トラウト・マスク・レプリカ

キャプテン・ビーフハートのアルバム

トラウト・マスク・レプリカ (Trout Mask Replica) は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド[注釈 1]1969年に発表した3作目のアルバムである。プロデュースはフランク・ザッパが担当した。発表当時は、2枚組のLP盤で発売された[2]

『トラウト・マスク・レプリカ』
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドスタジオ・アルバム
リリース
録音1968年8月
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンセット・サウンド・レコーダーズ
1969年3月
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 グレンデール ホイットニー・スタジオ
ジャンルアヴァンギャルドアート・ロックブルース・ロックプロト・パンクサイケデリック・ロック実験音楽フリー・ジャズスポークン・ワード
時間
レーベルストレイト・レコードリプライズ・レコード
プロデュースフランク・ザッパ
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 21位(イギリス)[1]
  • キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド アルバム 年表
    ストリクトリー・パーソナル
    (1968年)
    トラウト・マスク・レプリカ
    (1969年)
    リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー
    (キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド)
    (1970年)
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    背景

    キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドはデビュー当初から所属レーベルに頭を悩ませてきた。1966年、彼等はA&Mレコードからデビュー・シングル'Diddy Wah Diddy'と2作目のシングルを発表した[注釈 2]が、いずれもヒットしなかったので契約を打ち切られてしまった。1967年9月、ブッダ・レコードから、ボブ・クラスナウリチャード・ペリーが共同でプロデュースしたデビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』を発表し[注釈 3]、10月から11月にかけて、"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"と名付けた新作アルバムをクラスナウのプロデュースにより制作した。しかし、ブッダ・レコードは、新作アルバムの企画を中止して、音源を全てお蔵入りにした[注釈 4][3]。そしてバブルガム・ポップを商売の要とする方針を固めて、1968年2月に彼等との契約を解除した[4]

    クラスノウは、ブッダ・レコードが差し押さえた音源に代わるものを彼等に新たに録音させて、自分が設立したブルー・サム・レコードから発表することにした。彼等は同年4月から5月にかけての8日間、クラスノウのプロデュースにより、新たな録音を行なったが、十分なリハーサルなしに短期間で作業を行なったので、ヴァン・ヴリートやメンバーは出来栄えには満足しなかった[注釈 5][5]

    経緯

    1968年、ヴァン・ヴリートの高校時代の同級生[注釈 6]でキャプテン・ビーフハートの名が誕生するきっかけ[6][注釈 7]を作ったフランク・ザッパは、ビザール・レコードストレイト・レコードという2つのレーベルを設立した[注釈 8]。ザッパは所属レーベルに苦しめられてきたヴァン・ヴリートにストレイト・レコードに移籍して完全に自由な環境の中で芸術活動を行なうことを勧め、ヴァン・ヴリートは旧友の勧めに従ってクラスノウやブルー・サム・レコードと決別した[7]。同年8月、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドはサンセット・サウンド・レコーダーズで、ヴァン・ヴリート、ジェフ・コットン[注釈 9](ギター)、ビル・ハークルロード[注釈 10](ギター)、ジョン・フレンチ[注釈 11](ドラムス)の正式メンバーと、一時契約したゲイリー・"マジック"・マーカー[注釈 12](ベース・ギター)の顔ぶれで、ザッパをプロデューサーに迎えて、'Moonlight on Vermont'と'Veteran's Day Poppy.を録音した。

    同年10月、一時契約を結んでいたマーカーが辞め、代わりにマーク・ボストン(ベース・ギター)が正式メンバーとして加入した。さらにヴァン・ヴリートの従兄弟にあたるヴィクター・ヘイデンバスクラリネット)が客演者として参加した。

