サッカーツバル代表
サッカーツバル代表(サッカーツバルだいひょう)は、ツバルサッカー協会 (TNFA) によって構成されるツバルのサッカーのナショナルチームである。
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国または地域 | ツバル | |||
協会 | ツバルサッカー協会 | |||
FIFAコード | TUV[1] | |||
監督 | マティ・フシ | |||
最多出場選手 | アロプア・ペトア カテプ・イオスア・シエニ(13試合) | |||
最多得点選手 | アロプア・ペトア(11得点) | |||
初の国際試合 | 1979年8月26日対ニューカレドニア 0-11 | |||
最大差勝利試合 | 2011年8月27日対アメリカ領サモア 4-0 | |||
最大差敗戦試合 | 1979年8月29日対タヒチ 0-18 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
最高成績 | - | |||
OFCネイションズカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
最高成績 | - | |||
オセアニアサッカー連盟(OFC)の準加盟メンバーであるが、国際サッカー連盟(FIFA)には未加盟であり、FIFAワールドカップに参加する事は出来ない。
歴史
1979年にサッカー協会が設立。同年にフィジーで開催されたサウスパシフィックゲームズに代表チームを初めて国際大会に派遣した。
ツバルには首都フナフティにサッカー場が1つ存在するが、海抜の低い国土ゆえ、満潮時になると地下から海水があふれ出し、グラウンドの芝生も塩害の影響でダメージを受けているなど、劣悪なコンディションの下に置かれている[2]。チームはサッカー場の側にあるフナフティ国際空港の滑走路で練習することもあり、このような状況から、これまでホームで国際試合を開催した経験はない[3]。
サッカーはツバルで最も人気のあるスポーツの一つとされ[4]、1987年からFIFAに加盟を申請しているものの、上述のインフラ面や財政面の問題から却下されている[5]。
将来的なFIFA加盟を目指し、2008年には当時のツバル首相であったアピサイ・イエレミアがFIFA本部を訪問し、ゼップ・ブラッターと対面。改めて正式なメンバー加盟についての陳情を申し入れた[4]。ツバルのFIFA加盟に関しては、フィジーサッカー協会も支援に協力する意向を示しており、要請があれば試合会場や練習場所の提供に応じるとしている[6]。
また、ツバルはオランダの財団とボランティアグループからも支援を受けており[7]、2011年には北京オリンピックでオランダ代表率いたフォッペ・デ・ハーンが監督に就任し[8]、パシフィックゲームズ2011までの期間限定ながら、無償で代表を率いた[9]。デ・ハーンに率いられた代表はパシフィックゲームズ本大会で、アメリカ領サモアから4-0と勝利を収めている。
成績
パシフィックゲームズ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1963 | 不参加 | ||||||
1966 | |||||||
1969 | |||||||
1971 | |||||||
1975 | |||||||
1979 | ベスト8 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 31 |
1983 | 不参加 | ||||||
1987 | |||||||
1991 | |||||||
1995 | |||||||
2003 | グループリーグ敗退 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 11 |
2007 | グループリーグ敗退 | 4 | 0 | 1 | 3 | 2 | 22 |
2011 | グループリーグ敗退 | 5 | 1 | 1 | 3 | 7 | 20 |
2015 | 不参加 | ||||||
合計 | 4/14 | 16 | 3 | 2 | 11 | 19 | 84 |
歴代監督
- ロパティ・タウピリ 2018
- マティ・フシ 2019-
歴代選手
脚注
関連項目
- ツバルのサッカー
- ツバルのスポーツ