ジュリア・マロック
ジュリア・マロック[1](Julia Mullock Юуріяй Мялок、1928年3月18日 - 2017年11月26日)は、全州李氏第29代当主・李玖の事実上の妻(のち離婚)[2]。生年には諸説あり[3]。日本語表記にジュリア・ミューロック、ユーリー・ミャロックあり[4]。
人物
1928年、アメリカペンシルベニア州にあるウクライナ系移民の家庭に生まれる。美術学校でインテリアデザインを学び、ニューヨークのマンハッタンにあるイオ・ミン・ペイの会社に勤めているときに、MITの建築学科を卒業して同じ事務所で働く歳下の李玖と出会い、交際を開始、1958年5月に婚約、10月25日にニューヨークのセントジョージ・ウクレイニアン・カソリック教会(en:Saint George Ukrainian Catholic Church)で式を挙げた[5][2][6]。李王家の戸籍に登録はないが、皇太子妃ジュリア・リーの称号を与えられ、生涯その名を使用した[2]。
結婚後、夫の赴任地だったハワイに移住したが、1963年に夫の両親とともに韓国に移り住み、ソウルの昌徳宮楽善斎に住みながら、姑である李方子が経営する社会福祉法人『明暉園』の福祉事業をサポートした[7]。
しかし、1979年に事業失敗によって日本へ発った夫との間が急激に悪化し、跡継ぎを産むことが出来なかったという理由で、親族の人間達との確執を深めたこともあり、1982年に離婚した[5]。
離婚して以降は、ソウルのプラザホテルでケルト工芸店を運営するなど障害者福祉事業に尽力していたが、1995年に再びハワイに移住した。2000年には韓国を再訪して一か月滞在したが、望んでいた元夫との再会は叶わなかった[8]。
2005年4月に、自分の生涯を題材にした映画の作成の為に韓国を再訪問した際に、李玖の訃報に接したが、葬儀には招かれなかった[8]。2017年にハワイの病院で養女のジニ・リー(Eugenia Unsuk Lee、李恩淑、1959年生)に看取られ、老衰で亡くなった[8]。