ヨルク・ハインリヒ

ドイツのサッカー選手

ヨルク・ハインリヒ(Jörg Heinrich, 1969年12月6日 - )は、ドイツ (旧東ドイツ) 出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー(左右ウイングバック、ボランチ)またはディフェンダー

ヨルク・ハインリヒ
2009年のハインリヒ
名前
ラテン文字Jörg Heinrich
基本情報
国籍ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1969-12-06) 1969年12月6日(54歳)
出身地ラーテノー英語版
身長185cm
体重75kg
選手情報
ポジションMF / DF
ユース
1977-1982東ドイツの旗 モートル・ラーテノー英語版
1982-1984東ドイツの旗 フォルヴェルツ・フランクフルト
1984-1988東ドイツの旗 モートル・ラーテノー英語版
クラブ1
クラブ出場(得点)
1988-1989東ドイツの旗 モートル・ラーテノー英語版 11 (1)
1989-1990東ドイツの旗 ヒェミー・フェルテン英語版 34 (5)
1990-1994ドイツの旗 キッカーズ・エムデン 80 (7)
1994-1996ドイツの旗 SCフライブルク 41 (7)
1996-1998ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 81 (11)
1998-2000イタリアの旗 フィオレンティーナ 57 (5)
2000-2003ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 63 (7)
2003-2004ドイツの旗 1.FCケルン 20 (0)
2004-2005ドイツの旗 ルートヴィッヒスフェルダー英語版 25 (7)
2005-2006ドイツの旗 ウニオン・ベルリン 15 (3)
2006-2007ドイツの旗 ヒェミー・プレムニッツドイツ語版 12 (7)
代表歴
1995-2002ドイツの旗 ドイツ37 (2)
監督歴
2013-2015ドイツの旗 BSCラーテノー1994
2015-2016ドイツの旗 FSV 63ルッケンヴァルデドイツ語版
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

ハインリヒは地元のBSGモートル・ラーテノー英語版でサッカーを始めた[1]1989年東欧革命が勃発すると1990年に西側のキッカーズ・エムデンへ移籍したが、エムデンは地域リーグ所属のクラブに過ぎず、ハインリヒは24歳になるまでトップレベルでプレーする機会がなかった[2]

1994年夏にブンデスリーガ1部SCフライブルクに移籍[1]。当時の監督フォルカー・フィンケに評価され選手として成長を遂げると[2]1996年1月にボルシア・ドルトムントへ移籍[1]。ドルトムントでは主に左ウイングバックを務め[3]、1995-96シーズンのブンデスリーガ優勝、1996-97シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ優勝、1997年のインターコンチネンタルカップ優勝に貢献した[4]

1998年夏、パルマインテルアーセナルといったクラブも獲得を狙っていたが[5]フィオレンティーナジョバンニ・トラパットーニ監督に強く望まれたことで、セリエAのフィオレンティーナへの移籍を選択した[5]。250万マルク(約20億円)の移籍金はブンデスリーガ所属選手としては過去最高の記録となった[6][5]。すぐに先発に定着し、33試合に出場した[5]。フィオレンティーナで2シーズンを過ごし、公式戦87試合に出場したが、チームとの契約を2年残す中、チームの財政的理由により退団することとなった[5]。この時、バイエルン・ミュンヘンからのオファーもあったが、希望する左サイドではなく、右サイドで起用される予定であると聞き、ドルトムントへの複帰を選んだ[5]

2000年にドルトムントへ復帰[1]。2000-01シーズンのブンデスリーガ優勝とUEFAカップ準優勝に貢献したが[4]、2002-03シーズンに入ると膝の靭帯を痛めるなど怪我が重なり、2003年3月にクラブ側から契約満了に伴い契約を更新しないことが発表された[7]

同年6月、1.FCケルンへ移籍したが2003-04シーズンにケルンがリーグ最下位となりブンデスリーガ2部に降格すると退団[8]。2004年9月、オーバーリーガ(4部リーグ相当)所属のルートヴィッヒスフェルダーFC英語版へ移籍[8]。実質的にプロ選手としてのキャリアを終えると[4]、その後は下部リーグのクラブを渡り歩いた[1]

代表

ドイツ代表としては1995年6月21日に行われたイタリア代表との国際親善試合でデビュー[9]1998年フランスで開催された1998 FIFAワールドカップでは代表メンバー入りを果たすと全5試合に出場し主に右ウイングバックを務め、準々決勝のクロアチア代表戦では退場処分となったクリスティアン・ヴェアンスに代わってセンターバックを務めたが[10]、大会を通じて良質なパフォーマンスを発揮することは出来ずに終わった[6]1999年メキシコで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ1999の代表メンバーに選ばれ3試合に出場[9]

2002年日本韓国で共同開催された2002 FIFAワールドカップでは膝の十字靭帯を断裂し戦列を離れたイェンス・ノヴォトニーに代わって暫定的に代表入りを果たした[11]。同年5月14日に行われたウェールズ代表戦と5月18日に行われたオーストリア代表戦に出場したが[9]、最終メンバーの発表直前に代表を辞退し、代わりにイェルク・ベーメが招集された[12]。ドイツ代表としての通算成績は国際Aマッチ37試合出場2得点[9]

引退後

引退後はアマチュアレベルのクラブでプレーを続けるかたわら、2005年12月から2007年2月にかけて1.FCウニオン・ベルリンのスポーツディレクターを務めた[4]

2012年4月、サッカー指導者としての講習を修了すると[4]2013年7月1日にBSCラーテノー1994の監督に就任[4]2015年7月、レギオナルリーガ・ノルト所属のFSV 63ルッケンヴァルデドイツ語版の監督に就任したが[4]、成績不振の状態が続き2016年3月に監督を解任された[13]

その他

個人記録

代表での成績

出典[9]


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
199520
199600
199791
1998111
199970
200030
200110
200230
通算372

代表での得点

出典[9]
#開催日開催地対戦国結果大会
11997年11月15日ドイツデュッセルドルフ 南アフリカ共和国3-0親善試合
21998年2月18日オマーンマスカット オマーン2-0親善試合

脚注

外部リンク

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