ヤルコ・ニエミネン

ヤルッコ・カレルヴォ・ニエミネン(Jarkko Kalervo Nieminen, 1981年7月23日 - )は、フィンランド・マスク出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス2勝、ダブルス5勝を挙げたが、シングルスで11度の準優勝がある。身長185cm、体重78kg、左利きの選手。自己最高ランキングはシングルス13位、ダブルス42位。夫人のアヌ・ニエミネンバドミントンのフィンランド代表選手である。

ヤルコ・ニエミネン
Jarkko Nieminen
ヤルコ・ニエミネン
基本情報
フルネームJarkko Kalervo Nieminen
国籍 フィンランド
出身地同・マスク
生年月日 (1981-07-23) 1981年7月23日(42歳)
身長185cm
体重78kg
利き手
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年2000年
引退年2015年
ツアー通算7勝
シングルス2勝
ダブルス5勝
生涯通算成績557勝540敗
シングルス406勝348敗
ダブルス151勝192敗
生涯獲得賞金$7,743,345
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(2008)
全仏4回戦(2003)
全英ベスト8(2006)
全米ベスト8(2005)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト4(2010)
全仏2回戦(2003・08・14)
全英2回戦(2007)
全米ベスト8(2008)
キャリア自己最高ランキング
シングルス13位(2006年7月10日)
ダブルス42位(2008年1月28日)

来歴

両親とも化学者という家庭に生まれ、4歳からテニスを始める。ジュニア時代、1999年全米オープン男子ジュニアシングルス部門でクリスチャン・プレスを破って優勝した。2000年にプロ入り。2001年ストックホルム・オープンで初めてATPツアーの決勝に進出したが、シェング・シャルケンに敗れて準優勝になった。2002年は2度、2003年は1度準優勝があったが、なかなかツアー初優勝に手が届かずにいるうちに、テニスキャリアにもしばらく低迷期が訪れた。

2005年6月11日にアヌ・ヴェックストロームと結婚。その3か月後、ニエミネンはようやく4大大会で最初の好成績を出し、フィンランド人のテニス選手として初めて全米オープンで準々決勝に進出した。同じ年のレイトン・ヒューイットと一進一退の好勝負を展開したが、結局6-2, 1-6, 6-3, 3-6, 1-6のフルセットでヒューイットに敗れている。2006年1月9日、ハイネケン・オープンの決勝戦でマリオ・アンチッチを6-2, 6-2で破り、宿願のツアー初優勝を果たした。この年はウィンブルドン選手権で初めての準々決勝に進出したが、第2シードのラファエル・ナダルに3-6, 4-6, 4-6のストレートで敗れた。

2007年9月、ニエミネンはキングフィッシャー航空テニス・オープンのダブルスでロベルト・リンドステットとペアを組み、男子ツアーのダブルスで初優勝を果たした。

ニエミネンは2008年全豪オープンでも初めてのベスト8入りを決めたが、ここでもナダルに5-7, 3-6, 1-6のストレートで敗退した。これで彼の4大大会シングルス成績は、全仏オープン以外の3大会で8強入りしたことになる。同年の全米オープンでは、シングルスは3回戦でフェルナンド・ゴンサレスに敗れたが、リンドステットと組んだ男子ダブルスで初のベスト8に進出した。

2006年に初優勝してから決勝では6大会連続で敗退が続いていたが、2012年1月のシドニー国際ジュリアン・ベネトーを6–2, 7–5で破り6年ぶりのツアー2勝目を挙げた。

2015年3月12日、通算400勝達成[1]。10月のストックホルム・オープンを最後に現役を引退した[2]

ニエミネンは2004年から2015年までの12年間で、2009年を除き11回ジャパン・オープン・テニス選手権に出場している。

デビスカップ2016のジンバブエ戦に復帰すると、カートニ―・ジョン・ロックを6-0, 6-0, 6-0で破り、オープン化後以降9人目のトリプル・ベーグル達成者となった。

記録

※オープン化以降

6-0, 6-0, 6-0で勝利
デビスカップ2016ジンバブエ代表カートニ―・ジョン・ロック戦

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 13回 (2勝11敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (2–11)
サーフェス別タイトル
ハード (2–7)
クレー (0-4)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
準優勝1.2001年10月29日 ストックホルムハード チャン・シャルケン6–3, 3–6, 3–6, 6–4, 3–6
準優勝2.2002年4月15日 エストリルクレー ダビド・ナルバンディアン4–6, 6–7(5)
準優勝3.2002年5月6日 マヨルカクレー ガストン・ガウディオ2–6, 3–6
準優勝4.2003年5月5日 ミュンヘンクレー ロジャー・フェデラー1–6, 4–6
優勝1.2006年1月9日 オークランドハード マリオ・アンチッチ6–2, 6–2
準優勝5.2006年10月16日 ストックホルムハード ジェームズ・ブレーク4–6, 2–6
準優勝6.2007年10月19日 バーゼルハード ロジャー・フェデラー3–6, 4–6
準優勝7.2008年1月6日 アデレードハード ミカエル・ロドラ3–6, 4–6
準優勝8.2009年1月17日 シドニーハード ダビド・ナルバンディアン3–6, 7–6(9), 2–6
準優勝9.2010年10月3日 バンコクハード (室内) ギリェルモ・ガルシア=ロペス4–6, 6–3, 4–6
準優勝10.2011年10月23日 ストックホルムハード (室内) ガエル・モンフィス5–7, 6–3, 2–6
優勝2.2012年1月15日 シドニーハード ジュリアン・ベネトー6–2, 7–5
準優勝11.2013年5月25日 デュッセルドルフクレー フアン・モナコ4–6, 3–6

ダブルス: 9回 (5勝4敗)

結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
準優勝1.2003年9月29日 バンコクハード アンドリュー・クラッツマン ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
3–6, 6–7(4)
優勝1.2007年9月24日 ムンバイハード ロベルト・リンドステット ロハン・ボパンナ
アイサム=ウル=ハク・クレシ
7–6(3), 7–6(5)
準優勝2.2009年2月15日 サンノゼハード
(室内)
ロハン・ボパンナ トミー・ハース
ラデク・ステパネク
2–6, 3–6
優勝2.2010年8月1日 グシュタードクレー ヨハン・ブルンストロム マルセロ・メロ
ブルーノ・ソアレス
6–3, 6–7(4), [11–9]
準優勝3.2010年8月1日 ストックホルムクレー ヨハン・ブルンストロム エリック・ブトラック
ジャン=ジュリアン・ロイヤー
3–6, 4–6
準優勝4.2012年1月15日 シドニーハード マシュー・エブデン ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
1–6, 4–6
優勝3.2013年5月5日 ミュンヘンクレー ドミトリー・トゥルスノフ マルコス・バグダティス
エリック・ブトラック
6–1, 6–4
優勝4.2014年8月2日 キッツビュールクレー ヘンリ・コンティネン ダニエレ・ブラッチアリ
アンドレイ・ゴルベフ
6–1, 6–4
優勝5.2015年3月1日 ブエノスアイレスクレー アンドレ・サ パブロ・アンドゥハル
オリバー・マラチ
4–6, 6–4, [10–7]

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会200120022003200420052006200720082009201020112012201320142015通算成績
全豪オープンA1R3R2R3R3R2RQF1R2R1R1R2R2R3R17–14
全仏オープンA3R4RA2R1R3R3RA1R1R2R2R2R1R13–12
ウィンブルドンA2R3RA1RQF3R2RA2R1R2R1R2R2R14–12
全米オープンLQ1R2R1RQF1R1R3R2R1R1R2R2R1R1R10–14

脚注

外部リンク