チアゴ・キリノ・ダ・シルバ

ブラジルのサッカー選手

チアゴ・キリノ・ダ・シルバ[4][5](Thiago Quirino da Silva, 1985年1月4日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはフォワード

キリノ
名前
本名チアゴ・キリノ・ダ・シルバ
Thiago Quirino da Silva
愛称Quirino, Q
ラテン文字QUIRINO
基本情報
国籍ブラジルの旗 ブラジル
東ティモールの旗 東ティモール
生年月日 (1985-01-04) 1985年1月4日(39歳)[1]
出身地ミナスジェライス州
ベロオリゾンテ[1]
身長181cm[2]
体重79kg[2]
選手情報
ポジションFW
利き足右足[3]
クラブ1
クラブ出場(得点)
2001-2005ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 65 (14)
2006-2008スウェーデンの旗 ユールゴーデンIF 53 (11)
2009-2012日本の旗 コンサドーレ札幌 72 (21)
2011大韓民国の旗 大邱FC (loan) 12 (3)
2012-2014日本の旗 湘南ベルマーレ 30 (9)
2013-2014アラブ首長国連邦の旗 アル・シャアブ英語版 (loan) 10 (2)
2014日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 7 (0)
2015-2016日本の旗 湘南ベルマーレ 10 (0)
2016日本の旗 大分トリニータ (loan) 5 (0)
2017ブラジルの旗 アナポリスFC 4 (1)
2018日本の旗 鹿児島ユナイテッドFC 26 (5)
2019マレーシアの旗 FELDAユナイテッドFC 1 (0)
代表歴
2005 ブラジル U-2012 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

JリーグKリーグ時代の登録名はキリノハングル: 끼리노)[6][7]

特徴・評価

スピードを活かした裏への突破が持ち味。2006年にブラジルのアトレチコ・ミネイロからスウェーデンのユールゴーデンIFに移籍した際、移籍先のユールゴーデンIFはキリノについて「エキサイティングで、チームに刺激を与える選手」と言及した[8][9]。また2009年にスウェーデンのユールゴーデンIFから日本のコンサドーレ札幌に移籍した際、移籍先のコンサドーレ札幌はキリノについて「圧倒的なスピード」と「高い打点のヘディング」が武器であると紹介した[2]。コンサドーレ札幌の地元スポーツ紙である道新スポーツも、同じく「スピードが武器」と言及した[10]

生涯

アトレチコ・ミネイロ時代

1998年にブラジルのサッカークラブ、アトレチコ・ミネイロの下部組織に加入した[11][10]。2001年にアトレチコ・ミネイロとプロ契約を結び、2005年のシーズン終了まで所属した[2]

2005年南米ユース選手権

2005年、ブラジルU-20代表に選出された。2005年1月から2月にかけて開催された南米ユース選手権に出場。グループリーグと決勝リーグで合わせて8試合に出場し、3得点を挙げた。

グループリーグ初戦のエクアドル戦で後半開始から出場し、後半1分と後半11分に2ゴールを挙げた[12]。第2戦のパラグアイ戦は後半22分から出場したがノーゴール[13]。第3戦のチリ戦は後半15分から出場し、後半21分に1ゴールを挙げた[14]。グループリーグ最終戦のウルグアイ戦は、累積警告により出場できなかった[15]

ブラジル代表はグループリーグを勝ち抜け、決勝リーグへ進出した。キリーノは第1戦のウルグアイ戦で後半27分まで出場[16]、第2戦のベネズエラ戦で後半14分まで出場[17]、第3戦のコロンビア戦で後半16分まで出場した[18]。第4戦のチリ戦は後半23分から出場[19]、第5戦のアルゼンチン戦は後半32分から出場した[20]。キリーノは決勝リーグ全5試合に出場したが、無得点に終わった。

ブラジル代表はこの大会で準優勝し、同年のワールドユース選手権への出場権を獲得した。

2005年ワールドユース選手権

南米ユース選手権に続き、ワールドユース選手権でも代表に選ばれた。グループリーグ1試合と決勝トーナメント3試合に出場したが、無得点に終わった。

キリーノはグループリーグ第1戦のナイジェリア戦に後半29分から出場した[21]。第2戦のスイス[22]と第3戦の韓国[23]では控えのメンバーとなり、出場の機会はなかった。

