ユーロビジョン・ソング・コンテストの参加国一覧

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本稿は、ユーロビジョン・ソング・コンテストの参加国一覧である。

ユーロビジョン初参加の年代を示した地図:
  1950年代
  1960年代
  1970年代
  1980年代
  1990年代
  2000年代
  2010年代

     1961年から1991年までユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部として参加
     1992年から2005年までユーゴスラビア連邦共和国およびセルビア・モンテネグロの一部として参加
     2005年から2007年までセルビア共和国の一部として参加
参加回数に対する決勝進出回数の割合(2004〜2021年)
Dan Ar Braz1996年にフランス代表として参加し、ブルトン語で歌った。
ヤリ・シッランパー、大会で初めて準決勝が導入された2004年、フィンランドを代表して参加し、決勝に進出できなかった。
ルージャ・マグドルナセルビアヴォイヴォディナ出身で、ハンガリーを代表して2007年大会に参加した[1]
Lys Assia、ユーロビジョンの初の優勝者、2008年大会にゲストとして招かれる。

1956年にこの催しが始まって以来、2017年までに52箇国が大会に参加してきている。このうち、27箇国が優勝を経験している。大会は欧州放送連合(EBU)の主催により、加盟放送局と共同で毎年開催されてきている。各国の放送局は自国代表の楽曲とアーティストを選出して大会に送り込み、大会を自国向けに放送し、他国の参加者に票を投ずることで優勝者が決定される。

大会への参加は、全てのEBU加盟放送局に対して開かれている。EBUの加盟局となれるのは、欧州放送地域European Broadcasting Area)の域内にあるか、欧州評議会の加盟国に属する放送局とされている[2]。大会名称には「ユーロ」の語が含まれているが、地理学的にヨーロッパに属する必要はなく、また欧州連合とも直接の関連はない。実際に、地理学的には西南アジアに属するイスラエルキプロスアルメニアはそれぞれ1973年大会1981年大会2006年大会より、北アフリカに属するモロッコ1980年大会で大会に参加しており、トルコ1975年大会以降)、ロシア1994年大会以降)、グルジア2007年大会以降)、アゼルバイジャン2008年大会以降)、オーストラリア2015年大会以降)などの大州をまたいだ国々も参加している。このほかに西アジアのレバノンと北アフリカのチュニジアが大会参加を模索したことがある。2009年には、ペルシア湾の国カタールが2011年の大会参加への興味を示している[3]

参加国の数は急速に増加を続け、1956年には7箇国であったものが1980年代の末には20箇国以上に膨れ上がった。参加する国の数が増えるにしたがって、大会をより多くの国に開かれたものとするための予選や参加制限が導入されるようになった。1993年大会では、初めて大会への参加を試みる旧東側からの参加国に対しては予選として、クヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリート(ミルストリートへの道)が導入された[4]。1994年以降は、参加制限が導入されるようになり、大会順位で最下位から6箇国は翌年の大会には参加できなくなった[5]。1996年のルールでは、参加する29箇国全てが参加曲のオーディオテープを提出し、各国の審査員による審査で上位22箇国となったもののみが本大会に参加できる制度をとった。大会の主催国であったノルウェーは審査員投票で落選し、本大会に進むことはできなかった[6]。1997年から2001年までは、過去5年間の大会成績が下位であった国々は参加できない仕組みとなった。このため、国によっては2年以上連続で大会に参加できない可能性もあった[7]

2001年から2003年には、1994年から1995年と同様の参加制限が設けられた。そして2004年には準決勝が導入された。この時は、前年大会で上位10箇国に入った国々は、欧州放送連合への資金拠出額が大きい「Big 4」(フランス、スペイン、ドイツ、イギリス)と共に、自動的に決勝進出となることが保障された。このほかに10箇国が準決勝を経て決勝に進み、決勝には合計24箇国が参加する方式が採られた[8]。2008年からは準決勝が2つに分けて行われるようになり、主催国と「Big 4(2011年からはイタリアの復帰により「Big 5」となった)」以外はすべて準決勝からの参加となった[9]

ドイツやイギリスのような国々はほぼすべての大会に参加しており、参加回数が非常に多い反面、モロッコは1回しか参加していない。チュニジアとレバノンは参加を模索していたが断念し、実際には参加したことはない。リヒテンシュタインには欧州放送連合に加盟する放送局がないため、1976年に参加を試みたが失敗に終わっている[10]

