ポー・グランプリ

ポー市街地コースから転送)

ポー・グランプリ (Grand Prix de Pau) は、フランス南西部のピレネー=アトランティック県ポーの市街地コースで開催される自動車レース。フランスグランプリとして1930年にポー市街地で開催されたあと、1933年より毎年恒例のポー・グランプリとして開催されるようになった。第二次世界大戦中と、2020年-2021年の新型コロナウイルス感染症のパンデミック期間は開催されなかった。

Grand Prix de Pau
ポー=ヴィル・サーキット
レース情報
周回16
コース長2.760 km (1.714 mi)
レース長91.1 km (56.562 mi)
開催回数73
初回1933年
最多勝利
(ドライバー)
イギリスの旗 ジム・クラーク (4)
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 ダラーラ (12)
最新開催(2023年):
ポールポジションカナダの旗 ケヴィン・フォスター
FFSA
1:24.426
決勝順位1. フランスの旗 エンツォ・プジョー
FFSA
00:46:06.988
2. フランスの旗 Evan Giltaire
FFSA
+2.750 s
3. ベルギーの旗 Yani Stevenheydens
FFSA
+6.007 s
ファステストラップ日本の旗 山越陽悠
FFSA
1:18.852
Circuit de Pau-Ville
所在地ポー, フランス
標準時CET (UTC+1)
CEST (DST)
座標北緯43度17分33秒 西経000度21分47秒 / 北緯43.29250度 西経0.36306度 / 43.29250; -0.36306 西経000度21分47秒 / 北緯43.29250度 西経0.36306度 / 43.29250; -0.36306
FIAグレード3
オープン1933年2月19日 (91年前) (1933-02-19)
主なイベント過去開催:
TCR Europe (2023)
フランスF4 (2011–2019, 2022–2023)
FIA ETCR (2022)
FFSA GT (1999, 2001–2003, 2005, 2017–2019)
WTCR Race of France (2022)
Euroformula Open (2019, 2022)
WTCC Race of France
(2007–2009)
フォーミュラ・ルノー・ユーロカップ (2017)
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権 (2011–2012, 2014–2018)
F3ユーロシリーズ (2003–2005, 2008)
FIA ヨーロピアンF3カップ (1999–2003)
国際F3000 (1985–1998)
ヨーロッパF2選手権 (1964–1984)
Grand Prix Circuit (1935–present)
コース長2.769 km (1.721 mi)
コーナー数15
レコードタイム1:09.788 (ドイツの旗 Maximilian Günther, ダラーラ・F316, 2017, F3)
Original Circuit (1933)
コース長2.649 km (1.646 mi)
コーナー数14
レコードタイム2:04.000 (フランスの旗 Philippe Étancelin, Alfa Romeo Monza, 1933, フォーミュラ・リブレ)

概要

市の中心部の一般公道を閉鎖し、市街地コースとして開催され、長年にわたりフォーミュラ1フォーミュラ2フォーミュラ3000フォーミュラ3の様々なルールに準拠して開催されてきた。

2021年にイギリス・Autocar magazineにて「世界のストリートサーキット BEST10」の一つであると評された[1]

コース

このレースは、街の公道を利用してレイアウトされた全長 2.769 km (1.721 マイル) の公道コース「ポー=ヴィル・サーキット」で行われ、多くの点でモナコグランプリに似た特徴を持っている。市の西約 20 km (12マイル) にあるシルキュイ・ポー=アルノサーキット(長さ3.030 km、1986年開業)とは全く別のレーストラックである。

ポー・グランプリでは、路面起伏の多い一般舗装路での走行による影響を最小限に抑えるために、車はレース専用のサーキットでのセッティングよりも大きなサスペンション作動量でセットアップされる。

歴史

フランスグランプリ (1930年)

フランスグランプリの舞台としてポー市街地コースが使用された。

グランプリ・ド・ポーの始まり

1933年2月、まだ雪の残る中で第1回グランプリ・ド・ポーは開催された。ブガッティに乗るマルセル・ルフーが優勝者となった。1934年は開催されず、1935年にボーモント・パークを迂回するルートでイベントが再開された、以後同じコースレイアウトが踏襲されている。

ポーグランプリはほぼ毎年、定期的に開催されたが、第二次世界大戦で中断。戦争が終わったあと1947年に再開された。1949年にはファン・マヌエル・ファンジオポールポジションファステストラップも達成する完全優勝でイベントを制した。

