マリオ・ルシオ・ドゥアルチ・コスタ

ブラジルのサッカー選手

アラーニャAranha)ことマリオ・ルシオ・ドゥアルチ・コスタポルトガル語: Mario Lúcio Duarte Costa1980年11月17日 - )は、ブラジルの元サッカー選手。現役時代のポジションはGK

アラーニャ
名前
本名マリオ・ルシオ・ドゥアルチ・コスタ
ラテン文字Mario Lúcio Duarte Costa
基本情報
国籍ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1980-11-17) 1980年11月17日(43歳)
出身地ミナスジェライス州ポウソ・アレグレ
身長193cm
体重91kg
選手情報
ポジションGK
利き足左足
ユース
1997-2000ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
クラブ1
クラブ出場(得点)
2000-2009ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ 52 (0)
2009-2011ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 30 (0)
2011-2014ブラジルの旗 サントス 111 (0)
2015ブラジルの旗 パルメイラス 1 (0)
2016ブラジルの旗 ジョインヴィレ 5 (0)
2016-2017ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ 74 (0)
2018ブラジルの旗 アヴァイ 34 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ歴

ポンチ・プレッタ

AAポンチ・プレッタの下部組織出身。ポルトガル語で蜘蛛を意味するアラーニャの通称は、黒蜘蛛と呼ばれたレフ・ヤシンに倣って下部組織時代の監督であるアイウトン・クストジオがつけた。トップチームに昇格後はアレシャンドレ・ネグリラウロに次ぐ第3ゴールキーパーの立ち位置であった。前者が2004年に、後者が2006年にそれぞれ移籍したものの、2006年にジェアンが来たために正ゴールキーパーとはなれなかった。2007年にジェアンも移籍したために晴れて正ゴールキーパーとなった。しかし2月21日のヴィラ・ノヴァAC戦で顔に重傷を負い1ヶ月の離脱、その間にデニスにポジションを奪われ、再びベンチ生活となった[1]

2008年にカンピオナート・パウリスタで最優秀ゴールキーパーに選ばれると、他のクラブからも興味を持たれたがポンチ・プレッタに止まり、2008年12月19日に新たに3年契約を結んだ[2]

アトレチコ・ミネイロ

2009年5月26日に予てから交渉していたアトレチコ・ミネイロに移籍[3]。加入初年はレギュラーであったが、翌年はヘナン・ヒベイロにポジションを奪われ、12月17日に放出された[4]

サントス

放出4日後にサントスFCに加入[5]。当初はラファエウ・カブラウの控えであったが、2013年末まで契約を延長した[6]

2013年7月にラファエウ・ガブラウが移籍すると正ゴールキーパーになった[7]。パフォーマンスも良かったため8月31日に新たに2年の契約延長をした[8]

2015年1月13日に給与未払いで他のメンバーとともにサントスを訴えた[9]。8日後にサントス側と2つの解決策を提示してきたが、裁判所側の策を待つ事とした[10]。その後クラブへの訴訟を取り下げた[11]

パルメイラス

2015年2月2日に単年契約でSEパルメイラスに移籍、ここではフェルナンド・プラスの控えであった[12]。4月9日のカンピオナート・パウリスタイトゥアーノFC戦のみの出場に止まり、年末に契約満了で退団した[13]

ジョインヴィレ以降

2016年6月に35歳でカンピオナート・ブラジレイロ・セリエBジョインヴィレECに移籍[14]。しかし8月9日に古巣のポンチ・プレッタに再加入した[15]

2018年にアヴァイFCに移籍。

差別

2014年8月28日に行われたコパ・ド・ブラジルラウンド16のグレミオFBPA戦でグレミオのサポーターからmacaco(猿)と野次られた[16]。更に猿の鳴き声で煽られた[16]。グレミオFBPAは後にこの行動を人種差別であると認め、この行動を取ったサポーターの特定に努める事を約束した[16][17]。この出来事によって第2試合はスポーツ裁判所の裁定待ちとなり延期、最終的に9月3日にグレミオに欠格処分が下された[16][18]

2015年1月21日に彼は小規模であったがまたしても人種差別の被害に遭った。この時はfacebookのグループ上でサントスのサポーターから誹謗中傷を受けた[19]。加害者はグループから除外された。

タイトル

クラブ

サントス
パルメイラス

個人

参考文献

外部リンク