ホルボーン駅

イングランドの鉄道駅

ホルボーン駅もしくはホウバン駅 (ホルボーンえき、英語: Holborn station[ˈhoʊbərn]) は、ロンドン都心部のロンドン地下鉄鉄道駅である。カムデン区ホルボーンを南北に通るキングスウェイと東西に通るハイ・ホルボーン英語版が交わる場所にあり、ピカデリー線セントラル線の列車が発着する。

ホルボーン駅
Holborn station
ホルボーン駅の位置(グレーター・ロンドン内)
ホルボーン駅
ホルボーン駅
グレーター・ロンドンの地図上でのホルボーン駅の位置
所在地

88-94 Kingsway, LONDON, WC2B 6AA

北緯51度31分02秒 西経0度07分12秒 / 北緯51.51722度 西経0.12000度 / 51.51722; -0.12000
行政区カムデン区
運営ロンドン地下鉄
路線ピカデリー線
セントラル線
駅構造地下駅
ホーム数4
ゾーン1
地下鉄年間乗降員数
200525.074百万人
200731.106百万人[1]
歴史
1906年
1907年
1933年
1994年
開業(GNP&BR)
アルドウィッチ支線開業
セントラル線開業
アルドウィッチ支線廃止
WGS84北緯51度31分03秒 西経0度07分12秒 / 北緯51.5174度 西経0.1201度 / 51.5174; -0.1201 西経0度07分12秒 / 北緯51.5174度 西経0.1201度 / 51.5174; -0.1201
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ピカデリー線ではコヴェント・ガーデン駅ラッセル・スクウェア駅の間、サークル線ではトテナム・コート・ロードチャンスリー・レーンの間にある。

大英博物館の最寄り駅で、プラットホームには博物館の所蔵物のポスターが貼られている。

駅の入口はキングスウェイとハイ・ホルボーン沿いにある。トラベルカード・ゾーン1に含まれる。

沿革

ホルボーン駅は1906年12月15日に、グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道(GNP&BR, 現在のピカデリー線にあたる)が開業した。当時の駅名は「ホルボーン(キングスウェイ)」(Holborn (Kingsway))といった。駅のさらに地下にはセントラル・ロンドン鉄道(CLR, 現在のセントラル線)が通っていたが、当時はセントラル線の方にはこの場所に駅がなく、250メートル西に「ブリティッシュ・ミュージアム駅」があった。

当初予定されていたホルボーン駅とストランド駅(後のアルドウィッチ駅)を結ぶアルドウィッチ支線(Aldwych branch)は建設の遅れで1907年11月30日になりようやく開通した。ほんの一駅の間をシャトル運行するこの路線は当初より乗客が少なく、第二次大戦時には一時的に廃止され路線全部が防空壕と化し、戦後も平日のラッシュ時のみ運転されるような状態が続き、ついに1994年に廃止された。現在のアルドウィッチ駅は映画などの撮影のために開放されるのみである。ホルボーン駅にあったアルドウィッチ支線用のホームは、ロンドン地下鉄による新型の案内用サインや広告システムの設置テストに使用されている。

ホルボーン駅の地下を走るCLRのトンネルを工事で拡大し、両線の間の乗換駅を作る案は1913年より具体化したが、第一次世界大戦勃発で実現しなかった。1930年代初頭にロンドン各地の地下鉄駅が近代化されたのと同じ時期にホルボーン駅も近代化され、駅出口はモダニズム様式にデザインし直され、セントラル線に新設されたプラットフォームから地上へは長大なエスカレーターで結ばれた。セントラル線のホルボーン駅が1933年9月25日に開業するのと同時にブリティッシュ・ミュージアム駅は廃止された。

1980年7月9日13時28分、セントラル線のホルボーン駅では、西行きホームで停車中だった13時17分発の電車に別の電車が追突する事故が起こり、乗客20人と運転士1人が負傷した[2]

近隣の名所

ホルボーン駅&近隣 ギャラリー

その他

ハワード・ジョーンズ楽曲 ニューソング(1984年)のミュージック・ビデオロケーション撮影は当駅で行われた。

隣の駅

ロンドン交通局
ロンドン地下鉄
セントラル線
トテナム・コート・ロード駅 - ホルボーン駅 - チャンスリー・レーン駅
ピカデリー線
コヴェント・ガーデン駅 - ホルボーン駅 - ラッセル・スクウェア駅

脚注

外部リンク