フリッツ・シュトロベンツ

フリッツ・シュトロベンツ、ハンガリー名、シュトロベンツ・フリジェシュ(Fritz Strobentz 、ハンガリー名:Strobentz Frigyes、1856年7月25日 - 1929年6月5日)はハンガリー生まれの画家である。おもにミュンヘンで活動した。

フリッツ・シュトロベンツ
Fritz Strobentz
自画像
誕生日1856年7月25日
出生地ハンガリー,ペシュト
死没年1929年6月5日
死没地ドイツ,ミュンヘン
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略歴

ハンガリーのペシュトで生まれた。1877年から1880年まで、デュッセルドルフ美術アカデミーで、フーゴー・クローラやハインリヒ・ラウエンシュタインヨハン・ピーター・テオドール・ヤンセンエドゥアルト・フォン・ゲープハルト、ユリウス・レーティングといった教師たちから学んだ[1] 。1880年9月にミュンヘン美術院に移り、ルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ。

その後、ミュンヘンに定住し、ミュンヘンの画家が多く活動したダッハウの芸術家村で活動し、1880年代から外光派の画家として活動した。1892年に設立された「ミュンヘン分離派」の設立メンバーとなり、分離派のレオ・プッツのグループのメンバーであった。ミュンヘン芸術家組合(Münchner Künstlergenossenschaft)から分裂して作られた「Luitpold-Gruppe」の初期のメンバーであった。1904年のドイツ芸術家協会(Deutscher Künstlerbund)と「ミュンヘン分離派」の合同展に出展した[2] 。ミュンヘン分離派の画家、フランツ・フォン・シュトゥックフリッツ・フォン・ウーデと親しかった。

ハンガリーの展覧会にも出展し、1907年にハンガリーの美術愛好家団体のシニェイ・メルシェ・パール協会(Szinyei Merse Pál Társaság)の創立会員になった。

ミュンヘンで没した。

作品

脚注

参考文献

  • Strobentz, Frigyes (Fritz). In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 32: Stephens–Theodotos. E. A. Seemann, Leipzig 1938, S. 196.
  • Enikő Buzási: Strobentz, Frigyes (1856–1929), Maler. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 13, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 2010, ISBN 978-3-7001-6963-5, S. 413.