フーラードFC

イランのサッカークラブ

フーラード・フーゼスターンFC (ラテン文字:Foolad Khuzestan Football Club、ペルシア語: باشگاه فوتبال فولاد خوزستان‎) はイランアフヴァーズを本拠地とするサッカークラブである。

フーラードFC
原語表記باشگاه فوتبال فولاد خوزستان
創設1986年
所属リーグイラン・プロリーグ
ホームタウンアフヴァーズ
ホームスタジアムガディール・スタジアム
収容人数51,000
代表者Alireza Ajdarizadeh
監督イランの旗 Sirous Pourmousavi
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

フーラードはペルシア語で「鉄鋼」を意味し、現在のメインスポンサーがフーゼスターン州の鉄鋼会社であることから名付けられている。中国で開催されたAFCアジアカップ2004では、サッカーイラン代表に最大となる6人を輩出し、特に準々決勝で韓国を4-3で破った試合ではフーラード出身の選手が多く活躍した。2004-05シーズン、フーラードはイラン・プロリーグ (IPL) 4つ目の優勝クラブとなり、30試合で64ポイントの勝ち点を獲得した。その後も数年は上位につけていたが、クラブ内で内紛が起こるなどして多くの主力選手を引きぬかれ、2006年のACLでは低調なパフォーマンスに終始した。2007年、クラブは2部リーグのアーザーデガーン・リーグへと降格したが、1年で1部リーグへと復帰した。

クラブの歴史

設立

Foolad's Fans In Ahwaz

フーラードは1996年にジョヌーブ・アフヴァーズFCが解散するまで注目されるクラブではなかった。フーラードは1991年にアフヴァーズ市選手権で優勝し、2年後にはフーゼスターン州サッカーリーグの2部リーグに参加した。

アーザーデガーン・リーグまでの道のり

フーラードはフーゼスターン州2部リーグで2年目を戦っていた1995年、彼らは州リーグで優勝した。同じ年、Jonoob Ahvaz FCは解散を決め、フーラードが入れ替わりでイランサッカーリーグ2部に参加することを承認した。1996年、ホマーユーン・シャーフロフィーが監督に就任し、チームは1部へと昇格した。フーラードは1986年にアフヴァーズ市4部リーグから10年で国内最上位サッカーリーグへ昇格したことになる。

イラン・プロリーグ

昇格以降、クラブは国内の才能ある若手選手を多く発掘していった。クラブはその後「アフヴァーズ製鋼」がメインスポンサーに就き、財政状況が大幅に改善された。クラブはそのポテンシャルを開花させ、イラン・プロリーグ2004-05シーズンには優勝を果たした。しかし、クラブの内紛や監督問題からAFCチャンピオンズリーグ2006では実力を発揮することができなかった。優勝時のスタープレーヤーやMVP獲得選手はレンタル移籍などで次第にUAEアル・シャバーブなどへ移籍していった。クラブはスタジアム改修のため現在は近隣の都市のアーバーダーンにあるタフティー・スタジアム英語版で試合を開催している。

2005-06を中位の8位で終え、フーラードは前イラン代表監督のモハマド・マーイーリー・コハンとともに2006-07シーズンを開始したが、彼は成績低迷のためシーズン途中で辞任した。ユースアカデミー監督のネマド・ニコリッチが監督代行を行った後ポルトガル人監督のアウグスト・イナシオが次期監督に就任した。フーラードは2006-07シーズンを15位で終え、2部のアーザーデガーン・リーグへと降格することになった。翌シーズンには昇格プレーオフで敗れ残留が一旦決まったが、数週間後に1部リーグに昇格が決まったセパハン・ノヴィーンから1部参加の権利を買い、イラン・プロリーグ1部に復帰した。2008-09シーズンにはマジード・ジャラーリーが監督に就任しクラブは好成績をあげていたが、クラブ代表のSeifollah Dehkordiが他の監督と契約交渉を行なっていたことが発覚したため、監督を辞任した。しかし、次期監督に就任したルカ・ボナチッチは最初の8節で1勝しかできずクラブは監督を解任、マジード・ジャラーリーが次期監督に就任しクラブは10位でシーズンを終えた。

