フランス領コンゴ

かつてアフリカ中央部に存在したフランスの植民地
フランス領コンゴ
Congo français (フランス語)
コンゴ王国
ロアンゴ王国
オルング王国
1882年 - 1910年フランス領赤道アフリカ
フランス領コンゴの国旗
(国旗)
フランス領コンゴの位置
フランス領コンゴの領土(1911年)
公用語フランス語
言語コンゴ語
ファン語
ミエネ語
リンガラ語
宗教イスラム教
キリスト教
伝統信仰
ブウィティ英語版
首都ブラザヴィル
総督
1883年1月 - 1897年ピエール・ブラザ
1897年 - 1898年Louis Albert Grodet
1898年 - 1901年Henri Félix de Lamothe
1901年 - 1903年エイミール・ジェンティール英語版
変遷
設立1882年[1]
中コンゴと改名1903年
フランス領赤道アフリカに編入1910年
通貨フランス・フラン
現在コンゴ共和国の旗 コンゴ共和国
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ共和国
ガボンの旗 ガボン
コンゴの歴史
コンゴ王国
コンゴ自由国フランス領コンゴポルトガル領
コンゴ
ベルギー領コンゴフランス領
赤道アフリカ
ポルトガル領
アンゴラ
コンゴ共和国コンゴ共和国アンゴラ
人民共和国
コンゴ民主共和国
ザイール共和国コンゴ人民共和国
コンゴ民主共和国コンゴ共和国アンゴラ

フランス領コンゴフランス語: Congo français)又は中コンゴフランス語: Moyen-Congo)は、フランスの植民地である。現在のコンゴ共和国ガボン中央アフリカ共和国を領域とした。

歴史

1880年9月10日、フランス領コンゴはブラザヴィルで始まった。コンゴ川北岸に暮らすテケ人英語版に対する保護領だった[1]

1882年11月30日、公式に建国された[1]

1884年1885年ベルリン会議で確定した。カビンダカメルーンコンゴ自由国との国境は次の10年間に条約で確定した。植民地を発展させる為に、フランスの30社に租借地を与えた。会社は象牙ゴム材木を扱ったが、これらの「商売」は、多くの場合非道な行いや現地人の奴隷化を伴った。しかし、利益を上げた会社は約10社に過ぎなかった。フランス領コンゴは「ガボン・コンゴ」とも呼ばれた[2]

1891年ガボンを併合した[1]

1903年、「中コンゴ」に改名した。

1906年、ガボンと分離した。マルセイユで開催された植民地展示会英語版で、「フランス領コンゴの拡大」が出版された[3]

1910年フランス領赤道アフリカに併合された。

総督

中コンゴになるまでに、4人の総督が務めた。[1]

関連項目

脚注

参考資料

  • Petringa, Maria. Brazza, A Life for Africa. Bloomington, IN: AuthorHouse, 2006. ISBN 978-1-4259-1198-0. Describes Pierre Savorgnan de Brazza's extensive explorations of what became French Congo, and later, French Equatorial Africa.

外部リンク