参加国

以下に掲げる表は、過去に1回以上大会に参加したことのある国の一覧である。網掛けとなっている国は大会への参加を中止している国である。モロッコは1980年大会のみ参加している。ルクセンブルクは、初回大会に参加した7箇国の一つであるが、1993年以降大会には参加していない。イタリア放送協会(RAI)は、大会参加に必要な資金や才能ある人材をサンレモ音楽祭に集中させることを選び[11]、1997年以降大会に参加していなかったが、2011年に復帰した[12]。スロバキアは1994年から1998年まで参加した後、長年にわたる休止状態にあったが、2009年大会で復帰した[13]。しかしながら、スロバキアは2013年に出場を休止[14]して以来、2017年まで出場していない。モナコは20年以上におよぶ休止を脱して2004年に大会に復帰したが、その後3年連続での準決勝敗退を喫し、再度不参加となった[15]ユーゴスラビア社会主義連邦共和国およびセルビア・モンテネグロはそれぞれ1991年と2006年に解体され、現存しない。1991年のユーゴスラビア崩壊後、1992年にはセルビアとモンテネグロのみから成るユーゴスラビア連邦共和国として大会に参加しており、これがユーゴスラビアとしての最後の参加となった。セルビアとモンテネグロは2007年からはそれぞれ独立国として個別に大会に参加している[16]

初参加年直近の参加年参加回数決勝参加回数決勝進出回数直近の決勝進出年優勝回数直近の優勝年放送局[17]
アルバニア20042024201110/1920230なしRTSH
アンドラ20042009600/6なし0なしRTVA
アルメニア20062024161312/1520240なしAMPTV
オーストラリア20152024976/820230なしSBS
オーストリア1957202456497/14202422014ORF
アゼルバイジャン20082024161312/15202212011İTV
ベラルーシ200420191666/1620190なしBTRC
ベルギー1956202465548/19202311986VRT (オランダ語)
RTBF (フランス語)[注釈 1]
ボスニア・ヘルツェゴビナ1993201619187/820120なしBHRT
ブルガリア200520221455/1420210なしBNT
クロアチア1993202429208/1720240なしHRT
キプロス19812024403311/1820240なしCyBC
チェコ200720241255/1220230なしČT
デンマーク19572024524410/18201932013DR
エストニア19942024291910/20202412001ERR
フィンランド19612024574911/19202412006Yle
フランス195620246666BIG 5202451977RTF (1956–1964)
ORTF (1965–1974)
TF1 (1975–1981)
Antenne 2 (1983–1992)
France Télévisions (1993–現在)
ジョージア200720241688/1620240なしGPB
ドイツ195620246767BIG 5202422010HR (1956–1978) (ARD)
BR (1979–1991) (ARD)
MDR (1992–1995) (ARD)
NDR (1996–現在) (ARD)
ギリシャ19742024444114/17202412005ERT (1974–2013, 2016–現在)
NERIT (2014–2015)
ハンガリー19942019171410/1320180なしMTVA
アイスランド19862024362710/1920220なしRÚV
アイルランド1965202457467/18202471996RTÉ
イスラエル19732024463911/18202442018IBA (1973–2017)
KAN (2018–現在)[18]
イタリア195620244949BIG 5202432021RAI
ラトビア2000202424116/19202412002LTV
リトアニア19942024241712/1920240なしLRT
ルクセンブルク1956202438381/1202451983CLT
マルタ1971202436268/1820210なしPBS
モルドバ20052024191312/1820230なしTRM
モナコ1959200624210/3197911971TMC
モンテネグロ200720221222/1220150なしRTCG
モロッコ1980198011なし19800なしSNRT
オランダ1956202464539/19[注釈 2]202252019NTS (1956–1969)
NOS (1970–2009)
TROS (2010–2013)
AVROTROS (2014–現在)
きたまけとにあ 北マケドニア199820222196/1820190なしMKRTV
ノルウェー19602024625914/17202432009NRK
ポーランド1994202426167/1720230なしTVP
ポルトガル1964202455468/17202412017RTP
ルーマニア19942023231911/1520220なしTVR
ロシア19942021232211/12202112008RTR (1994, 1996, 2008–2019)
C1R (1995, 1997–2021)
サンマリノ200820241433/1420210なしSMRTV
セルビア20072024161312/15202412007RTS
セルビア・モンテネグロ20042006[注釈 3]321/220050なしUJRT
スロバキア19942012730/419980なしSTV (1994–2010)
RTVS (2011–2012)
スロベニア1993202429178/2020240なしRTV SLO
スペイン196120246363BIG 5202421969TVE
スウェーデン19582024636213/14202472023SR (1958–1979)
SVT (1980–現在)
スイス1956202464538/19202432024SRG SSR
トルコ1975201234336/7201212003TRT
ウクライナ20032024191914/14202432022UA:PBC
イギリス195720246666BIG 5202451997BBC
ユーゴスラビア[注釈 4]196119922727なし199211989JRT

