ドミトロ・チグリンスキー

ウクライナのサッカー選手

ドミトロ・アナトリヨヴィチ・チグリンスキーウクライナ語: Дмитро Анатолійович Чигринський, 1986年11月7日 - )は、ウクライナフメリニツキー州イジャスラウ出身のサッカー選手イオニコスFC所属。ポジションはDF

ドミトロ・チグリンスキー
名前
本名ドミトロ・アナトリヨヴィチ・チグリンスキー
Dmytro Anatoliyovych Chygrynskiy
ラテン文字Dmytro Chygrynskiy
ウクライナ語Дмитро Анатолійович Чигринський
基本情報
国籍 ウクライナ
生年月日 (1986-11-07) 1986年11月7日(37歳)
出身地イジャスラウ
身長190cm
体重85kg
選手情報
在籍チームギリシャの旗 イオニコスFC
ポジションDF
背番号16
利き足右足
ユース
ウクライナの旗 UFKリヴィウ
クラブ1
クラブ出場(得点)
2002ウクライナの旗 カルパティ・リヴィウ 2 (0)
2002-2005ウクライナの旗 シャフタール-2 43 (2)
2002-2009ウクライナの旗 シャフタール 83 (7)
2005-2006ウクライナの旗 メタルルフ・Z (loan) 15 (2)
2009-2010スペインの旗 バルセロナ 12 (0)
2010-2015ウクライナの旗 シャフタール 37 (4)
2015-2016ウクライナの旗 ドニプロ 15 (1)
2016-2021ギリシャの旗 AEKアテネ 83 (5)
2021-ギリシャの旗 イオニコス 35 (1)
代表歴
2002ウクライナの旗 ウクライナ U-164 (1)
2002-2003ウクライナの旗 ウクライナ U-175 (0)
2003-2004ウクライナの旗 ウクライナ U-187 (0)
2004ウクライナの旗 ウクライナ U-194 (0)
2004-2006ウクライナの旗 ウクライナ U-2116 (2)
2007-2011ウクライナの旗 ウクライナ29 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

地元のFCカルパティ・リヴィウでプレーしていたが、14歳の時にウクライナの名門であるFCシャフタール・ドネツクの下部組織へ移籍。2003-04シーズンにトップチームデビューを果たす。2005-06シーズンにFCメタルルフ・ザポリージャへレンタル移籍。ここでの活躍が認められ、半年でシャフタールに復帰した。シャフタールでの後半戦では、レギュラーを奪取しリーグ優勝に貢献した。

シーズン終了後、UEFA U-21欧州選手権に出場。リーダーシップを発揮しチームを決勝へ導いていたが最後はオランダに敗れたものの、大会ベストイレブンに選出された。

この時の活躍が認められ、当時のウクライナ代表監督オレグ・ブロヒンから2006 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれた。しかし、UEFA U-21欧州選手権で痛めた太腿痛の影響で出番はなかった。

2006-07シーズンは不動のレギュラーの座を獲得し、弱冠20歳にしてキャプテンに昇進した。しかしウクライナリーグでは2位に終わり、ウクライナカップも決勝でFCディナモ・キーウに1-2で敗れた。翌2007-08シーズンにはウクライナリーグとウクライナ・カップの2冠を獲得し、カップ決勝の最優秀選手にも輝いている。その後はウクライナ代表でも不動の地位を固め、2008-09シーズンはシャフタール・ドネツクでチームをUEFAカップ優勝へと導いていた。

2009年8月、リーガ・エスパニョーラFCバルセロナに移籍。移籍金は2500万ユーロ(約33億円)の5年契約とされている。移籍の直前にUEFAスーパーカップでシャフタールの選手としてバルセロナ戦に出場。これが同選手のシャフタール最後の試合となった。

しかしバルセロナでは怪我などもありジョゼップ・グアルディオラ監督の信頼は得られなかった。2010年7月、加入後約1年で、シャフタールへ復帰。移籍金は約1500万ユーロ(約16億6000万円)とされている。

2015年、FCドニプロに1年契約で移籍[1]

2016年6月11日、AEKアテネFCに移籍[2]

2021年9月9日、イオニコスFCに1年契約で移籍[3]

人物

所属クラブ

FCメタルルフ・ザポリージャ (loan) 2005-2006

タイトル

クラブ

FCシャフタール・ドネツク
FCバルセロナ
A.E.K

個人

脚注

関連項目

外部リンク