    制作

    ヴァン・ヴリートらはロサンゼルス郊外にあるウッドランド・ヒルの小さなレントハウスに集団で暮らして[注釈 13]、ヴァン・ヴリートが作った難曲を録音する為に1日12時間のリハーサルを8ヶ月に渡って行った。彼はほとんどの楽曲を今までに試みたことのない方法で作曲した。演奏経験のないピアノを使用したのである。彼は従来の音楽に関する知識をまったく持ち合わせていなかったため、経験のないピアノを使用することによって既存の音楽の枠組みや構造から逸脱した形で作曲を行うことが出来た。彼は直感だけを頼りに、気に入ったリズムやメロディのパターンを発見するまでピアノの前に座った。

    以前のアルバム制作では、ヴァン・ヴリートがフレーズを口笛や歌で表現して、それをフレンチがテープに録音していたが、彼には一部を手違いで消去してしまってヴァン・ヴリートに大いに叱られた苦い経験があった。そこで今回は、ヴァン・ヴリートがピアノで叩き出すフレーズをすべて記譜し、その楽譜のとおりに演奏してヴァン・ヴリートに聞かせることにした[8]。フレンチによれば、収録曲の75%から80%がこのような作曲・記譜の方法で作られたが、'Pena'や'My Human Gets Me Blue'等はピアノではなく口笛に基づいて記譜された[9]。フレンチはフレーズを記譜しただけでなくパート譜も書いて他のメンバーに演奏を指導した。しかしヴァン・ヴリートは本作での作・編曲を全て自分一人で完成させたと主張し、彼は「自分も編曲者としてクレジットされるべきではないかと感じていたが、一度もされなかった」[10]と述べている。

    ヴァン・ヴリートは自分の構想を実現する為に、メンバーを芸術の面でも感情の面でも完全に支配した[注釈 14]。フレンチはレントハウスでの集団生活を「カルトじみていた」と回想し、訪問した友人は「まさにマンソン・ファミリーのような環境だった」と形容した。また、メンバーは金銭や食料も切迫していた。彼らには生活保護金と親類からの仕送り以外の収入はなく、フレンチによればカップ一杯の大豆だけでひと月を過ごしたこともあった[11]。またある時には、彼等はあまりの苛酷さに耐えられずに食品を万引きして逮捕されてしまい、ザッパに保釈保証人になってもらって釈放されたこともあった[12]。ヴァン・ヴリートは自分の強固な支配の象徴の一つとして、キャプテン・ビーフハートという奇妙な名前の人間が同じような奇妙な名前の面々を率いているという状況を設定する為に、メンバー全員に新しい名前を付けた。コットンはアンテナ・ジミー・ザーメンズ、ハークルロードはズート・ホーン・ロロ、ボストンはロケット・モートン、フレンチはドラムボ、ヘイデンはザ・マスカラ・スネイクになった[13]

    1969年3月、彼等は録音の準備を整えた。ザッパはエンジニアのディック・カンクを伴って彼等が住むレントハウスにポータブルの録音機材を持ち込み[注釈 15]、別々の部屋でバンドの演奏を録音するフィールド・レコーディングの形を取った[14][15]。録音は素晴らしい仕上がりでザッパは満足したが、ヴァン・ヴリートはザッパが録音費用を出し惜みしているのではないかという疑いを抱き、スタジオを使用して録音することを主張した[15]。ヴォーカルは最初からスタジオで録音することが決まっていたので、ザッパはバンドのスタジオ入りの段取りを整えた。録音はグレンデールのホイットニー・スタジオ[注釈 16]で行なわれた。日頃からリハーサルを重ねていたヒズ・マジック・バンドは、20のバッキングトラックの録音をわずか6時間で終え[16]、その後ヴァン・ヴリートはヘッドホンを着用してモニタリングする代わりに、スタジオの窓から微かに聴こえる演奏音のみを頼りに[17]、ヴォーカルと管楽器のダビングを2日間で終了した[18]。こうして本作は、ミキシング作業を含めて4日間で完成した。

