ビリー・バトラー

アメリカの野球選手 (1986 - )

ビリー・レイ・バトラーBilly Ray Butler, 1986年4月18日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州クレイ郡オレンジパーク英語版出身の元プロ野球選手指名打者一塁手)。右投右打。

ビリー・バトラー
Billy Butler
オークランド・アスレチックス時代
(2015年8月14日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地フロリダ州クレイ郡オレンジパーク英語版
生年月日 (1986-04-18) 1986年4月18日(38歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション指名打者一塁手
プロ入り2004年 MLBドラフト1巡目(全体14位)で
カンザスシティ・ロイヤルズから指名
初出場2007年5月1日
最終出場2016年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入りとロイヤルズ時代

2004年MLBドラフト1巡目(全体14位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、プロ入り。同年は傘下のパイオニアリーグのルーキー級アイダホフォールズ・チュカーズ英語版でプロ1年目を終えた。

2005年はA+級ハイデザート・マーベリックスとAA級ウィチタ・ラングラーズに在籍し、カロライナリーグの最優秀新人に選出された[1]

2006年もAA級ウィチタでプレー。119試合に出場して、打率.331・15本塁打・96打点という成績を残し、オールスター・フューチャーズゲームではMVPに選出された[2]

2007年5月1日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビューを果たしたが、10試合にメジャーで出場した後にマイナーへ降格。6月19日にマイク・スウィーニー故障者リスト入りしたため、メジャーに復帰[3]。ロイヤルズで92試合に出場し、打率.292・8本塁打・52打点の成績でメジャー1年目を終えた。

2008年は、前半戦終了時点で2本塁打・19打点という数字しか残せていなかった。しかし後半戦は57試合の出場で、打率.305・9本塁打・36打点という成績を残した。

2009年はチーム1位となる183安打・51二塁打・58四球・93打点を記録。二塁打はハル・マクレーに次いで球団歴代2位となった[4]

2010年は、158試合に出場していずれも自己最高となる打率.318・189安打を記録した。

2011年1月22日に4年3000万ドル(オプションも含めると最大で5年4250万ドル)でロイヤルズと契約を延長した[5]。このシーズンから打撃に専念するため、指名打者で出場するようになった。自己最多タイとなる159試合に出場し、打率.291・19本塁打・95打点という成績をマーク。3年連続打率3割には届かなかったものの、打点で自己記録を更新した。

2012年は、キャリアで初めてオールスターに選出された[6]。この年はキャリアイヤーとなり、安打・本塁打・打点等の部門で自己最高の数字を残したほか、打率も2年ぶりに3割台に復帰した。シーズンオフ、シルバースラッガー賞(指名打者部門)にも選出された。

2013年、全162試合に出場したが、打撃部門の多くで前年より数字を落とした。

2014年、チームはア・リーグを制覇したが、バトラーの成績は不振だった。10本塁打未満に終わったのはデビューイヤー以来の事であった。シーズンオフにオプションを破棄され、FAとなった。また、後述の移籍が決まった後には、地元の有力紙『カンザスシティ・スター』の広告ページを1ページ自腹購入し、感謝のメッセージを載せて別れを告げている[7]

アスレチックス時代

2014年11月19日にオークランド・アスレチックスと総額3000万ドルの3年契約[8]を結んだ[9][10]

2015年は7年連続150試合以上となる151試合に出場した。二塁打を28本放って通算300二塁打を達成、ホームランも2年ぶりの15本以上だったが、前年の自己ワーストを更に更新する打率.251に留まった。

2016年8月19日にクラブハウス内でチームメートのダニー・バレンシアと取っ組み合いの喧嘩し、その影響でDL入りした[11]。この影響もあってか、9月11日に自由契約となった[12]。この年は、チームを出るまでに85試合に出場し、打率.276・4本塁打・31打点という打撃成績だった。

ヤンキース時代

2016年9月15日にニューヨーク・ヤンキースとメジャー契約を結んだ。ヤンキース加入後は12試合に出場。打率.345・1本塁打・4打点だった。オフの11月3日にFAとなった[12]

ヤンキース退団後

以降はいずれの球団とも契約を結ぶことができず、正式に引退発表はしていなかったものの、2018年にはアイダホ州ソフトボールリーグでプレーした[13][14]

2021年より、独立リーグパイオニアリーグに所属するアイダホフォールズ・チュカーズ[注 1]の打撃コーチに就任した[15]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007KC92360329389623281475200022752558.292.347.447.794
2008124478443441222201117755010233005723.275.324.400.724
20091596726087818351121299931004583210320.301.362.492.853
2010158678595771894501527978000969857832.318.388.469.857
20111596735977417444019275952107661539516.291.361.461.822
201216167961472192321293131072104549711120.313.373.510.882
201316266858262168270152408200047911310228.289.374.412.787
201415160354957149320920866000841359621.271.323.379.702
2015OAK1516015386313528115210650004524710126.251.323.390.713
201685242221246116048931000219003413.276.331.403.733
NYY123229310201154000120080.345.375.517.892
'16計972742502771180510435000321104213.284.336.416.752
MLB:10年141456865105592147932251472252728530475005934798194.290.354.441.795
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁(1B)左翼(LF)
























2007KC1379826.97864010.800
2008342339227.992-
200914511419210123.992-
20101271002966101.995-
2011118680101.000-
20122014715318.982-
20137560041.000-
20143727224226.993-
2015OAK7497041.000-
20162297728.981-
NYY316212.947-
'16計251139310.976-
通算426312826828329.99264010.800

表彰

MiLB
MLB

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 21(2007年)
  • 16(2008年 - 2016年9月11日)
  • 36(2016年9月15日 - 同年終了)

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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