年度別の参加状況

1956年大会では7箇国のみが大会に参加している。その後、大会参加国の数は急速に増加していった。1970年には、北欧諸国を主体とするボイコットによって参加国数が20箇国にまで落ち込んだ[20]。1980年代末には、20箇国以上の参加が標準的となり、1993年には旧東側における共産主義体制の崩壊により、多くの新しい参加希望国が生まれた。こうした国を受け入れるために予選としてクヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリートが開かれ、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立したスロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナの3箇国が予選を通過した。1994年以降は参加制限が導入され、より多くの旧東側諸国の参加が可能となった。2003年には、アルバニアウクライナベラルーシが新たに加わった。更に、1992年大会を最後に参加を禁じられていたセルビア・モンテネグロが復帰を表明した。欧州放送連合は、はじめはこの4箇国すべての復帰を認めたものの、後にウクライナ以外は参加を拒絶され、4箇国の新規参入によって参加できなくなる国が多く生じすぎる、とした[21][22]。2004年にはこのような状況を解消するために準決勝が導入された。EBUは参加可能な国の数を40と定めたが[23]、2005年には39箇国に減らされた。2007年には再び枠を増やして42箇国の参加を可能とした。2008年以降は2つの準決勝が行われるようになった[9]

各国の参加状況早見表(▲=優勝、●=参加、○=投票のみ参加)
国/年
参加国数
19567
195710
195810
195911
196013
196116
196216
196316
196416
196518
196618
196717
196817
196916
197012
197118
197218
197317
197417
197519
197618
197718
197820
197919
198019
198120
198218
198320
198419
198519
198620
198722
198821
198922
199022
199122
199223
199325
199425
199523
199623
199725
199825
199923
200024
200123
200224
200326
200436
200539
200638
200742
200843
200942
201039
201143
201242
201339
201437
201540
201642
201742
201843
201941
202139
202240
202337
202437
52
参加回数36571620166664649192995664214044291416646363729163125267346217576614166526195536241911227242423382366

事情により参加できなかった国

大会に参加するためには、各年の大会前に公開される規定に従って、締め切りまでに加盟放送局が大会参加を表明しなければならない。参加する放送局は主催者に対して参加費を支払う。締め切り後に大会参加を撤回する場合、参加費は払い戻されず、更に罰金や数年間の参加禁止が言い渡される場合がある[24]。下表は参加を一度表明したが、何らかの事情により参加を見送られた国である。網掛けとなってる国は、一度も大会に参加してない国である。

