代に入ると企画広報部長となり、団体対抗戦を考案するなど、松永家に次いで全女で強い影響力を持っていた。北斗晶をデンジャラス・クイーンと命名、多くのアイデアにより、全女の仕掛け人と称された。第1回ジュニア・オールスター戦を企画し、常に斬新な攻めの姿勢で全女を名実ともにトップ団体に長らく君臨させた実績を持ち、ソフト面のプロデューサーとして活躍。

しかしその後、プロデューサー業務はボブ矢沢(松永太)や影かほる吉葉礼子の長女)などの松永家の子息を加えた合議制で行われることになり[2]、全女の経営不安が表に出ると、松永家と対立して同族経営を批判[2]。1997年7月から新団体設立に動き出すと同時に、同年8月に全女を退社し[2]、一部所属選手を引き連れて新団体「アルシオン」を旗揚げする。ハイパー・ビジュアル・ファイティングと称したビジュアル系のファイターを多く輩出。府川唯未大向美智子らを再生させ、浜田文子AKINO藤田愛などのスーパールーキーを世に出した。全女を反面教師として技術最優先を実行し、ルチャのハイテクニックと総合格闘技のサブミッションを融合させていった。2002年5月には有明コロシアムにおいて古巣であった全女との全面対抗戦を敢行。堀田祐美子の挑発に乗って、自らリングに上がり白タイガーのマスクを被って登場。流血させられたが、スクールボーイで丸め込み勝利を奪った。総合格闘技の藤井惠をプロレスのリングに初めて上げたのはアルシオンにおける最後の実績だった。だが所属の人気選手の離脱が続き経営不振により2003年に解散。

その後新団体「メジャー女子プロレスAtoZ」エージェントとなり、「JDスター女子プロレス」と提携、JDスターの外部スタッフとなるが、解散。格闘美においてはPOP王座を新設し若手の活性化を図った。

JD解散後、元JD所属選手風香の自主興行「風香祭」をプロデュースする。一方、ミル・マスカラスを初めとした覆面レスラーによる興行「仮面FIESTA」シリーズにも関わった。

風香引退直後の2010年4月にメキシコの女子レスラーを招いたイベント「エストレージャ☆ジャパン」をプロデュース。さらにグラビア・アイドル愛川ゆず季のプロレス・デビュー戦「ゆずポン祭」をプロモート&プロデュースし成功を収めた。

2011年1月23日、新団体「スターダム」を旗揚げ。代表取締役として奮闘し、新人選手主体の団体ながらわずか半年で後楽園ホールに進出。赤いベルトのワールド・オブ・スターダム、白いベルトのワンダー・オブ・スターダム、タッグ王座のゴッデス・オブ・スターダムと三つの王座を新設し、岩谷麻優紫雷イオ宝城カイリなどを輩出するなど、最も人気と勢いがある団体へと成長させた[3]

2019年にスターダムをブシロードへ事業譲渡して以降は、スターダムエグゼクティブプロデューサー職を務めていた[4]

2024年2月4日のスターダムの13周年記念大会終了後、多数のスターダムの所属選手やスタッフに対する引抜き行為があったとして、スターダムファイトが同日付で業務委託契約を解除[5][6]。スターダムエグゼクティブプロデューサー職を辞し、スターダムから去ることとなった。

4月15日、会見を行い、新団体「マリーゴールド」を旗揚げすることを発表した。同団体の旗揚げメンバーにはスターダムを3月で退団した選手らが名を連ね、会見直前にActwres girl'Zから退団発表した選手・スタッフが参戦を希望するなどしている[7][8]

人物

  • 1976年(昭和51年)6月26日に行われたアントニオ猪木対モハメド・アリの試合後、混乱に乗じてリングに上がり、アリを撮影した[9]
  • アルシオン社長時代に、アジャ・コングに対して債務不履行を理由に提訴したが、アジャ・コングが反訴。裁判の末、慰謝料と未払い報酬の支払いを命じられ敗訴した[10]
  • アルシオン活動休止後、一時期住居を失ってしまい、車上生活を余儀なくされた時期もあった[11]

テレビ出演

著書

  • 『全女がイチバーン!』
  • 『やっぱり全女がイチバーン!』
  • 『女子プロレス崩壊危機一髪』
  • 『【実録】昭和・平成女子プロレス秘史』

関連項目

脚注

外部リンク