サルバドール・イジャ Salvador Illa | |
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生年月日 | (1966-05-05) 1966年5月5日(58歳) |
出生地 | バルセロナ県ラ・ロカ・ダル・バリェス(英語版) |
出身校 | バルセロナ大学(学士) ナバーラ大学(経営学修士) |
所属政党 | スペイン社会労働党(PSOE) カタルーニャ社会党(英語版)(PSC) |
ラ・ロカ・ダル・バリェス市長 | |
在任期間 | 1995年 - 2005年 |
在任期間 | 2020年1月13日 - 2021年1月27日 |
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サルバドール・イジャ・ロカ(スペイン語: Salvador Illa Roca、1966年5月5日 - )は、スペイン・バルセロナ県ラ・ロカ・ダル・バリェス(英語版)出身の政治家。スペイン社会労働党(PSOE)とカタルーニャ社会党(英語版)(PSC)所属。1995年から2005年までラ・ロカ・ダル・バリェス市長を務め、2020年から2021年まで第2次サンチェス内閣で保健大臣を務めた。
1966年5月5日、バルセロナ県ラ・ロカ・ダル・バリェス(英語版)に生まれた。父親は自治体にあった縫製工場の労働者であり、母親は小規模な縫製工場の経営者である。2人の弟がいる[1]。グラノリェースのピア学校に通い[1]、バルセロナ大学で哲学の学士号を取得した[2][3]。ラモン・リュイ大学バランケルナコミュニケーション・国際関係学校で助教授を務めた[4]。ナバーラ大学IESEではMBA(経済学修士号)を取得した[5]。スペイン陸軍の少尉として兵役義務を終えた[5]。
1987年にはラ・ロカ・ダル・バリェス市の評議員に選出され、ロマー・プラナス・イ・ミロー市長の下で文化評議員となった[1]。1995年にはスペイン社会労働党(PSOE)の地域支部であるカタルーニャ社会党(英語版)(PSC)に加入し、死去したプラナス市長の後を継いでラ・ロカ・ダル・バリェス市長に就任した[6][7]。1期目には毎年400万人近くを集めるショッピングセンターのラ・ロカ・ビレッジを建設した[1]。1999年初頭には市議会で不信任決議を受けたが、1999年6月に行われた市議会議員選挙ではカタルーニャ社会党が与党となり、再び市長に就任した。2009年に市長を退任すると、映像制作会社であるクロモソーマのCEOを9か月間務めた[1]。
2005年9月、カタルーニャ州政府法務省の社会基盤管理局長に任命された[8]。2010年から2011年にはバルセロナ市当局の経済管理局長を務め、2011年から2016年にはバルセロナ市当局の地方社会主義グループのコーディネーターを務めた[9]。
2016年11月、カタルーニャ社会党のミケル・イセタ(英語版)によって党の事務局長に任命された[10]。2017年10月8日にはバルセロナでカタルーニャ市民社会(英語版)が主催するカタルーニャ独立反対デモが開催されたが、このデモに参加したカタルーニャ社会党の政治家の中では最も地位が高かった[11]。
2020年1月にはスペイン政府のペドロ・サンチェス首相の信任投票が実施されたが、アドリアーナ・ラストラ(英語版)やホセ・ルイス・アバロス(英語版)と同様に、信任投票を棄権することでカタルーニャ共和主義左翼(ERC)と合意に達したスペイン社会労働党の交渉チームの一人であった。
2020年1月13日、第2次サンチェス内閣の保健大臣に就任した[12][13]。
2020年12月30日、カタルーニャ社会党のイセタ党首はイジャをカタルーニャ州首相候補とすると発表した[14]。2021年1月27日、カタルーニャ州議会議員選挙に向けて保健大臣を辞任した[15]。
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