デイヴィッド・ハーレイ

デイヴィッド・ジョン・ハーレイ: David John Hurley1953年8月26日 - )は、オーストラリアの元軍人。最終階級は陸軍大将。ニューサウスウェールズ州総督を経て、2019年7月1日よりオーストラリアの総督を務める。

デイヴィッド・ハーレイ
公式肖像写真(2019年)
第27代 オーストラリア総督
就任
2019年7月1日
君主エリザベス2世
チャールズ3世
首相スコット・モリソン
アンソニー・アルバニージー
前任者ピーター・コスグローブ
第38代 ニューサウスウェールズ州総督
任期
2014年10月2日 – 2019年5月1日
君主エリザベス2世
総理マイク・ベアード
グラディス・ベレジクリアン
副知事トム・バサースト
前任者マリー・バシール
後任者マーガレット・ビーズリー
個人情報
生誕デイヴィッド・ジョン・ハーレイ
(1953-08-26) 1953年8月26日(70歳)
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ウロンゴン
国籍オーストラリア
配偶者
リンダ・マクマーティン (m. 1977)
子供3人
署名
兵役経験
所属国オーストラリア
所属組織オーストラリア陸軍
軍歴1972年 – 2014年
最終階級大将
指揮国防軍司令官(2011年 – 2014年)
国防軍副司令官(2008年 – 2011年)
合同作戦部長(2007年 – 2008年)
軍事能力開発部長(2003年 – 2007年)
陸軍国土司令官(2002年 – 2003年)
第1旅団長(1999年 – 2000年)
歩兵第1連隊第1大隊長(1991年 – 1993年)
戦闘ソレイス作戦
受賞オーストラリア勲章コンパニオン (AC)
殊勲十字章 (DSC)
セントジョン勲章ナイト

42年におよぶ軍歴で、1993年にはソマリアのソレイス作戦に派遣されたほか、第1旅団長(1999年 - 2000年)、軍事能力開発部長(2003年 - 2007年)、合同作戦部長(2007年 - 2008年)、国防軍副司令官(2008年 - 2011年)を歴任した。2011年7月4日にアンガス・ヒューストン空軍大将の後任の国防軍司令官に着任し、2014年6月の退役まで在任した。同年10月2日、ニューサウスウェールズ州総督に就任した。

経歴

生い立ち

ニューサウスウェールズ州ウロンゴンに生まれる[1]。父ジェームズ・ハーレイはイラワラの鉄鋼メーカー勤務。母のノーマも雑貨店に勤めていた。同州ポートケンブラで育ち、1971年にポートケンブラ高校を卒業。その後、ダントルーン王立陸軍士官学校とディーキン大学を卒業した[2][3]

妻リンダ(旧姓マクマーティン)とのあいだに3子がいる[4]

軍歴

参謀総長時代のハーレイ(2013年)

1972年1月、士官候補生としてダントルーン王立陸軍士官学校に入校[5]。1975年12月に卒業し、中尉としてオーストラリア王立歩兵第1連隊第1大隊 (1RAR) に配属された。その後、大尉に昇格し、シドニー大学連隊や王立歩兵大隊の副官となった。さらにアイルランド近衛連隊第1大隊への派遣を経て、オーストラリア王立歩兵第5・第7大隊に配属された[4]

中佐昇格後は1990年に軍事事務局上級キャリアアドバイザー(装甲・砲兵・工兵・歩兵)、1991年初頭に第2師団本部附、1991年11月に歩兵第1連隊第1大隊長と異動を重ねた。1993年には、ソマリアにおけるオーストラリア軍のソレイス作戦で同大隊を率い、この功労により殊勲十字章を受章した[6]。1994年に第1師団本部附となった[7]

大佐昇格後の1994年6月には、第1師団参謀長となった。1996年から1997年までアメリカ陸軍戦略大学に派遣された後、陸軍参謀長軍事秘書官、さらに1997年12月に戦備・動員部長としてオーストラリア国防本部に異動となった[8]

准将時代は1999年1月にダーウィンの第1旅団長となり、東ティモールにおけるオーストラリア軍の作戦を支援した。

少将昇格後の2002年12月にはオーストラリア陸軍の国土司令官 (Land Commander) を務めた[7]中将時代は2003年12月に軍事能力開発部長、2007年9月に新設された合同作戦部長となったのち、2008年7月に国防軍副司令官に上り詰めた[9]