大会の不幸な歴史として1955年4月11日、マセラッティに乗るイタリア人レーサーのマリオ・アルボゲッティがレース中の事故により死亡した。彼はレース中にコース脇の干し草の俵に接触した後、ベダル操作を誤った。1956年に予定されていた大会は、前年のル・マン24時間レースで発生した悲劇的な事故の発生を受けて開催が見送られた。1957年にグランプリの再開のため、参加レーサーと観客の安全性・快適性を高めるコースの改良を行った[2]

これまでF1グランプリに準ずる規定に基づいて運営されたあと、1958年から1960年はフォーミュラ2規定の車両で開催され、1961年からフォーミュラ1のエンジン規定変更を受けモナコグランプリと同様の注目をポーグランプリも浴びるようになった。1960年代はジャック・ブラバムジム・クラークモーリス・トランティニアンなど著名なドライバーがポーでの勝利を勝ち取った。

F2開催期 (1960-1980年代)

1964年からポーグランプリはフォーミュラ2規定の車両で争われることとなったが、引き続いてジム・クラークが連続で勝利を奪った。1967年大会ではジャン=ピエール・ベルトワーズアンリ・ペスカローロがポーでデビューし、ヨッヘン・リントジャッキー・スチュワートなど新たな世代のドライバーがポーで勝利を飾って名を挙げた。

1973年に公道サーキットの公認(ホモロゲーション)に関する問題によって大会の開催が危ぶまれたが、当時の市長であるアンドレ・ラバーレールの個人的な介入によって事態が収束し、中止が回避された。無事開催された同年のレースではフランソワ・セベールが勝利を挙げた。

ポーでの勝利はフランスの若いレーサーの登竜門となり、ジャック・ラフィットパトリック・デパイユルネ・アルヌーなどがポーでの勝利で評価を高めてフォーミュラ1へと進出していった。

F3000開催期 (1985-1998年)

1985年より、これまでのフォーミュラ2に代わってF3000選手権がF1直下のカテゴリーとなり、ポーグランプリはヨーロッパF3000選手権カレンダーに組み込まれた。また、現役のF1パイロットでフランス出身のアラン・プロストが大会の共同主催者に就任した[3]

1988年の国際F3000選手権に遠征し、ポーの公道コースを初めて走った鈴木亜久里はこれ以前に1985年のマカオグランプリに出走しており海外の市街地コースの経験を持っていたが、ポーでの初走行後に「すごいコースですね、とにかく狭いです。あと路面が全部強烈なかまぼこ状で、常識的なコーナリングラインは通れない感じです。アウト側に出たとたんにガードレールへ滑って行くんだけど、日本にはない街道レースで面白そうって感じもあります。そういう形の路面なんですぐに車体のお腹を擦ってしまってアンダーステアが出る。でもマカオよりも少しコーナーの先の方が見えるし、事前に大丈夫かなと思っていた高速コーナーも走ってみると結構行けた。夕べから体調が万全じゃなくなっていたのでしんどかったです。」とコースの特徴を述べている[4]。なお、翌1989年にもフットワーク・フォーミュラ(ムーンクラフト)のオリジナルマシンMC041で片山右京が参戦したが、車体熟成度が低く[5]予選を通過することが出来なかった[6]

1989年大会ではスタート直後に接触という展開が数度続き、計4回の再スタートが必要となる荒れた展開をジャン・アレジが制すると、彼は直後にティレルと契約しF1デビューを果たす。

1994年は4月から5月にかけてF1で死亡事故・重大事故が続いたが、ポーのF3000でもフランス人ドライバーのNicolas Leboissetierがヴィラージュ・ドゥ・ラ・ガールで大きな事故を起こし、会場がショックに包まれた。しかし彼は一命をとりとめて1か月後にレース復帰することが出来た。1993年からはサポートイベントとしてフランス・スーパーツーリング選手権が2000年まで併催された。

1998年末に国際F3000選手権のすべてのレースはヨーロッパで開催されるF1グランプリと併催される決定がFIAによって発効されたため、ポーグランプリはF3000での開催ができなくなった。

2000年代以後

ブラジル人レーサーのÁtila Abreuがドライブするポーのコース (2005)

同じ時期にFIAは新しいフォーミュラ3カップの創設に動いており、ポーグランプリはヨーロッパF3カップに組み込まれることになった。しかし以前よりフランスF3選手権やF3000のサポートレースとしてF3レースはポーで開催されており、加えて、メインレースとしてはレース距離も短いため(F2-F3000開催時は1時間30-40分に設定されていた)、古くからのポーの熱心な観客から不満の感想がもたらされた。

