スペアミント (競走馬)

競走馬

スペアミントSpearmint1903年 - 1924年)は、イギリス競走馬1900年代に活躍した。馬名は母メイドオブザミントからの連想。

スペアミント
欧字表記Spearmint
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1903年
死没1924年6月24日
カーバイン
メイドオブザミント
生国イギリスの旗 イギリス
生産者Eustace Loder
馬主Eustace Loder
調教師P.Gilpin
競走成績
生涯成績5戦3勝
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経歴

2歳戦は病気がちで、デビュー戦こそ頭差で勝ったものの、ニューマーケットのハンデキャップで惨敗するなど3戦して1勝で終わり、一度はクラシック候補から外れることになった。しかし、厩舎でクラシック候補として期待されていたフレアが1000ギニー優勝後に故障してしまい、調教で名馬プリティーポリーを負かすほどに調子を上げていたスペアミントを予定を変更してエプソムダービーに出走させることにした。この賭けは見事に当たり、スペアミントが従来のレコードを2秒8縮める2分36秒と4/5のタイムで優勝した。この後フランスパリ大賞典にも遠征し、快勝している。だが、パリ大賞典後に故障を発生、回復を待ったが完治せず、結局1度も出走することなく引退種牡馬入りした。

種牡馬入り後はそこそこの成功を収め、エプソムダービー馬スピオンコップ、愛二冠馬スパイクアイランド等の産駒を送り出した。スピオンコップはさらに3代連続でダービーを制すことになるフェルスティードを出したが、一方で現役時代にあまり活躍できなかった娘達、特にプラッキーリエージュ、キャットニップの影響も無視できないほど大きなものである。プラッキーリエージュはサーギャラハッドボワルセルなど4頭のリーディングサイアーを輩出し、キャトニップは孫にネアルコを出した事で後のサラブレッドへ多大な影響を及ばした。

1924年6月24日に疝痛で死亡、遺体は繋養地であったEyrefield Lodgeに埋葬された。

主な産駒

血統表

スペアミント血統カーバイン系 / Stockwell4.4×5=15.62% Pocahontas5×5.5=9.38%他)(血統表の出典)

Carbine
1885 鹿毛
父の父
Musket
1867 鹿毛
ToxophiliteLongbow
Legerdemain
West Australian MareWest Australian
Brown Bess
父の母
Mersey
1874 栗毛
KnowsleyStockwell
Orlando Mare
ClemenceNewminster
Eulogy

Maid of the Mint
1897
Minting
1883 鹿毛
Lord LyonStockwell
Paradigm
Mint SauceY.Melbourne
Sycee
母の母
Warble
1884 鹿毛
SkylarkKing Tom
Wheat-Ear
CoturnixThunderbolt
Fravolina F-No.1-c


外部リンク