トーマス・ルティ
トーマス・ルティ ( Thomas Lüthi, 1986年9月6日 - ) は、スイス・ベルン州オーベルディースバッハ出身のオートバイレーサー。2005年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。2019年からはMoto2クラスに再び参戦している。
トーマス・ルティ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生年月日 | 1986年9月6日(37歳) オーベルディースバッハ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | Pertamina Mandalika SAG Team | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 12 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウェブサイト | thomasluethi.ch | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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経歴
キャリア初期
9歳の時にポケットバイクを始め、1999年と2000年にはタイトルを獲得する。2002年にはドイツの125ccロードレース選手権でシリーズ3位に入り、また同年はヨーロッパ選手権125ccクラスにもエントリーし、シリーズ2位を獲得した。
世界GP125ccクラス
ロードレース世界選手権125ccクラスには2002年の第9戦ドイツGPに、負傷したヤコブ・シュムルツの代役としてダニエル・エップが運営するエリー・グランプリ・チームからデビューし、26位で完走した。このレース以降レギュラーシートを獲得し、シーズンの残りをホンダのマシンを駆って戦った。
フル参戦初年度となった翌2003年、ルティは引き続きエリー・チームに残留した。またエップはルティのマネージャーにも就くことになった。第6戦カタルーニャGPで初表彰台となる2位を獲得する等の活躍を見せ、シリーズランキング15位に入った。
2004年はスランプに陥る。開幕から4戦連続リタイヤ、続いて怪我により3戦欠場と苦しみ、年間わずか14ポイントの獲得、シリーズ25位に沈んだ。
翌2005年シーズン、ルティはカリフォルニア・スーパーバイク・スクールのアンディ・イボットのトレーニングを受けることになった。第3戦フランスGPで自身初優勝を果たし、その後もチームの地元チェコGPなどで3勝を重ねる。そして最終戦バレンシアGP、ホンダ・RS125Rを駆るルティは、ライバルでKTMのワークス・マシンを駆るミカ・カリオを5ポイント差で振り切り、ワールドチャンピオンとなった(スイス人としてはルイジ・タベリが最後に125ccクラスのチャンピオンを獲得した1966年以来、39年ぶり)。この功績により、ルティはこの年の「スイス・スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」等の賞を授けられた。
チャンピオン獲得により、翌2006年は250ccクラスへのステップアップが噂されたが、結局125ccクラスに残ることになった。ドイツのサンドロ・コルテセをチームメイトに迎え、チームもスポンサーが変更となり「エリー・カフェラテ」としてシーズンを戦ったが、年間わずか1勝、途中怪我にも悩まされ、タイトルはアルバロ・バウティスタに奪われた。
250ccクラス
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Thomas_Luthi.jpg/250px-Thomas_Luthi.jpg)
失望の1年の後、2007年からルティはチームと共に250ccクラスに戦いの場を移した。チーム名は再び変更となり「エミー・カフェラテ」、マシンはアプリリアの最新ワークスマシンRSA250を駆ることになった。表彰台の獲得こそ叶わなかったものの上位での完走を続け、シリーズ8位で250ccクラスデビューシーズンを終えた。
翌2008年も同チームでRSA250を駆り、実質的なチームメイトとしてダニエル・エップが運営するもう一つのチーム、「オートケリー・CP」のルーカス・ペセックを迎えた。ルティは第6戦イタリアGPでクラス初表彰台となる3位を獲得した。さらに第9戦ダッチTTでは6番グリッドからスタートするとマルコ・シモンチェリからトップを奪い、途中アルバロ・バウティスタに抜かれたものの2位表彰台を獲得した。しかし第14戦インディアナポリスGPでの転倒負傷により2戦を欠場するなど走りに安定度を欠き、シリーズランキングは前年を下回る11位に終わった。
チーム在籍8年目、250ccクラス最後のシーズンとなった2009年、表彰台は獲得できなかったが安定して完走を重ね、クラス自己ベストのシリーズ7位という成績を収めた。
Moto2クラス
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/Thomas_Luthi_2010_Misano.jpg/250px-Thomas_Luthi_2010_Misano.jpg)
2010年、ルティはチームに残留し、250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦した。メインスポンサーの変更により、チーム名は「インターウェッテン・モリワキ・Moto2」となった[1]。シーズンの前半は第2戦スペインGPでのクラス初表彰台(3位)を皮切りに度々トップ争いに絡み、一時はポイントランキング2位に付けていた。しかし後半戦は若干失速気味となり、最終的な年間ランキングは4位となった。
2011年もチームに残留、チームはシャシーをモリワキからスッター製に変更する[2]。
2021年限りでの現役引退を表明した[3]。
ロードレース世界選手権 戦績
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
- * は、シーズン中の順位とポイント。
脚注
外部リンク
- thomasluethi.ch トーマス・ルティ公式ウェブサイト
- motogp.com トーマス・ルティ経歴