    アルバム・ジャケットの撮影とデザインはカル・シェンケルが担当した。彼は地元の魚屋で購入した鯉の頭をマスクに改造してヴァン・ヴリートに被せた[19]。裏面にはヴァン・ヴリート、コットン、ハークルロード、ボストンとフレンチ、見開きの内側には4人とフレンチに代わってヘイデンが写った。

    評価

    ブルース、実験音楽、フリー・ジャズ等の様々な音楽を取り入れて、後のオルタナティブ・ロックポスト・パンクに多大な影響を与えた重要な作品として、発表以来、高く評価されてきた。

    BBCの伝説的DJであるジョン・ピール[注釈 17]は、「ポップ・ミュージックの歴史において、音楽以外の領域で活動する芸術家たちにも理解し得る、芸術作品として見なすことが出来る音楽作品が存在するとしたら、おそらく『トラウト・マスク・レプリカ』がそのような作品である[20]」と述べている[21]

    2003年にはローリングストーン誌の500 Greatest Albums of All Timeの第58位、2012年版には第60位に選出された。

    2022年にはイギリスのロックバンド、ブラック・ミディによって「Moonlight on Vermont」がカバーされた[22]

    収録曲

    LP
    Trout Mask Replica (LP)
    • A面
    全作詞・作曲: Don Van Vliet。
    #タイトル作詞作曲・編曲時間
    1.「Frownland」Don Van VlietDon Van Vliet
    2.「The Dust Blows Forward 'n the Dust Blows Back」Don Van VlietDon Van Vliet
    3.「Dachau Blues」Don Van VlietDon Van Vliet
    4.「Ella Guru」Don Van VlietDon Van Vliet
    5.「Hair Pie: Bake 1」Don Van VlietDon Van Vliet
    6.「Moonlight on Vermont」Don Van VlietDon Van Vliet
    合計時間:
    Trout Mask Replica (LP)
    • B面
    全作詞・作曲: Don Van Vliet。
    #タイトル作詞作曲・編曲時間
    7.「Pachuco Cadaver」Don Van VlietDon Van Vliet
    8.「Bills Corpse」Don Van VlietDon Van Vliet
    9.「Sweet Sweet Bulbs」Don Van VlietDon Van Vliet
    10.「Neon Meate Dream of a Octafish」Don Van VlietDon Van Vliet
    11.「China Pig」Don Van VlietDon Van Vliet
    12.「My Human Gets Me Blues」Don Van VlietDon Van Vliet
    13.「Dali's Car」Don Van VlietDon Van Vliet
    合計時間:
    Trout Mask Replica (LP)
    • C面
    全作詞・作曲: Don Van Vliet。
    #タイトル作詞作曲・編曲時間
    14.「Hair Pie: Bake 2」Don Van VlietDon Van Vliet
    15.「Pena」Don Van VlietDon Van Vliet
    16.「Well」Don Van VlietDon Van Vliet
    17.「When Big Joan Sets Up」Don Van VlietDon Van Vliet
    18.「Fallin' Ditch」Don Van VlietDon Van Vliet
    19.「Sugar 'n Spikes」Don Van VlietDon Van Vliet
    20.「Ant Man Bee」Don Van VlietDon Van Vliet
    合計時間:
    Trout Mask Replica (LP)
    • D面
    全作詞・作曲: Don Van Vliet。
    #タイトル作詞作曲・編曲時間
    21.「Orange Claw Hammer」Don Van VlietDon Van Vliet
    22.「Wild Life」Don Van VlietDon Van Vliet
    23.「She's Too Much for My Mirror」Don Van VlietDon Van Vliet
    24.「Hobo Chang Ba」Don Van VlietDon Van Vliet
    25.「The Blimp (mousetrapreplica)」Don Van VlietDon Van Vliet
    26.「Steal Softly thru Snow」Don Van VlietDon Van Vliet
    27.「Old Fart at Play」Don Van VlietDon Van Vliet
    28.「Veteran's Day Poppy」Don Van VlietDon Van Vliet
    合計時間:
    Trout Mask Replica (CD)
    全作詞・作曲: Don Van Vliet。
    #タイトル作詞作曲・編曲時間
    1.「Frownland」Don Van VlietDon Van Vliet
    2.「The Dust Blows Forward 'n the Dust Blows Back」Don Van VlietDon Van Vliet
    3.「Dachau Blues」Don Van VlietDon Van Vliet
    4.「Ella Guru」Don Van VlietDon Van Vliet
    5.「Hair Pie: Bake 1」Don Van VlietDon Van Vliet
    6.「Moonlight on Vermont」Don Van VlietDon Van Vliet
    7.「Pachuco Cadaver」Don Van VlietDon Van Vliet
    8.「Bills Corpse」Don Van VlietDon Van Vliet
    9.「Sweet Sweet Bulbs」Don Van VlietDon Van Vliet
    10.「Neon Meate Dream of a Octafish」Don Van VlietDon Van Vliet
    11.「China Pig」Don Van VlietDon Van Vliet
    12.「My Human Gets Me Blues」Don Van VlietDon Van Vliet
    13.「Dali's Car」Don Van VlietDon Van Vliet
    14.「Hair Pie: Bake 2」Don Van VlietDon Van Vliet
    15.「Pena」Don Van VlietDon Van Vliet
    16.「Well」Don Van VlietDon Van Vliet
    17.「When Big Joan Sets Up」Don Van VlietDon Van Vliet
    18.「Fallin' Ditch」Don Van VlietDon Van Vliet
    19.「Sugar 'n Spikes」Don Van VlietDon Van Vliet
    20.「Ant Man Bee」Don Van VlietDon Van Vliet
    21.「Orange Claw Hammer」Don Van VlietDon Van Vliet
    22.「Wild Life」Don Van VlietDon Van Vliet
    23.「She's Too Much for My Mirror」Don Van VlietDon Van Vliet
    24.「Hobo Chang Ba」Don Van VlietDon Van Vliet
    25.「The Blimp (Mousetrapreplica)」Don Van VlietDon Van Vliet
    26.「Steal Softly thru Snow」Don Van VlietDon Van Vliet
    27.「Old Fart at Play」Don Van VlietDon Van Vliet
    28.「Veteran's Day Poppy」Don Van VlietDon Van Vliet
    合計時間:

    参加メンバー

    ミュージシャン

    Captain Beefheart and His Magic Band
    • Captain Beefheart (Don Van Vliet) – ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、スポークン・ワード、テナー・サックス、ソプラノ・サックス、ベース・クラリネット
    • Antennae Jimmy Semens (Jeff Cotton) – ギター、スライド・ギター、ヴォーカル("Pena", "The Blimp")
    • Zoot Horn Rollo (Bill Harkleroad) – ギター、スライド・ギター、フルート("Hobo Chang Ba")
    • Rockette Morton (Mark Boston) – ベース・ギター、ナレーション("Dachau Blues", "Fallin' Ditch")
    • Drumbo (John French) – ドラムス、パーカッション
    • The Mascara Snake (Victor Hayden) – バスクラリネット、バッキング・ヴォーカル("Ella Guru")
    その他

    制作

    脚注

    注釈

    出典

    引用文献

    • Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6 
    • French, John "Drumbo" (2010). Beefheart: Through the Eyes of Magic. London: Proper Music Publishing. ISBN 978-0-9561212-5-7 
    • Harkleroad, Bill; James, Billy (2000). Lunar Notes: Zoot Horn Rollo's Captain Beefheart Experience. London: Gonzo Multimedia Publishing. ISBN 978-1-908728-34-0 
    • Zappa, Frank; Occhiogrosso, Peter (1990). The Real Frank Zappa Book. New York: Touchstone. ISBN 0-671-70572-5 

    参考文献

    • バーンズ,マイク (2006). 『キャプテン・ビーフハート』. 河出書房新社. ISBN 978-4309268750