放送局参考
アルメニア2021ARMTV2020年ナゴルノ・カラバフ戦争の敗戦により、国内の政局が不安定だったため。[25]
ウクライナ2019UA:PBC出演者はロシアでの公演をしない契約書を拒否したため、アーティストを選出できなかった。[26]
オーストリア1956ORFエントリーの期限を過ぎたため、失格となった。[27]
キプロス1988PIKPIKはヤニス・ディミトルーの楽曲"Thimame"を代表として選出したが、ラジオタイムズが「同曲は既に1984年の国内選考に参加し3位となっていた」と報道し、ユーロビジョンの規定違反になったため失格となった。
グリーンランド2011KNR(EBU参加できず)グリーンランドは2011年以降EBUに加盟しようとしているが、独立した国ではないため、することができなかった。しかし、グリーンランドは2017年大会を少し遅れて放送することを発表した。[28][29]
コソボ2009RTK(EBU参加申請中)独立宣言後、2009年大会への参加を模索したが、RTKは欧州放送連合の加盟局ではないため、参加できなかった。[30][31]
ジブラルタル2006GBC(EBU参加できず)ジブラルタルは2006年以降EBUに加盟しようとしているが、独立した国ではないため、することができなかった。[32]
ジョージア2009GPB代表曲に選ばれた楽曲「We Don't Wanna Put In」の歌詞がロシアのプーチン大統領を揶揄するもので、規程に反するとして欧州放送連合は出場を認めなかった。[33]
中華人民共和国2016Mango TV中国は2015年大会を放送し、その後、中国の地方テレビ局Mango TV2016年大会に参加することへの関心があることを確認した。しかし、2015年6月3日に、EBUは、中国が2016年に参加しないことを発表した。そして、同テレビ局は2018年の大会で放送中に同性愛に関するコンテンツを検閲し消したことに対し、欧州放送連合は同テレビ局との契約を切り、それ以降の放送を認めないとしている[34][35][36]
チュニジア1977ERTTチュニジアは1977年の大会参加を目指していたが、後に取り下げている。その正確な理由は定かではないが、イスラエルの大会参加を嫌ったためと考えられている。[10][37]
デンマーク1956DRエントリーの期限を過ぎたため、失格となった。[27]
フェロー諸島2010KVF(EBU参加できず)フェロー諸島は独立した国ではないため、EBUに加盟することができなく、参加することができなかった。[38]
ベラルーシ2021BTRC歌詞には2020年ベラルーシ大統領選挙の結果に不満を持つ反政府デモ参加者を揶揄する内容があるため、規程に反するとして欧州放送連合は出場を認めなかった。[39]
マルタ1990TVMマルタは15年ぶりに復帰を希望し、代表として、Maryrose Malliaの"Our Little World of Yesterday"を選出していたが、EBUが最大枠を22と定めていたため却下された。[40]
リヒテンシュタイン19761FLTV(EBU参加申請中)リヒテンシュタインには欧州放送連合加盟局がなかったため、大会への参加はできなかった。しかし、その後リヒテンシュタインには放送局が開設されたため、欧州放送連合への参加が認められれば、大会参加への道が開ける。[10][41]
ルーマニア2016RTV2002年からは毎年参加していて、2016年も既に出場者が決定していたが、欧州放送連合はルーマニアが負債を返済していないことを理由に、大会の約3週間前になってルーマニアの出場を認めないとした。[42]
レバノン2005Télé Libanレバノンは2005年大会への参加を希望していたが、イスラエルの演技を放送することは保障できないとし、大会を完全に放送しなければならないとする欧州放送連合の規定に抵触したため、大会参加は認められなかった。[43][44][45]
ロシア2017C1R2000年からはロシアは毎年参加していたが、2017年に代表に選ばれたYuliya Samoylovaが、ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入以降にクリミア半島へ渡航したことがウクライナでは不法入国とみなされ、ウクライナへの入国が禁止された。欧州放送連合は代替案を示したが、ロシアは出場を辞退した。[46]
ロシア2022RTRC1R2022年ロシアのウクライナ侵攻に対する他国の批判により、欧州放送連合は2022年のロシアの参加を取り止めると発表し、ロシアの両放送局も欧州放送連合から脱退した。[47]

欧州放送連合加盟放送局を持つが大会参加経験のない国

イスラエルの参加により、多くのアラブ諸国が参加できない状態にある。バチカン市国も条件の上では参加が可能であるが、その国家としての性質や、ラジオ・バチカンは宗教的な話題のみを扱う放送局であることから、参加することはないと考えられている。カタール・ラジオ(Qatar Radio)は欧州放送連合への加盟を申請し、2011年大会への参加を希望しているが、加盟が早期に実現した場合は、「よろこんで2010年大会に参加したい。多くのアラブ諸国の間で障害となってきたイスラエルの演技を放送することに、何ら問題はない。」としている。

脚注

注釈

出典

関連文献

  • O'Connor, John Kennedy (2005). The Eurovision Song Contest 50 Years The Official History. London: Carlton Books Limited. ISBN 1-84442-586-X.

外部リンク