コディ・ロス

アメリカの野球選手 (1980 - )

コディ・ジョゼフ・ロスCody Joseph Ross, 1980年12月23日[1] - )は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ルーズベルト郡ポーテイルズ出身の元プロ野球選手外野手)。左投右打。

コディ・ロス
Cody Ross
ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2012年8月14日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ニューメキシコ州ルーズベルト郡ポーテイルズ
生年月日 (1980-11-23) 1980年11月23日(43歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席左投右打
ポジション外野手
プロ入り1999年 MLBドラフト4巡目
初出場2003年7月4日
最終出場2015年5月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

同じくメジャーリーガーのトレバー・ロジャース従兄弟にあたる[2]

経歴

プロ入りとタイガース時代

1999年MLBドラフト4巡目(全体117位)でデトロイト・タイガースから指名され、プロ入り。

2002年11月20日に40人枠入りを果たした。

2003年1月23日にタイガースと1年契約に合意。3月12日に傘下のAAA級トレド・マッドヘンズへ異動した。7月4日にメジャー初昇格を果たし、同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。「7番・右翼手」で先発出場し、2打数無安打に終わった。7月17日にAAA級トレドへ降格。9月1日に再昇格したが、9月3日に膝を故障し、残りのシーズンを欠場した。

2004年2月23日にタイガースと1年契約に合意。3月21日にAAA級トレドへ異動した。

ドジャース時代

2004年4月1日にスティーブ・コリヤー英語版とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。

2005年3月2日にドジャースと1年契約に合意。4月2日に傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ異動した。6月24日にメジャー昇格。7月14日にAAA級ラスベガスへ降格した。

2006年2月20日にドジャースと1年契約に合意。4月17日にAAA級ラスベガスへ降格した。4月18日にDFAとなった。

レッズ時代

2006年4月24日にトレードで、シンシナティ・レッズへ移籍した。トレード相手は後日発表選手となり、ベン・コズロースキーがドジャースへ移った。4月29日に左手の指を負傷し、5月2日に15日間の故障者リスト入りした。5月23日に復帰した。

マーリンズ時代

フロリダ・マーリンズ時代
(2008年2月29日)

2006年5月26日に金銭トレードで、フロリダ・マーリンズへ移籍[3]。9月11日には、1試合で3点本塁打と2本の2点本塁打を放った。この年は1年間で3チームに所属したことになったが、1試合7打点を2回記録するなど、飛躍の年となった。その後もレギュラーとして活躍し、2009年には自己最多の29本塁打を記録した。

2010年2月16日にマーリンズと1年契約に合意。8月22日に年俸削減と若手起用の方針のためチームから放出された[4]

ジャイアンツ時代

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2011年7月15日)

2010年8月22日、同様に獲得を目指していたサンディエゴ・パドレスへの移籍を防ぐ目的もあり、ウェイバー公示を経てサンフランシスコ・ジャイアンツが獲得した[5][6]。レギュラーシーズンでは33試合に出場し、打率.288、3本塁打を記録した。チームは首位を走っていたパドレスに追いつき、地区優勝を果たした。

ディビジョンシリーズでは全4試合に右翼で先発出場した。第4戦では6回表に同点本塁打を放つなど、チーム3勝のうち2試合で決勝点を打った[7]チャンピオンシップシリーズでは[8][9]第1戦目でロイ・ハラデイから2本の本塁打を放つなど、計3本塁打を放ちMVPを獲得した。ワールドシリーズでも第3戦でコルビー・ルイスからソロ本塁打を放つなど、チームのワールドチャンピオンに貢献した。

2011年1月18日にジャイアンツと630万ドルの1年契約で合意[10]。3月31日に右脚の脹脛を負傷し、15日間の故障者リスト入りした。4月20日に復帰した。7月5日から左ハムストリングの怪我が目立つようになり、度々欠場した。9月17日に再びハムストリングを痛め、残りのシーズンを欠場した。オフの10月30日にFAとなった。

サンフランシスコでは人気選手となり、「ロス・ザ・ボス」と愛称がつけられた[11]

レッドソックス時代

2012年1月23日にボストン・レッドソックスと1年契約で合意。4月12日のタンパベイ・レイズ戦でバーク・ベイデンホップから移籍後初本塁打となる2 点本塁打を放った。翌日の試合でもマット・ムーアから3点本塁打を放った。5月18日の試合で、自打球を足に当て骨折した。5月22日に15日間の故障者リスト入りし、全治6週間から8週間となった。6月16日に怪我から復帰した。この怪我の影響がありながらも130試合に出場し、22本塁打を記録した。また守備では主に右翼を守ったが、外野すべてのポジションを守った。オフの10月29日にFAとなった。

ダイヤモンドバックス時代

2012年12月22日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額2600万ドルの3年契約(2016年のオプション付き)を結んだ[12]

2013年3月31日に左脚の脹脛の故障で15日間の故障者リスト入りし、4月13日に復帰した。8月11日の試合で一塁へ走塁中に右腰を故障し、翌12日に15日間の故障者リスト入りした[13]。9月2日に60日間の故障者リストへ異動し、残りのシーズンを欠場した。オフの11月1日に故障者リストから外された。

2014年3月19日に前年の故障の影響で、15日間の故障者リスト入りした。4月3日にリハビリのため、AAA級リノ・エーシズへ異動した。

2015年4月4日に自由契約となった。

アスレチックス時代

2015年4月8日にオークランド・アスレチックスとメジャー契約を結んだ。5月3日にDFAとなり[14]、6日に自由契約となった[15]

詳細成績

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003DET622191410185001010130.211.286.421.707
2005LAA14262514100510000100101.160.192.200.392
20068141447112169100000020.500.5001.1431.543
CIN2550100010000000020.200.200.200.400
FLA91279250305311111993701122204618.212.284.396.680
'06計1012982693461122131164611122204658.227.293.431.724
2007661971733558190121133920012033382.335.411.6531.064
2008145506461591202952222573610533271165.260.316.488.804
20091516045597315137124262908505341912218.270.321.469.790
2010120487452601202431118358910130441007.265.316.405.721
SF33827311214033470101701212.288.354.466.820
'10計153569525711412831421765920237451219.269.322.413.735
201112146140554972501416452520349449610.240.325.405.730
2012BOS1305284767012734122229812316423312911.267.326.481.807
2013ARI943513173388171813138231525135010.278.331.413.744
2014832192021551802651500011501443.252.306.322.628
2015OAK925223200023000030060.091.200.091.291
MLB:12年1073380634534499042111313215375083313427282184080077.262.322.445.768

表彰

背番号

  • 26(2003年)
  • 49(2005年)
  • 54(2006年 - 同年途中)
  • 16(2006年途中 - 同年途中)
  • 12(2006年途中 - 2010年途中)
  • 13(2010年途中 - 2011年)
  • 7(2012年 - 2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

🔥 Top keywords: メインページ特別:検索上戸彩エドワード・S・モースXG (音楽グループ)石丸伸二秋葉原通り魔事件山田昌蓮舫木村カエラ椎名林檎井上愛一郎杉浦太陽ブルース・リー渡部峻アンチヒーロー (テレビドラマ)岡崎慎司高橋里華河合優実MY FIRST STORY無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜クリストファー・コロンブス古畑任三郎黎智英赤間麻里子髙嶋政伸怪獣8号若葉竜也山本未來小川博Z-1 (アイドルグループ)稲葉浩志眞栄田郷敦天野鎮雄石川さゆり長谷川博己ノーマンズランド三上悠亜森内寛樹