ユースアカデミー

2000年、フーラードはユースアカデミーを開設し、今日では400人以上のプロサッカー選手を輩出している。イーマーン・モブアーリー、アーラシュ・アフシーン、バフティヤール・ラフマーニーカーヴェ・レザーイーなどの選手を輩出している。セパハンとともに、イランでは屈指のユースアカデミーを擁している。

アフヴァーズ・ダービー

シーズン別の成績

シーズン順位ハズフィー・カップACL
1997-981部10位非開催不参加
1998-991部7位
1999-20001部10位
2000-011部8位ベスト8
2001-021部3位ベスト8
2002-031部7位
2003-041部3位ベスト8
2004-051部優勝
2005-061部8位ベスト161回戦
2006-071部15位ベスト8不参加
2007-082部プレーオフベスト4
2008-091部7位ベスト8
2009-101部10位ベスト16
2010-111部6位ベスト4
2011-121部14位ベスト8
2012-131部4位ベスト16
2013-141部優勝ベスト4ラウンド16
2014-151部5位ベスト32グループステージ
2015-161部12位ベスト16不参加
2016-171部10位ベスト16

1997-2000:アーザーデガーン・リーグ
2001-2005:イラン・プロリーグ
2006-2013:ペルシア・ガルフ・カップ
2014-:ペルシアン・ガルフ・プロリーグ

獲得タイトル

現所属メンバー

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アリーレザー・サリーミー
3DF レオナルド・メサリッチ
4DF アイユーブ・ヴァーリー
5MF メフディー・バドルルー
7FW ソルーシュ・ラフィーイー
8FW サーサーン・アンサーリー
9FW イーマーン・ムーサヴィー
10FW エスマーイール・シャリーファート
11MF バフティヤール・ラフマーニー
14MF シェハーブ・キャラミー
15MF マティアス・チャゴ
16FW アーラシュ・アフシーン
19DF バフマーン・カーメル
20MF アフマド・アブドッラーザーデ
21DF オミード・ハーレディー
No.Pos. 選手名
22FW メフディー・ニヤーイシュプール
23MF ヴァリード・マシャーイーザーデ
24DF メフルダード・ジャマーアティー
25DF モハンマド・アハレ・シャーヘ
26FW バフマン・ジャハーンティーグ
27DF レザー・アフマディー
29MF アリー・シーナー・ラッバーニー
31GK ミーラード・ホマーユーニー
32MF ハーディー・ハビービーネジャード
33DF スルーシュ・サイーディー
40DF ユーセフ・ヴァキヤー
63GK エルシャード・ユーセフィー
-GK ベフナーム・ムーサヴィー
-DF アリー・ゴルバーニー

[1]

歴代監督

  • ホマーユーン・シャーフロフィー (1996–97)
  • レフテー・セバラダラン (1997–98)
  • マジード・バゲリーニヤー (1998–99)
  • ヴィンコ・ベゴヴィッチ (1999–03)
  • ルカ・ボナチッチ (2003–04)
  • ムラデン・フランチッチ (2004–06)
  • ネナド・ニコリッチ (2006)
  • モハンマド・マーイリー・コハン (2006–07)
  • アブドッラー・ヴェイシー (2007年7月-2007年12月)

  • ネナド・ニコリッチ (代行) (2007)
  • アウグスト・イナシオ (2007年1月-2008年4月)
  • ギリェルメ・ファリーニャ (2008)
  • マジード・ジャラーリー (2007–09)
  • ルカ・ボナチッチ (2009年7月–9月)
  • マジード・ジャラーリー (2009-2012年6月)
  • ホセイン・ファラキー (2012年7月-2014年)
  • ドラガン・スコチッチ (2014年-2016年)
  • ナイム・サダヴィ(2016年-2017年)

空番

12 – サポーター [2]

歴代所属選手

太字はクラブ在籍当時ナショナルチームに招集された選手を表す。

イラン
AFC
CAF
CONMEBOL
  • ファビオ・ヘンペル
  • ジャヌアリオ
UEFA
  • マフムード・クルバノフ
  • ラシャド・サディゴフ
  • ムラデン・バルトロヴィッチ
  • ジャバ・ムジリ

脚注

外部リンク


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