2001年からはフランススーパーツーリングカー選手権(FFSA)が2004年までサポートイベントとして併催され、FFSA GT選手権やイギリスGT選手権もポーグランプリのサポートレースとして2006年まで数名のゲストドライバーと共にポーを訪問した。

2007年からは世界ツーリングカー選手権(WTCC)がポーグランプリのメインレースとなり、2009年まで同規定で開催。2010年は自治体の財政問題により中止された。

2011年からはフォーミュラ3でのレースを復活させ、フォーミュラ・ルノー2.0や電気パワーユニットのマシンで争う「グランプリ・ド・ポー・エレクトリック」を併催イベントとして開催。この新たな電気パワーのカテゴリにはすでに多くのレースキャリアを持つオリビエ・パニスフランク・ラゴルスソエイル・アヤリが参戦した。

2012年大会はイギリスF3選手権のラウンドとして開催されたが、このイベントにはポーでの開催にもかかわらず、フランス人ドライバーが1人もいないという事態が発生した。しかし併催されたポルシェ・カレラカップ・フランスにセバスチャン・ローブが参戦し、後続に10秒以上の大差をつける内容で制したことで、観客は満足度を得た大会となった。観客動員は22000-23000人集まり、2011年より10-15%増やすことが出来た。2013年のMitjet 2Lカテゴリーにはローブに加えてジャック・ヴィルヌーブの参戦が主催者より発表された。また、2013年のみメインフォーミュラがF3ではなく、フォーミュラ・ルノー2.0での開催となった。

2014年から2022年は、FIAヨーロッパF3選手権およびFIA F3選手権のカレンダーに組み込まれた。2019年のポーグランプリF3では、レッドブル・ジュニアチーム角田裕毅リアム・ローソンが出走し、最終メインレースで角田はフロントロウからスタートしたが、スタート時に降り始めた雨のためタイヤ交換を必要とし、ローソンに先行される。しかしローソンは前を走るチームメイトのユリアン・ハンゼスの追い抜きに失敗し追突、リタイアした。優勝はスタート時ピットに入りレインタイヤへと交換する戦略が功を奏したビリー・モンガーが勝ち取り、モンガーにとって2017年に両足が義足となって以後、初の栄冠でありポーはメモリアルレースの舞台となった[7]

2020年と2021年はCOVID-19のパンデミックにより大会は開催されなかった。

2023年からはフランスフォーミュラ4選手権が大会のメインフォーミュラレースとなり、TCRヨーロッパツーリングカーシリーズが併催レースとなっている。イベント期間中には1960年代からのヒストリック・フォーミュラカーが走行するグランプリ・ヒストリック・ポーも行われている。

各年の優勝者

フォーミュラ1

ドライバー車両エントラント
1947年 ネッロ・パガーニマセラティ・4CLスクーデリア・ミラノ
1948年 ネッロ・パガーニマセラティ・4CLエンリコ・プラーテ
1949年 ファン・マヌエル・ファンジオマセラティ・4CLT/48オートモビルクラブ・アルヘンティノ
1950年 ファン・マヌエル・ファンジオマセラティ・4CLT/48スクーデリア・アキーレ・ヴァルジ
1951年 ルイージ・ヴィッロレージフェラーリ・375F1スクーデリア・フェラーリ
1952年 アルベルト・アスカリフェラーリ・500スクーデリア・フェラーリ
1953年 アルベルト・アスカリフェラーリ・500スクーデリア・フェラーリ
1954年 ジャン・ベーラゴルディーニ・T16エキープ・ゴルディーニ
1955年 ジャン・ベーラマセラティ・250Fオフィス・アルフィエリ・マセラティ
1956年前年のル・マン24時間事故を受けコース安全性向上のため非開催
1957年 ジャン・ベーラマセラティ・250Fオフィス・アルフィエリ・マセラティ
1961年 ジム・クラークロータス・18 クライマックスチーム・ロータス
1962年 モーリス・トランティニアンロータス・18/21 クライマックスロブ・ウォーカー・レーシング
1963年 ジム・クラークロータス・25 クライマックスチーム・ロータス

フォーミュラ2 (1958-1984)

