コニャ=リヨンヌ

コニャ=リヨンヌCognat-Lyonne)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アリエ県コミューン

Cognat-Lyonne

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région)オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département)アリエ県
(arrondissement)ヴィシー郡
小郡 (canton)エスキュロル小郡
INSEEコード03080
郵便番号03110
市長任期レーモン・マザル[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr)fr:Communauté d'agglomération de Vichy Val d'Allier
人口動態
人口676人
2011年
人口密度54人/km2
住民の呼称Cognatois/Cognatoises
地理
座標北緯46度06分33秒 東経3度18分39秒 / 北緯46.1091666667度 東経3.31083333333度 / 46.1091666667; 3.31083333333 東経3度18分39秒 / 北緯46.1091666667度 東経3.31083333333度 / 46.1091666667; 3.31083333333
標高平均:m
最低:308m
最高:368m
面積12.51km2
Cognat-Lyonneの位置(フランス内)
Cognat-Lyonne
Cognat-Lyonne
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地理

国道2209号線を通じてヴィシーの西側に位置し、ヴィシー都市圏の一部となっている。コミューンは2つの集落、東のコニャと西のリヨンヌとに分かれており、距離は2kmほどである。

歴史

1568年1月6日、プロテスタント軍とカトリック軍との間でコニャの戦いが発生した。ヴィシーを本拠とするプロテスタント軍がカトリック軍を撃破した。プロテスタント側の首領でポンスナ領主フランソワ・ブセは、自分の部下の一人に誤って殺害された。カトリック側の首領の1人、オートフイユ領主ジャン・ド・ラ・ファイエットは戦死した。プロテスタント軍はコンデ公軍とオルレアンで合流した。コニャの集落とオートフイユ城はこの戦いで破壊されてしまった。城は現在の教会の近くにあった。

現在の名称、コニャ=リヨンヌとなったのは1847年5月からである。

経済

農村地帯のコミューンであるが、建設分野の数社やサボテン育種業で従業員を雇用している。

人口統計

1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年2011年
520488501474556547616676

参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡

  • サント・ラドゴンド教会 - 12世紀ロマネスク様式。歴史文化財指定されている

脚注