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ロクビリエール (Roquebillière)は、フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、アルプ=マリティーム県のコミューン。
地理
ロクビリエールはヴェシュビー川の心臓部に位置するコミューンである。北は標高1813mのケイラ峰、西は隆起したシルール山の先端(2053m)、そしてシルール山の峰(2018m)と接する。
経済
コミューンは、4月から10月までオープンしている温泉地、ベルトモン=レ=バンを抱えている。
ロクビリエールは何年にもわたって、ロクビリエール水力発電所によって電気をまかなっている。
歴史
ロクビリエールの名は、『ミツバチの岩』を意味するRoccabelleraから派生した。ロクビリエールは566年、614年の地震、1564年と1926年の地滑り、1094年、1743年、1789年のヴェシュビー川洪水といった様々な災害にあっている。1494年6月23日に発生した大地震は、ロクビリエールとラントスク川の谷を崩壊させた。
ナポリ女王ジャンヌの死後の継承戦争後、1388年9月28日、ロクビリエールはヴァール川左岸の町と同様に、サヴォイア家へのニース割譲によって、サヴォイア家の宗主権下に入った。その後形成されたニース伯爵領に含まれた。
1691年から1696年まで、1706年から1708年まで、フランスはロクビリエールを占領している。1764年、ペスト流行が町を襲った。1796年にフランスがニース伯爵領を併合すると、ロクビリエールは小郡の所在地となった。最終的にフランス領となったのは1860年である。
6世紀以来、6度の河川氾濫で土砂崩れに見舞われている。まちは同じ場所に何度も再建された。1926年11月24日に発生した地滑りが最後となった。住民の大半が、15世紀には教会が既にあった、川の右岸にある高層の住宅が立ち並ぶ古い村から逃げたのである。旧村(Le vieux village)にはまだ住民が暮らしている。
農村の人口流出にもかかわらず、ロクビリエール人口は比較的安定して推移している。
人口統計
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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1 377 | 1 426 | 1 336 | 1 504 | 1 539 | 1 467 | 1 614 |
参照元:INSEE[2]
姉妹都市
脚注