ジャン・イシュビア

フランスのコンピュータ科学者

ジャン・ダヴィッド・イシュビアフランス語: Jean David Ichbiah1940年3月25日 - 2007年1月26日[1])は、フランス計算機科学者

ジャン・イシュビア
1989年~1990年
生誕 (1940-03-25) 1940年3月25日
死没2007年1月26日(2007-01-26)(66歳没)
職業計算機科学者
著名な実績chief designer (1977–1983) of the Ada programming language[1]
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1977年から1983年までAdaの主任設計者を務めていた[1]

ルーツ

テッサロニキからフランスに移住したギリシャ系・トルコ系ユダヤ人の子孫である[1][2][3]

経歴・活動

1972年から1974年にかけ、『LIS』の設計に携わったほか[4]IFIP WG 2.4 on Systems Implementation Languagesの創設者らの一員でもあった[5]。CIIハネウェル・ブル(のちのBull)に入社し[1]、計算機科学研究部門の一員として活動した。あるときアメリカ合衆国国防省で使用する組み込みのプログラミング言語を選ぶコンペティションに『Green』と命名した言語設計を提出した。1978年にそれが採用され、『Ada』と名付けられた後もそれの主任設計者として活動した。1980年にCIIハネウェル・ブルを離れ、ラ・セル=サン=クルーにアルシス社を設立し[1]、Ada83やAdaのコンパイラ事業を行った。1990年代にキーボードレイアウト『FITALY』を考案し、そのほかテキストウェア・ソリューションズ社を設立した。

脳腫瘍ができ、それの合併症により66歳で死去した[6]

脚注

出版物

外部リンク