カラワンに残されていた、マックロットの墓石(1920年から1935年のいずれかの時期に撮影) | |
人物情報 | |
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生誕 | (1799-10-22) 1799年10月22日 ドイツフランクフルト・アム・マイン |
死没 | 1832年5月12日(1832-05-12)(32歳没) インドネシアジャワ島 |
出身校 | ハイデルベルク大学 |
学問 | |
研究分野 | 博物学 |
研究機関 | オランダ国立自然史博物館 |
学位 | 博士号 |
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[[File:|thumb|]]ハインリッヒ・クリスチャン・マックロット(Heinrich Christian Macklot、1799年10月20日 - 1832年5月12日)はドイツの博物学者。
1799年、フランクフルト・アム・マイン生まれ。ハイデルベルク大学で医学を学び、1822年に博士号を取得。
同1822年、ライデンのオランダ国立自然史博物館(en、nl:ナチュラリス生物多様性センターの前身のひとつ)に職を得た。大規模な博物学的事業であった 自然誌委員会(nl:Natuurkundige Commissie voor Nederlands-Indië) の一環として、博物館の所有する動植物の標本などを収集するために、マックロットは、ハインリッヒ・ボイエ(英語版)やサロモン・ミューラー(英語版)とともに、アジアへ派遣された。マックロットは、1828年から1830年にかけて、コルベット「トリトン (HM Triton)」に乗船して、ニューギニア島とティモール島を訪れた。1832年5月12日、ジャワ島で発生していた反乱の最中に、マックロットは殺害された[1][2]。
1837年、コンラート・ヤコブ・テミンクは、スンダオオコウモリ(英語版)に、マックロットへの献名として Acerodon mackloti と名付けた。このほかにもマックロットの名が付けられた動物学上の種や亜種には以下のようなものがある。
植物の属名 Macklottia は、ピーター・ウィレム・コルトハルスがマックロットへ献名したものであり、ギョリュウバイ属(Leptospermum)の別名とされている[1][5]。