ジョン・ルシアン

ジョン・ルシアンJon Lucien、1942年1月8日 – 2007年8月18日)はイギリス領ヴァージン諸島のトルトラ島出身の歌手。父のエリック・ルシアン・ハリガンは、トレスという弦楽器を主に演奏する音楽家[1]

ジョン・ルシアン
Jon Lucien
出生名Lucien Leopold Harrigan
生誕1942年1月8日
死没 (2007-08-18) 2007年8月18日(65歳没)
ジャンルソウル, ソウルジャズ, ファンク, R&B
職業歌手
レーベルRCA, コロムビア, マーキュリー, Shanachie, Sugar Apple Music
公式サイトwww.jonlucien.com

経歴

ルシアンは1942年にトルトラ島で生まれ、アメリカ領ヴァージン諸島セント・トーマス島で育ち、10代の時には父親のバンドでベースを演奏した。1960年代にニューヨークに移り[2]、RCAの幹部に見出されてデビューアルバムの『アイ・アム・ナウ』(1970)を発表した。これはスタンダード集で、会社は「黒いシナトラとして売り出そうとした」とルシアンは語っている[2]。2枚目のアルバム『ラシーダ』は全曲が自身のオリジナルで、編曲のデイヴ・グルーシンはアカデミー編曲賞にノミネートされた。「レディ・ラヴ」はラジオでヒットした[2][3]。このほか、アルフォンソ・ジョンソン『イエスタデイズ・ドリーム』、ウェザー・リポートミスター・ゴーン』にもゲストで参加している[2][4]

1980年に長女が溺死して以来、薬物中毒に苦しんだ[5]。1991年にマーキュリーから『リッスン・ラヴ』を発売し音楽シーンに復帰。1993年には『マザー・ネイチャーズ・サン』を発表している[2][4]。1997年の『エンドレス・イズ・ラヴ』はトランス・ワールド航空800便墜落事故で亡くしたもう一人の娘[6]に捧げている[2]

2007年8月18日に呼吸器不全によりフロリダ州オーランドーにて死去[7]

ディスコグラフィー

  • 『アイ・アム・ナウ』- I Am Now (1970年RCA)
  • 『ラシーダ』- Rashida (1973年RCA)
  • 『マインズ・アイ』- Mind's Eye (1974年RCA)
  • 『ソング・フォー・マイ・レディー』- Song for My Lady (1975年コロムビア)
  • 『プリマニション』- Premonition (1976年コロムビア)
  • Romantico (Precision, 1980)
  • Inside Moves (Elektra,1984)
  • Listen Love (Mercury, 1991)
  • Mother Nature's Son (Mercury, 1993)
  • Endless Is Love (Shanachie, 1997)
  • By Request (Shanachie, 1999)
  • Precious Is Love (Love Arts, 1999)
  • Man from Paradise (Sugar Apple Music, 2002)
  • Live in NYC (Sugar Apple Music, 2003)
  • A Time for Love (Sugar Apple Music, 2004)
  • The Wayfarer (Sugar Apple Music, 2008)[4]

出典