サルバテーラ・デ・ミーニョ
サルバテーラ・デ・ミーニョ(Salvaterra de Miño)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体、コマルカ・ド・コンダードに属する。ガリシア統計局によると、2013年の人口は9,677人(2011年:9,546人、2010年:9,456人、2009年:9,293人)である[1]。住民呼称は男女同形のsalvaterrense。自治体内は17の教区に分けられる。カスティーリャ語表記はSalvatierra de Miño(サルバティエラ・デ・ミーニョ)。
自治体庁舎 | |
州 | ガリシア州 |
---|---|
県 | ポンテベドラ県 |
コマルカ | オ・コンダード |
司法管轄区 | ポンテアレーアス |
面積 | 62.5 km² |
教区数 | 17 |
居住地区数 | 200 |
人口 | 9,677 人 (2012年[1]) |
人口密度 | 154.83 人/km² |
住民呼称 | salvaterrense |
ガリシア語率 | 97.98% (2011年[2]) |
自治体首長 (2011年) | アルトゥーロ・グランダル・バケイロ (PPdeG) |
北緯42度04分59秒 西経8度29分53秒 / 北緯42.08306度 西経8.49806度 西経8度29分53秒 / 北緯42.08306度 西経8.49806度 |
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は97.98%(2001年)。
地理
サルバテーラ・デ・ミーニョは面積62.5km²で、ポンテベドラ県の南部、テア川とミーニョ川の形成する谷の合流点に位置する。北はモンダリスとポンテアレーアスと、南はモンサオン(ミーニョ川の対岸、ポルトガル領)、東はアス・ネベスと、西はサルセーダ・デ・カセーラスとトゥイの各自治体と境界をなす。
サルバテーラ・デ・ミーニョはポンテアレーアス司法管轄区に属す[3]。
人口
サルバテーラ・デ・ミーニョの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[4]、1996年 - [5] |
歴史
991年5月24日オルドーニョ3世の後継者であるドン・ベルムードはサンティアゴ教会に領地とサルバテーラ渓谷を寄贈した。サルバテーラの町の建設はアフォンソ9世によって開始された1218年にさかのぼる。
1568年、時の領主ディエゴ・サルミエントは、ビーゴに上陸した海賊フランシス・ドレークからポンテベドラを守るために500人の男たちを派遣している。
サルバテーラは、ポルトカーレ伯妃テレサとカスティーリャ女王ウラカとの間の戦争ではカスティーリャ兵に占領されたが、1643年までポルトガル領であった。
政治
自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のアルトゥーロ・グランダル・バケイロ(Arturo Grandal Vaqueiro)[6]、自治体評議員は、ガリシア国民党:8、ガリシア民族主義ブロック(BNG):3、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
教区
サルバテーラ・デ・ミーニョは17の教区に分けられる。
- アルシェン(サン・パイオ)
- アランテイ(サン・ペドロ)
- カブレイラ(サン・ミゲル)
- コルサンス(サン・ミゲル)
- フィロジェード(サン・パイオ)
- フォルネーロス(サン・ショアン)
- レイラード(サン・サルバドール)
- リーラ(サン・シモン)
- ロウリード(サント・アンドレ)
- メデール(サント・アドリアン)
- オレイロス(サンタ・マリーア)
- ペスケイラス(サンタ・マリーニャ)
- ポルト(サン・パウロ)
- サルバテーラ(サン・ロウレンソ)
- ソウトロブレ(サンタ・コンバ)
- ウマ(サント・アンドレ)
- ビラコバ(サン・ショアン)