バート・ガン | |
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![]() 1995年 | |
プロフィール | |
リングネーム | マイク・バートン バート・ガン ボディシャス・バート ブレット・コルト |
本名 | マイク・ポルクロペック |
ニックネーム | ゴールデンレフト スティーブ・ウィリアムスをKOした男 |
身長 | 193cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | (1965-12-27) 1965年12月27日(58歳) |
出身地 | ![]() ![]() |
スポーツ歴 | ボクシング レスリング |
トレーナー | Caesar Barraza ブラックジャック・マリガン |
デビュー | 1991年 |
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マイク・ポルクロペック(Mike Polchlopek、1965年12月27日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー、総合格闘家。テキサス州オースティン出身。バート・ガン(Bart Gunn)、マイク・バートン(Mike Barton)などのリングネームで知られる。
1991年にブレット・コルト(Brett Colt)のリングネームでデビュー。フロリダ州のインディー団体IWFで師匠のブラックジャック・マリガン同様のカウボーイ・ギミックで売り出され、キップ・ウィンチェスターことモンティ・ソップとのタッグチーム、ロング・ライダーズで人気を獲得した。
1993年にソップと共にWWF(現・WWE)と契約。WWF入りに伴いリングネームおよびチーム名を変更し、ソップはビリー・ガン、自身はバート・ガンと名乗る。兄弟ギミックも与えられ、スモーキン・ガンズとしてタッグ戦線で活動した。
1996年にスモーキン・ガンズを解散。ボブ・ホーリーとのニュー・ミッドナイト・エクスプレスを経て1998年にはWWF主催の格闘技トーナメント"WWF Brawl for All" で優勝するなど活躍したが、1999年1月に解雇された。
前述のトーナメントでスティーブ・ウィリアムスを「ゴールデンレフト」で破った実績を評価され、解雇前の1998年11月から全日本プロレスに登場し、ジョニー・エースとのコンビで世界タッグ王座を獲得した。その後は主にジム・スティールとタッグを組み、IWGPタッグ王座に挑戦するなどの活躍を見せる。2002年にはチャンピオン・カーニバルで天龍源一郎を倒すものの武藤敬司に敗れ惜しくも準優勝。
全日本プロレスを退団したあとは新日本プロレスへ移籍した。またTNAにも2003年まで所属していた。その後、パートナーであったスティールの怪我などもあり、しばらく表舞台から離れ総合格闘技向けの練習を重ね、2006年の無我ワールド・プロレスリングへの参戦で久々の登場を果たした。
2006年6月17日、Rumble on the Rockのメインイベントでウェズリー・コレイラと対戦し、カットによるドクターストップでTKO勝ち。同年11月5日にはPRIDEに出場。PRIDE 武士道 -其の十三-で美濃輪育久と対戦し、判定負けを喫した。
総合格闘技 戦績 | ||||||
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2 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
1 勝 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 0 | 0 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 美濃輪育久 | 2R(10分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE 武士道 -其の十三- | 2006年11月5日 |
○ | ウェズリー・コレイラ | 1R 1:46 TKO(ドクターストップ) | Rumble on the Rock: Beatdown 1 | 2006年6月17日 |
初代-10代 | |
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11代-20代 |
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21代-30代 | |
31代-40代 | |
41代-50代 | |
51代-60代 | |
61代-70代 | |
71代-80代 | |
81代-90代 | |
91代-100代 |