大将昇格後の2011年7月4日、アンガス・ヒューストン空軍大将の後任として国防軍司令官となった[10]。2012年1月にはオーストラリア軍入隊から40年となり[5]、1月20日にパリでフランス軍参謀総長からレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を授与された[11]。また、2月には同じく軍人生活40周年を記念して国防軍従軍記章(メダル)が授与された[5]。2014年6月30日、国防軍司令官のポストをマーク・ビンスキン空軍大将へ引き継ぎ、オーストラリア陸軍を退役した[12]

ニューサウスウェールズ州総督

2014年6月5日、ニューサウスウェールズ州首相のマイク・ベアードから、マリー・バシールの後任の州総督に指名された。その後、バシールが任期満了を迎えた10月2日に総督に就任した[13]。2015年3月17日には、シドニーの総督公邸で行われた式典で団長のニール・コンから聖ヨハネ騎士団(1888年にヴィクトリア女王によって設立された団体)のメンバーに叙任された[14]

オーストラリア総督

ハーレイの総督就任式

2018年12月16日、オーストラリア首相のスコット・モリソンは、女王エリザベス2世が2019年7月1日に就任する次期総督にハーレイをあてる人事を承認したと発表した。エリザベス2世の即位後に生まれた人物がオーストラリア総督となるのは、これがはじめてであった[15][16][17]。後任のニューサウスウェールズ州総督には、マーガレット・ビーズリーが指名された[18]。7月1日にキャンベラオーストラリア連邦議事堂で第27代総督としての就任式が行われ、そこでハーレイは地元のアボリジニのングナワル語でも演説を行った[19]

2019年9月11日、キャンベラのオーストラリア国立美術館インドネシア大使館が主催した「インドネシア・ナショナルデー」レセプションに出席したハーレイは、インドネシア語で演説を行った[20]。インドネシア語での演説が終わった後、英語で再び演説を行ったが、オーストラリアの総督が対外的な声明をインドネシア語で行ったのはこれがはじめてであった。

総督在任中、ハーレイはモリソンに「オーストラリアン・フューチャー・リーダーズ・ファウンデーション・リミテッド」という指導者養成プログラムを紹介した。その後、このプログラムは事務所や公式サイト、従業員もいないにもかかわらず、1800万ドルの補助金が支給された[21][22]。しかし、アンソニー・アルバニージーが首相に就任したのちの2022年9月に、「成果を収めていない」としてこの補助金は廃止された。同政権の財務大臣ジム・チャルマーズは、このプログラムにおけるハーレイの役割に捜査がおよぶことはないとの見通しを示した[23]

2020年3月から2021年5月にかけて、首相のモリソンが秘密裡に閣僚を兼務していたことが判明した際にも、ハーレイの関与が問題となった。しかし、調査の結果、ハーレイにはモリソンの助言を拒否する裁量がなかったと結論づけられ、ハーレイに対する批判は「不当なもの」とされた[24][25]

栄典

オーストラリア勲章コンパニオン (AC)2010年1月26日[26]
オーストラリア勲章オフィサー (AO)2004年1月26日[27]
殊勲十字章 (DSC)1993年11月26日[6]
セントジョン勲章ナイト2015年3月17日[14]
オーストラリア特別従軍記章[28]
オーストラリア従軍記章[28]
フェデレーション・スター付き国防軍従軍記章軍勤続40年記念[5]
オーストラリア国防記章[28]
レジオンドヌール勲章オフィシエ(フランス2012年1月20日[11][29]
レジオン・オブ・メリットコマンダー(アメリカ合衆国2012年5月10日[30]
軍役勲章ナイト・グランド・コマンダー(マレーシア2012年[31]
大功労軍事勲章1等(インドネシア2012年11月19日[29][32]
殊勲従軍勲章(シンガポール2013年2月13日[29][33]
タイ王冠勲章ナイト・グランド・クロス(タイ2013年4月5日[34]
功労勲章金章(オランダ2014年6月[29]
東ティモール勲章大頸飾(東ティモール2022年5月[35]

脚注

軍職
先代
ピーター・アビゲイル少将
オーストラリア国土司令官
2002年 – 2003年
次代
ケン・ジレスピー少将
新設軍事能力開発部長
2003年 – 2007年
次代
マット・トリポビッチ海軍中将
新設
(副参謀総長)
合同作戦部長
2007年 – 2008年
次代
マーク・エバンズ中将
先代
ケン・ジレスピー中将
国防軍副司令官
2008年 – 2011年
次代
マーク・ビンスキン空軍中将
先代
アンガス・ヒューストン空軍大将
国防軍司令官
2011年 – 2014年
次代
マーク・ビンスキン空軍大将
官職
先代
マリー・バシール
ニューサウスウェールズ州総督
2014年 – 2019年
次代
マーガレット・ビーズリー
先代
ピーター・コスグローブ
オーストラリアの総督
2019年 –
現職