ドライバー車両エントラント
1958年 モーリス・トランティニアンクーパー・T43 クライマックスロブ・ウォーカー・レーシング
1959年 モーリス・トランティニアンクーパー・T51 クライマックスロブ・ウォーカーレーシング
1960年 ジャック・ブラバムクーパー・T45 クライマックスエキップ・サンビーム
1964年 ジム・クラークロータス・32 コスワースロン・ハリス チーム・ロータス
1965年 ジム・クラークロータス・35 コスワースロン・ハリス チーム・ロータス
1966年 ジャック・ブラバムブラバム・BT18 ホンダブラバム・レーシング
1967年 ヨッヘン・リントブラバム・BT23 ホンダロイ・ウィンケルマン・レーシング
1968年 ジャッキー・スチュワートマトラ・MS7 コスワースマトラ
1969年 ヨッヘン・リントロータス・59 コスワースロイ・ウィンケルマン・レーシング
1970年 ヨッヘン・リントロータス・69 コスワースヨッヘン・リント・レーシング
1971年 レイネ・ウィセルロータス・69 コスワースLIRA・チーム・ロータス
1972年 ピーター・ゲシンシェブロン・B20 フォードシェブロン・レーシング
1973年 フランソワ・セベールアルピーヌ・A367 フォードエルフ・ジョン・クームス
1974年 パトリック・デパイユマーチ・742 BMW M12/7マーチ・レーシング
1975年 ジャック・ラフィットマルティニ・Mk16 BMW M12/7オートモビル・マルティニ
1976年 ルネ・アルヌーマルティニ・Mk19 ルノーオートモビル・マルティニ
1977年 ルネ・アルヌーマルティニ・Mk22 ルノーエキュリー・ルノー・エルフ
1978年 ブルーノ・ジャコメリマーチ・782 BMW M12/7BMWジュニアチーム
1979年 エディ・チーバーラルト・RH6/80 ホンダRA260Eラルト・レーシング
1980年 リチャード・ダーレストAGS・JH17 BMW M12/7エキュリー・モチュール GPA
1981年 ジェフ・リースラルト・RH6/81 ホンダ RA261Eラルト・レーシング
1982年 ジョニー・チェコットマーチ・822 BMW M12/7マーチ・エンジニアリング
1983年 ヨー・ガルトナースピリット・201 BMW M12/7EMCOスポーツ
1984年 マイク・サックウェルラルト・RH6/84 ホンダ RA264Eラルト・レーシング

F3000 (1985-1998)

ドライバー車両エントラント
1985年 クリスチャン・ダナーマーチ・85B コスワース DFVオニクス・レースエンジニアリング
1986年 マイク・サックウェルマーチ・86B コスワース DFVマールボロ・オニクス・レースエンジニアリング
1987年 ヤニック・ダルマスマーチ・87B コスワース DFVマールボロ・レーシング・フランス
1988年 ロベルト・モレノレイナード・88D コスワース DFVブロムレイ・モータースポーツ
1989年 ジャン・アレジレイナード・89D コスワース DFVCAMELエディ・ジョーダン・レーシング
1990年 エリック・ヴァン・デ・ポールレイナード・90D コスワースDFVGAモータースポーツ
1991年 ジャン=マルク・グーノンラルト・RT23 コスワースDFV3001インターナショナル
1992年 エマニュエル・ナスペッティレイナード・92D コスワースDFVフォルティ・コルセ
1993年 ペドロ・ラミーレイナード・92D コスワースDFVクリプトン・エンジニアリング
1994年 ジル・ド・フェランレイナード・94D ザイテック・ジャッドポール・スチュワート・レーシング
1995年 ヴィンセンツォ・ソスピリレイナード・95D コスワース DFVスーパーノヴァ・レーシング
1996年 ヨルグ・ミューラーローラ・T96/50 ザイテックRSMマルコ
1997年 ファン・パブロ・モントーヤローラ・T96/50 ザイテックRSMマルコ
1998年 ファン・パブロ・モントーヤローラ・T96/50 ザイテックスーパーノヴァ・レーシング

フォーミュラ3 (1999-2022)

ドライバー車両エントラント
1999年 ブノワ・トレルイエダラーラ・F399 ルノーシグナチュール・チーム
2000年 ジョナサン・コシェダラーラ・F399 ルノーシグナチュール・チーム
2001年 アンソニー・デビッドソンダラーラ・F301 無限 MF204Aカーリン・モータースポーツ
2002年 ルノー・デルロダラーラ・F302 ルノーシグナチュール・チーム
2003年 ファビオ・カルボーンダラーラ・F302 ルノーシグナチュール・チーム
2004年 ニコラ・ラピエールダラーラ・F304 ルノーシグナチュール・チーム
2005年 ルイス・ハミルトンダラーラ・F305 AMGメルセデスASMフォーミュラ3
2006年 ロマン・グロージャンダラーラ・F305 メルセデスHWAシグナチュールプラス
2011年 マルコ・ヴィットマンダラーラ・F308 VWシグナチュール・チーム
2012年 ラファエレ・マルシエロダラーラ・F312 メルセデスプレマパワーチーム
2014年 フェリックス・ローゼンクビストダラーラ・F312 メルセデスMücke Motorsport
2015年 アントニオ・ジョヴィナッツィダラーラ・F315 VWJagonyaAyam withカーリン
2016年 アレッシオ・ロランディダラーラ・F315 VWカーリン
2017年 マクシミリアン・ギュンターダラーラ・F316 メルセデスプレマパワーチーム
2018年 ラルフ・アロンダラーラ・F317 メルセデスプレマパワーチーム
2019年 ビリー・モンガーダラーラ・F317 VWカーリン
2020年COVID-19の世界的流行の影響で非開催
2021年
2022年 ウラジスラフ・ロムコダラーラ・320CryptoTower Racing

フォーミュラ4 / フォーミュラ・ルノー2.0

ドライバー車両エントラント
2013年 ルカ・ギオットタトゥース・FR2.0/13 ルノープレマ・パワーチーム
2023年 エンツォ・プジョーミゲール・M21-F4FFSAアカデミー
※ 2013年はフォーミュラ・ルノー2.0での開催。2023年からフォーミュラ4での開催。

ラップレコード

非公式の歴代記録では1992年ポー・グランプリ予選中に、レイナード・92Dに乗ったアンドレア・モンテルミーニによって樹立された1:08.600である。公認の記録は以下の表にて。

カテゴリータイムドライバーマシンイベント
Grand Prix Circuit (1935–present): 2.769 km
F31:09.788[8]マクシミリアン・ギュンターダラーラ・F3162017 Pau F3 European Championship Race 2
F30001:09.820[9]エマニュエル・ナスペッティレイナード・92D1992 Pau Grand Prix
ユーロフォーミュラ・オープン1:10.608[10]Oliver Goetheダラーラ・3202022 Pau Euroformula Open Race 1
インターナショナル・フォーミュラ・マスター1:11.703[11]Fabio Leimerタトゥース N.T072009 Pau Formula Master round
F21:12.370[12]ケニー・アチソンラルト・RH6/821982 Pau Grand Prix
フォーミュラ・ルノー2.01:13.812[13]Martin Kodrićタトゥース FR2.0/132015 Pau Formula Renault 2.0 Alps
F41:17.091[14]Enzo Peugeotミゲール M21-F42023 Pau French F4
GT1 (GTS)1:18.346[15]ボリス・デリチェブール[16]クライスラー・ヴァイパーGTS-R2003 Pau FFSA GT
TCRツーリングカー1:21.331[17]Mikel Azconaヒュンダイ・エラントラ N TCR2022 FIA WTCR Race of France
GT41:21.806[18]Simon Gachetアウディ・R8 LMS GT42019 Pau FFSA GT
シルエットレーシングカー1:22.130[19]アンソニー・ベルトワーズフォード・モンデオ シルエット2002 Pau French Supertouring
GT31:22.158[20]Arnaud Peyroles[21]ダッジ・バイパー コンペティションクーペ2006 Pau FFSA GT round
スーパー20001:22.682アウグスト・ファルフスBMW・320si2008 FIA WTCC Race of France
eツーリングカー1:23.894[22]トム・ブロンクビストセアト・レオン Cupra e-Racer2022 Pau FIA ETCR
ルノー・クリオCup1:28.255[23]Nicolas Milanルノー・クリオR.S. IV2017 Pau Renault Clio Cup France
F11:33.400[24]ジム・クラークロータス・241962 Pau Grand Prix
グループ31:43.100[25]Olivier Gendebienフェラーリ・250GT1958 3Hours of Pau
GP1:46.800[26]マンフレート・フォン・ブラウヒッチュメルセデス・ベンツ・W1541939 Pau Grand Prix
Formula Libre1:51.700[27]タツィオ・ヌヴォラーリアルファロメオ・ティーポB1935 Pau Grand Prix
Original Circuit (1933): 2.649 km
Formula Libre2:04.000[28]Philippe Étancelinアルファロメオ・モンツァ1933 Pau Grand Prix

脚注

関連事項

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