サルバドール・カバニャス

パラグアイのサッカー選手

サルバドール・カバニャス・オルテガ(Salvador Cabañas Ortega, 1980年8月5日)は、パラグアイアスンシオン出身の元サッカー選手。元パラグアイ代表である。現役時代のポジションはFW

サルバドール・カバニャス
名前
本名サルバドール・カバニャス・オルテガ
Salvador Cabañas Ortega
ラテン文字Salvador Cabañas
基本情報
国籍パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1980-08-05) 1980年8月5日(43歳)
出身地アスンシオン
身長173cm
体重77kg
選手情報
ポジションFW
代表歴
2004-2009パラグアイの旗 パラグアイ44 (10)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

2003年にチリのアウダックス・イタリアーノからメキシコのチアパスFCに移籍した。2003前期リーグでは18試合に出場して5得点だったが、2004後期リーグでは15得点を挙げた。その後も8得点、8得点、9得点と安定した成績を残した。2006後期リーグでは14得点を挙げ、得点王に輝いた。

2006年、クルブ・アメリカに移籍した。2007年のコパ・リベルタドーレスでは10得点で得点王を獲得するなど、2007年には計33得点を挙げた。パラグアイ最優秀選手賞、南米年間最優秀選手にも輝いた。2008年のコパ・リベルタドーレスでは8得点を挙げ、2度目の得点王に輝いた。2009年1月18日のサントス・ラグーナ戦の2得点で、メキシコ・リーグ通算100得点を達成した。

2010年1月25日、夫人とともにメキシコシティのレストランバーに訪れたカバニャスは、トイレ内で額に22口径の銃弾を浴びた[1][2]。犯人がカバニャスと口論になり、カバニャスが「撃てるものなら撃ってみろ」と挑発したという従業員の証言もあるが[1]、何かを目的とした急襲の可能性もあるという[3]。危険な状態が続いたが、28日には夫人の手を握り返し、30日には言葉を話し、31日には食事をとれるまで回復した。2010年3月19日にはリハビリのためにアルゼンチンを訪れた[1]。2011年2月には母国のクルブ・リベルタで練習を再開し[4]、2011年8月10日には、メキシコシティのエスタディオ・アステカで行われたクルブ・アメリカ対パラグアイ代表の親善試合に出場した[5]。カバニャスはこの試合の前半はクルブ・アメリカの選手として、後半はパラグアイ代表の選手としてプレーした[6]。2011年10月にはパラグアイ代表の練習に参加するなどしてモチベーションを維持し[4]、2012年1月には、医師から現役復帰の許可を受けて古巣のドセ・デ・オクトゥブレと1年契約を交わした[7][4]

所属クラブ

グアラニー 1999 (loan)

タイトル

  • アウダックス・イタリアーノ
プリメーラ・ディビシオン得点王 アペルトゥーラ2003
  • チアパスFC
メキシコ・リーグ得点王 クラウスーラ2006
  • クルブ・アメリカ
コパ・リベルタドーレス得点王 2007, 2008
パラグアイ最優秀選手賞 2007
南米年間最優秀選手 2007

個人成績

代表での得点

2010年7月3日時点[8]
日時場所相手スコア結果大会
1.2005年3月27日 キト  エクアドル2–02–52006 FIFAワールドカップ・南米予選
2.2007年6月28日 マラカイボ  コロンビア4–05–0コパ・アメリカ2007
3.5–0
4.2007年7月2日 バリナス  アメリカ合衆国3–13–1
5.2007年11月21日 サンティアゴ  チリ1–03–02010 FIFAワールドカップ・南米予選
6.2008年6月15日 アスンシオン  ブラジル2–02–0
7.2008年10月11日 ボゴタ  コロンビア1–01–0
8.2009年6月10日 レシフェ  ブラジル1–01–2
9.2009年9月5日 アスンシオン  ボリビア1–01–0
10.2009年10月10日 プエルト・オルダス  ベネズエラ1–02–1

脚注

出典

外部リンク