ブラジル代表はグループリーグを勝ち抜け、決勝トーナメントへ進出した。キリーノはラウンド16のシリア戦は控えとなったが[24]、その後の試合にはすべて途中出場した。キリーノは準々決勝のドイツ戦で後半11分から途中出場[25]、準決勝のアルゼンチン戦で後半11分から途中出場[26]、3位決定戦のモロッコ戦で後半14分から途中出場した[27]

ユールゴーデンIF時代

2006年シーズン

ユールゴーデンIFの本拠地ストックホルム・スタディオン。写真は2006年アルスヴェンスカン第4節IFKヨーテボリ戦のキックオフ前。キリーノはこの試合にフル出場した[28]

2006年、スウェーデンのサッカークラブ、ユールゴーデンIFに移籍した。移籍金は1400万クローナと報じられた[29]。クラブと2009年シーズン末までの4年契約を結んだ[30]。キリーノが入団する際、クラブはメディアや他のクラブに対して、「彼はゴールデンボーイだ」と言及した。プレシーズンマッチゲフレIF戦で1ゴール[31]IFブロンマポイカルナ戦で2得点[32]を挙げた。

だが周囲の期待とは裏腹に、2006年シーズンは不本意な結果に終わった。リーグ戦全26試合のうち18試合に出場したが、わずか1得点を挙げるに留まった。シーズン開幕から最初の7試合はスターティングメンバーの座を与えられたものの、フォワードとしての結果を出すことはできず、5月11日の第8節マルメFF戦以降、3試合連続で後半20分過ぎからの途中出場に甘んじることになった。そしてワールドカップによる中断を挟んだ7月20日の第11節BKハッケン戦以降は、途中出場の機会さえ少なくなった。2006年シーズンのリーグ戦でキリーノが試合にフル出場したのは、わずかに5試合だけであった。

2006年シーズンのリーグ戦で挙げた唯一のゴールは、5月2日の第6節ゲフレIF戦で、後半18分、カウンターから左サイドを駆け上がったステファン・バタンがゴール前に切り込み、ペナルティスポット付近のスペースへ走り込んだマティアス・ヨンソンへとパスを送った。ヨンソンはバタンからのボールを左足でダイレクトにシュートした。ゴールキーパーはヨンソンの強烈なシュートを正面で弾いたが、ゴール前で待っていたキリーノがこぼれ球を右足で押し込んだ。この試合はキリーノのゴールが決勝点となり、ユールゴーデンIFはゲフレIFを1対0で下した[33]

2007年シーズン

2007年シーズンは、キリノにとって喜ばしくない幕開けとなった。キリノはリーグ開幕以降、出場の機会をほとんど与えられなかった。2リーグ前半戦は、13試合中わずかに2試合で後半終了間際に途中出場しただけだったが、リーグ半ばを折り返した7月21日の第15節IFエルフスボリ戦で転機が訪れた。エースストライカーのジョーンズ・クシ=アサレが負傷退場したため、代役のフォワードとしてキリーノに出場機会が回ってきた。0対1で劣勢の場面で後半30分から途中出場し、後半43分に同点ゴールを決めた。試合は終了間際のロスタイム経過3分に、トニ・クイヴァストが逆転ゴールを挙げてユールゴーデンIFが勝利した[34]。この試合以降、キリノには途中出場の機会が与えられた。

9月3日の第20節ヘルシンボリIF戦、キリノは13ヶ月ぶりにスターティングメンバーに選ばれた。後半6分に先制ゴールを決め、後半12分にも得点を加えた[35]。9月24日の第22節AIKソルナ戦ではスターティングメンバーから外れたが、途中出場した後半13分に先制点を挙げた[36]。続く9月29日の第23節エレブロSK戦でも途中出場ながら得点を決め[37]、残る3試合で再びスターティングメンバーの座を勝ち得た。

10月7日の第24節ゲフレIF戦で1ゴールを決め[38]、10月22日の第25節ハルムスタッズBKでも2ゴールを決めた[39]。2007年シーズンでリーグ戦全26試合中13試合に出場した。うちフル出場したのはわずかに2試合であったものの、合計で8ゴールを決めてチーム得点王となった。

2008年シーズン

主審の前方約2フィートの地点でボールを見ているのがキリーノ。写真は2008年アールスヴェンスカン第21節GAIS戦の後半44分頃(ウレヴィ・スタジアム)。キリーノはこの試合に後半33分から途中出場した[40]

