デーブ・ニルソン

オーストラリアの野球選手 (1969-)

デーブ・ニルソン英語: Dave Nilsson, 本名:デビッド・ウェイン・ニルソンDavid Wayne Nilsson , 1969年12月14日 - )は、オーストラリア連邦クイーンズランド州ブリスベン出身の元プロ野球選手捕手外野手)、指導者。

デーブ・ニルソン
Dave Nilsson
レイクカントリー・ドックハウンズ コーチ
2018年6月28日
基本情報
国籍オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地クイーンズランド州ブリスベン
生年月日 (1969-12-14) 1969年12月14日(54歳)
身長
体重
191 cm
105 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション捕手外野手一塁手
プロ入り1987年 アマチュアFA
初出場MLB / 1992年5月18日
NPB / 2000年3月31日
最終出場MLB / 1999年10月3日
NPB / 2000年7月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チームオーストラリアの旗 オーストラリア
五輪2000年2004年
WBC2006年
オリンピック
男子 野球
オーストラリアの旗 オーストラリア
2004野球

中日ドラゴンズでの登録名はオーストラリア特有のイヌにちなんで「ディンゴ」だった。

経歴

ミルウォーキー・ブルワーズ時代

1987年1月28日にミルウォーキー・ブルワーズと契約。

1992年5月18日にメジャーデビュー。

1999年には野茂英雄とバッテリーを組んだ。同年はオーストラリア出身の選手として初めてMLBオールスターゲームに出場。さらにオーストラリア代表選手としてIBAFインターコンチネンタルカップに出場し、4番打者としてMVPを獲得した。10月28日にFAとなった。

2000年シドニーオリンピック出場を条件として中日ドラゴンズに入団(この時に球団に紹介して一緒に入団したのがダン・カールソンである)。NPBの球団に入団した選手としては飛び切りの実績の持ち主であった[1]。開幕戦に5番・左翼で先発出場するも、日本の投手に対応できず極度の打撃不振で8月に退団。捕手での出場は7月19日のヤクルト戦(神宮)の1試合のみ(7番・左翼で先発後、3回から6回まで捕手として出場)[2][注釈 1]本塁打も4月7日横浜スタジアムのライトスタンド場外に記録した1本のみに終わった。二軍では45試合で打率.342、9本塁打という成績を残している[3]。9月にはシドニーオリンピックの野球オーストラリア代表に選出された。日本戦では黒木知宏から本塁打を記録した。指名打者と一塁手で出場し、13安打で打率.565と活躍した。中日は1999年オフにFA宣言した工藤公康江藤智の両選手の獲得を狙っていたが、中日の現場の本命は江藤であり、工藤は中日のフロントの意思で急遽獲得に乗り出したものの、最終的に中日はどちらも読売ジャイアンツ(巨人)にさらわれた。その後、江藤に代わる大砲候補としてディンゴを獲得していたが、事前調査が性急だった可能性が指摘されている[4]

その後、ボストン・レッドソックスへの入団が決まっていたが、故障のため契約を保留。2003年に契約を交わしたものの、実際にプレーすることはなく一旦は引退を表明した。

2004年2月9日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。8月にはアテネオリンピック野球オーストラリア代表に選出された。主に捕手で出場。日本戦では本塁打を打って活躍し、勝利に貢献した[5]。準決勝では、日本を無失点に抑えて勝利しメダル獲得に大きく貢献した。なお、日本代表の監督代理を務めた中畑清の後の話によると、ニルソンは日本時代の経験を生かして日本野球を研究しており、何度やっても勝てると下に見ていたという[6]。10月15日にFAとなった。

2006年3月に同年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオーストラリア代表に選出された[7]

2010年から、オーストラリアン・ベースボールリーグブリスベン・バンディッツで監督を務める。同チームでは後に中日入りするドリュー・ネイラーを指導していた。バンディッツの監督しては、2016年から2018年にかけて3年連続でチームを優勝へ導いた。

2018年に行われた日本オーストラリアの強化試合にコーチとして訪日し、18年ぶりに中日時代の本拠地ナゴヤドームのベンチに入った。この試合には自身が監督を務めるブリスベン・バンディッツに所属する甥のミッチェル・ニルソンがオーストラリア代表に選出され、出場した[8]。6月13日に、豪州野球連盟により、野球オーストラリア代表の監督に就任したことが発表された[9]

2022年より、北米独立リーグのアメリカン・アソシエーションに所属するレイクカントリー・ドックハウンズ英語版のベンチコーチ兼打撃コーチに就任した[10]

2023年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシックでは、オーストラリア代表監督としてベスト8の記録を残した[11]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1992MIL511831641538804582522201710181.232.304.354.658
19931003402963576102711140364337503610.257.336.375.711
199410944039751109283121796910183490617.275.326.451.777
1995812942634173121121235320052442419.278.337.468.804
199612351645381150332172388423035763684.331.407.525.932
199715662955471154330202478123176582887.278.352.446.798
199810234730939831411213556222233114812.269.339.437.776
199911540434356106191211906212245362647.309.400.554.954
2000中日1863615112011680000200162.180.206.262.469
MLB:8年8373153277938978915710105128147015181232320401042457.284.356.461.817
NPB:1年1863615112011680000200162.180.206.262.469

記録

NPB
MLB

背番号

  • 13 (1992年 - 同年途中)
  • 11 (1992年途中 - 1995年)
  • 14 (1996年 - 1997年、1999年)
  • 7 (1998年)
  • 44 (2000年)
  • 40(2010年 - )

代表歴

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク