ゴンサロ・ハラ

チリのサッカー選手

ゴンサロ・アレハンドロ・ハラ・レジェスGonzalo Alejandro Jara Reyes, スペイン語発音: [ɡonˈsalo ˈxaɾa], 1985年8月29日 - )は、チリワルペン出身のサッカー選手。元チリ代表クルブ・ティフアナ所属。ポジションはDF(センターバック)。

ゴンサロ・ハラ
名前
本名ゴンサロ・アレハンドロ・ハラ・レジェス
Gonzalo Alejandro Jara Reyes
ラテン文字Gonzalo Jara
基本情報
国籍 チリ
生年月日 (1985-08-29) 1985年8月29日(38歳)
出身地ワルペン
身長178cm[1]
体重71kg
選手情報
在籍チームメキシコの旗 クルブ・ティフアナ
ポジションDF
背番号18
利き足右足
ユース
チリの旗 ウアチパト
クラブ1
クラブ出場(得点)
2003-2006チリの旗 ウアチパト 69 (1)
2007-2009チリの旗 コロコロ 64 (1)
2009-2013イングランドの旗 WBA 56 (2)
2011イングランドの旗 ブライトン (loan) 4 (0)
2012イングランドの旗 ブライトン (loan) 10 (0)
2013イングランドの旗 ノッティンガム (loan) 16 (0)
2013-2014イングランドの旗 ノッティンガム 32 (0)
2014-2015ドイツの旗 マインツ 23 (0)
2016-2018チリの旗 ウニベルシダ・デ・チレ 58 (0)
2019-2020アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 15 (0)
2020メキシコの旗 モナルカス・モレリア 6 (0)
2020メキシコの旗 マサトラン 9 (0)
2021-メキシコの旗 ティフアナ 1 (0)
代表歴2
2005チリの旗 チリ U-203 (1)
2006-2019チリの旗 チリ115 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年1月13日現在。
2. 2019年7月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ歴

キャリア初期

2005年にCDウアチパトからデビューし、2007年にCSDコロコロに移籍した。同クラブではプリメーラ・ディビシオンアペルトゥーラとクラウスーラで3回の優勝を経験した。

イングランド時代

2009年8月、移籍金300万ポンドでチャンピオンシップ(イングランド2部相当)のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに完全移籍することに合意したことが発表されたが[2]、WBAは移籍交渉を中断した[3]。しかしWBAは移籍交渉を再開し、8月25日に3年契約を結んだ。移籍金は140万ポンド[4]。11月7日のレスター・シティFC戦で初得点を挙げ[5]、2010年9月25日にエミレーツ・スタジアムで行われたアーセナルFC戦 (3-2) で移籍後2点目を決めた[6]

2011年10月21日、チャンピオンシップのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに2012年1月までの契約でレンタル移籍した[7]。しかし12月20日、チーム内に負傷者が続出したWBAに他の2人の選手と共に呼び戻された[8]。2012年1月31日、シーズン終了までの契約で改めてブライトンにローンとなる[9]

マインツ

2014年7月16日、ブンデスリーガマインツ05へ2016年6月までの2年契約で完全移籍した[10]。2015年の夏、後述するコパ・アメリカでの出来事によりマインツからの退団話が浮上[11]。結局は残留し試合にも出場していたが、シーズン中の2016年1月に契約解除を申し出て退団する[12]

母国復帰以降

その数日後に母国チリのクラブ、ウニベルシダ・デ・チレへの加入を発表[13]

2019年1月より、アルゼンチンエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタと1年半の契約を締結[14]。同年末にクラブとの契約を解除した[15]

2020年1月にリーガMXモナルカス・モレリアに加入[16]。シーズン後半は同クラブが移転して新設されたマサトランFCでプレーしたが、いずれもプレー機会は限られた[17]

2021年1月よりクラブ・ティフアナへ加入[18]。モレリア時代の指揮官パブロ・ゲデ英語版と再会した[19]

代表歴

2010 FIFAワールドカップブラジル代表ダニエウ・アウヴェスと競るゴンサロ・ハラ

2005年にはU-20チリ代表としてニュージーランドで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場し、7-0と大勝したホンジュラス戦で得点した。2006 FIFAワールドカップ開幕を1ヶ月後に控えた2006年5月、チリA代表のネルソン・アコスタ監督に招集されてヨーロッパ遠征に参加し、ダブリンでのアイルランド戦、トゥーロンでのコートジボワール戦、ストックホルムでのスウェーデン戦に出場した。2007年にはコパ・アメリカ2007に出場し、エクアドル戦、ブラジル戦、メキシコ戦に出場した。2008年6月19日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ベネズエラ戦(3-2)で代表初得点を挙げ、同予選では9月10日のコロンビア戦(4-0)でも得点した。2008年にはU-23チリ代表としてトゥーロン国際トーナメントに出場し、フランス戦(5-3)、ニュージーランド戦(2-0)、日本戦(2-0)に出場したが、累積警告により準決勝のコートジボワール戦には出場できなかった。

2014 FIFAワールドカップではグループリーグ3戦全てに出場し、チリの決勝トーナメント進出に貢献する。しかし、PK戦にもつれこんだ決勝トーナメント1回戦ブラジル戦では5人目のキッカーとしてPKを外し、チリはベスト16で敗退した。

2015年、コパ・アメリカ2015にチリ代表の一員として出場。準々決勝のウルグアイ戦では相手FWエディンソン・カバーニの尻に手を当て、肛門に触れるような仕草を見せる。これをカバーニが軽く手で払いのけようとしたところ、ハラが顔を押さえ倒れた事により、カバーニはこの試合2枚目のイエローカードを提示され退場処分を受ける[20][21]。この性的挑発を南米サッカー連盟は「反スポーツ的行為」と判断し、ハラに2試合の出場停止処分と5000ドルの罰金を科した[22][23]。また、2013年のW杯予選で同じくウルグアイと対戦した際、ハラはルイス・スアレスの股間を触って挑発。また、コパ・アメリカ2019でのグループリーグ戦のウルグアイ戦でも、試合中に乱入してきたファンに暴行して逃走を阻止し、ウルグアイ側から抗議されるなど、物議を醸す行為を働いた[24]

2017年6月3日に行われた親善試合・ブルキナファソ戦において代表通算100試合出場を達成し、3-0の勝利で飾った[25]

ゴール

#開催年月日開催地対戦国スコア結果試合概要
1.2008年6月19日 プエルト・ラ・クルス  ベネズエラ1–22–32010 FIFAワールドカップ・南米予選
2.2008年9月10日 サンティアゴ  コロンビア1–04–0
3.2009年11月17日 ジリナ  スロバキア0–11–2親善試合

タイトル

クラブ

コロコロ
ウニベルシダ・デ・チレ
  • プリメーラ・ディビシオン : 2017クラウスーラ

代表

チリ

脚注

外部リンク