前年に続き、2008年シーズンでも出場機会を多くは与えられなかった。2008年シーズンのリーグ戦全30試合のうち22試合に出場したが、そのうちフル出場したのは4回だけで、後半途中からの出場が16試合を占め、得点も2点に終わった。キリーノが得点を挙げたのは、4月24日の第7節AIKソルナ[41]と、10月5日の第25節GIFサンズヴァル戦[42]であった。

2008年11月21日、ユールゴーデンIFはキリーノの移籍を公式発表した。キリーノの移籍先は日本のサッカークラブで、2009年シーズンから2部リーグへ降格することが決まったコンサドーレ札幌であると報告した[43]。スウェーデンの夕刊紙アフトンブラーデットは、キリーノの移籍金について、250万クローナと報道した[29]。クラブ社長のボッセ・アンデルソンは「すべての関係者にとって望ましい結果」とコメントし、キリーノの幸運を願った[43]。コンサドーレ札幌は12月13日にキリーノの移籍を公式発表し、スピードを武器とする選手であるとサポーターに報告した[2]

Jリーグへ

2009年、日本のサッカークラブ、コンサドーレ札幌に移籍した。契約期間は2009年2月1日から2010年1月1日までの1シーズン契約であった[2]。日本での選手登録名はキリノ。エースストライカーとして高い期待を受けたものの[10]、開幕前の練習試合7試合はいずれも無得点に終わった[44]。キリーノは開幕からスターティングメンバーとして起用された[45]。リーグ第2節のサガン鳥栖戦で後半ロスタイムに決勝点を挙げ[46]、サポーターの期待に応えた[47]。その後得点を重ね、最終的にはリーグ戦19点とチーム得点王となり契約を更新。しかし翌2010年シーズンはグロインペイン症候群を発症し試合出場数が減り、得点も2点にとどまる。2011年シーズンは札幌から韓国の大邱FCに期限付き移籍することとなった。大邱では12試合出場し、3ゴールを挙げた。

2011年末、J1昇格を果たした札幌への復帰が報道された[48]。自身初のJ1では7試合全てが途中出場からであり、無得点だった。

同年7月、湘南ベルマーレへの完全移籍が発表された[49]

湘南では背番号9を背負うこととなった。17試合に出場し7得点を挙げチームのJ1復帰に貢献した。特に第41節ガイナーレ鳥取戦での終了間際の決勝点はチームの昇格に影響を与える得点となった。

中東移籍

2013年8月、UAEリーグアル・シャアブ英語版へ期限付き移籍[50]

Jリーグ復帰

2014年8月、ヴァンフォーレ甲府へ移籍。東ティモール国籍を取得しているため、アジア枠での登録となる[51]。しかし負傷もありリーグ戦では7試合の出場で無得点に終わり、シーズン終了後に契約満了が発表された[52]

2015年9月、湘南ベルマーレへ復帰[53]

2016年7月、大分トリニータに期限付き移籍[54]。初のJ3リーグでのプレーとなった。

大分との期限付き移籍期間が満了し、移籍元の湘南とも契約満了となった2017年は母国ブラジルのアナポリスFCへ移籍。

2018年、鹿児島ユナイテッドFCに移籍[55]

マレーシアスーパーリーグ時代

2019年、マレーシアスーパーリーグFELDAユナイテッドFCへ移籍。2021年に現役引退を表明した[56]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ブラジルリーグ戦 ブラジル杯オープン杯期間通算
2003アトレチコMG
2004
2005
スウェーデンリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
2006ユールゴーデン19アルスヴェンスカン181-31212
2007138-20158
2008222-22244
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2009札幌19J24819-215020
2010172-00172
韓国リーグ戦 リーグ杯FA杯期間通算
2011大邱19Kリーグ123-
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2012札幌19J17040-110
湘南9J2177-10187
2013J113210-142
UAEリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
2013-14アル・シャアブアラビアン10231-133
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2014甲府20J170-1080
2015湘南950-0050
20165020-70
大分17J350-2070
ブラジルリーグ戦 ブラジル杯オープン杯期間通算
2017アナポリスセリエD4141
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2018鹿児島19J3265-10275
通算ブラジル
スウェーデンアルスヴェンスカン5311-736014
日本J13225010382
日本J28228-318529
日本J3315-30345
韓国Kリーグ123-
UAEアラビアン10231-133
総通算
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFA杯CL予選ロイヤルリーグ
2005-06ユールゴーデン19--30
2006-07-20-
2007-08---
2008-0920--

代表歴

タイトル

大分トリニータ

脚注

関連項目

外部リンク