ヌーア

ヌーア (Noor) は、アイルランドで生まれ、イギリスアメリカ合衆国調教を受けた競走馬ナスルーラの初年度産駒で、サイテーションを4度に渡って破るなど活躍し、ナスルーラがアメリカに輸入されるきっかけを作った。20世紀のアメリカ名馬100選では第69位に選ばれている。

ヌーア
欧字表記Noor
品種サラブレッド
性別
毛色黒鹿毛
生誕1945年
死没1974年
ナスルーラ
Queen of Baghdad
母の父バーラム
生国アイルランドの旗 アイルランド
生産者His Highness Aga Khan
馬主His Highness Aga Khan
Charles S. Howard
調教師Frank Butters(イギリス)
→Burley Parke(アメリカ)
競走成績
生涯成績31戦12勝
獲得賞金394,863ドル(米貨換算)
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戦績

イギリス時代

ヌーアはアーガー・ハーン3世の持ち馬として2-3歳時はイギリスで走った。2歳時にハンデ戦で2勝をあげると、3歳時はクラシックに挑戦。だが、ぶっつけで挑んだ2000ギニーは9着、続くエプソムダービーは3着に終わる。古馬に挑んだエクリプスステークスでは1番人気に支持されるが、ペティション、サヤラジオに僅かに及ばず3着。続くダイオメドステークスで重賞初制覇を飾り、秋は最後の一冠セントレジャーステークスに挑むが8着に終わる。この後61キログラムの斤量を克服してグレートフォールステークスを制するが、大舞台ではもう一歩の成績が続いたためかアメリカへの売却が決まる。イギリス時代の通算成績は13戦4勝であった。

アメリカ時代

グレートフォールステークスから約一年、じっくりと調教を積んだヌーアは10月からレースに復帰し、6戦を重ねるが僅か一勝に終わる。しかし年が明けると一気に才能が開花し、5歳2月のサンアントニオハンデキャップでは三冠馬サイテーションに半馬身差まで迫る3着。そして西海岸の最強決定戦・サンタアニタハンデキャップサンフアンカピストラーノハンデキャップ、フォーティナイナーズハンデキャップ、ゴールデンゲートハンデキャップと、4戦連続でサイテーションを破る快挙を成し遂げる。しかも4戦全てレコードのおまけ付きで、ナスルーラの底力とスピードをアメリカの生産者の目に焼き付けた。秋はジョッキークラブゴールドカップヒルプリンスに敗れるものの、ハリウッドゴールドカップではアソールト、ヒルプリンスの2頭のダービー馬をまたしてもレコードで破り、このレースを最後に引退した。

種牡馬成績

血統表

ヌーア血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ナスルーラ系
[§ 2]

Nasrullah
1940 鹿毛
父の父
Nearco
1935 黒鹿毛
PharosPhararis
Scapa Flow
NogaraHavresac
Catnip
父の母
Mumtaz Begum
1932 鹿毛
BlenheimBlandford
Malva
Mumtaz MahalThe Tetrarch
Lady Josephine

Queen of Baghdad
1937 黒鹿毛
Bahram
1932 鹿毛
BlandfordSwynford
Blanche
Friar's DaughterFriar Marcus
Garron Lass
母の母
Queen of Scots
1930 黒鹿毛
Dark LegendDark Ronald
Golden Legend
Grand PrincessGrand Parade
Queen Empress
母系(F-No.)16号族(FN:16-h)[§ 3]
5代内の近親交配Blandford M3×S4 = 18.75%[§ 4]
出典


脚注

外部リンク