レカ・ゾグ (1982-)

レカ・ゾグアルバニア語: Leka Zogu, 1982年2月3日 - )は、旧アルバニア王国の王家だったゾグ家英語版の家長(2011年 - )。王制支持者からはレカ2世アルバニア語: Leka II)と呼ばれている。

レカ2世
Leka II
ゾグ家英語版

全名Leka Anwar Zog Reza Baudouin Msiziwe
レカ・アンワル・ゾグ・レザー・ボードゥアン・ムシジヴェ
出生 (1982-02-03) 1982年2月3日(42歳)
南アフリカの旗 南アフリカ共和国ヨハネスブルク
配偶者エリア・ザハリアフランス語版(2016-2024)
父親レカ1世
母親スーザン・カレン=ウォード
宗教イスラム教スンナ派
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経歴

アルバニア王太子レカ1世とその妻のスーザン・カレン=ウォード英語版の間の一人息子として、南アフリカ共和国ヨハネスブルクで生まれた。アルバニア亡命政府は王家の跡取りとなるレカをアルバニア生まれにするため、南アフリカ政府から一時的に分娩室の割譲を受けて、出産が行われた[1]。名前はエジプト大統領アンワル・アッ=サーダート、祖父ゾグ1世イラン皇帝モハンマド・レザー、そして洗礼の代父であるベルギーボードゥアンにちなんでいる。「ムシジヴェ(Msiziwe)」はズールー語の貴人の尊称である。

ヨハネスブルクのセント・ピーターズ・カレッジ英語版で教育を受け、2006年にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業した[2]ペルージャ外国人大学英語版イタリア語を学んだほか、アルバニアのスカンデルベク軍事アカデミーの訓練生課程を修了している。アルバニア帰国後の2005年、父レカ1世が党首を務める国民発展運動(LZHK)の青年部を創設した。2007年よりアルバニア外務省に入省し、2009年には同国内務省に移った。2016年時点では、外相の顧問を務めている[3]

2010年にアルバニア人女優のエリア・ザハリアフランス語版と婚約[4]、2016年10月8日、首都ティラナで結婚式を挙げた[5]

2011年の父の死に伴い、王家の家督を継承した。また同時にスカンデルベク騎士団英語版の総長職も引き継いだ。

2020年10月22日、妻エリアとの間に女子を儲けた。この日はアルバニア国王ゾグ1世の妃アポニー・ゲーラルディネの18回忌にあたる日だったため、新生児は彼女にちなんでゲラルディナと名づけられた[6]

2024年1月にエリアと離婚に向けた法的手続きを始めたことが発表された[7]

参考文献

  • Rees, Neil. A Royal Exile – King Zog & Queen Geraldine of Albania including their wartime exile in the Thames Valley and Chilterns, 2010 (ISBN 978-0-9550883-1-5)

脚注

外部リンク

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