グリゴリー・アルチェフスキー
グリゴリー・アレクセーヴィチ・アルチェフスキー[1](ロシア語: Григорий Алексеевич Алчевский, ラテン文字転写: Grigorii Alekseevich Alchevskii、ウクライナ語: Григорій Олексійович Алчевський/ Hryhoriy Oleksiyovych Alchevsky, 1866年 ハリコフ - 1920年 モスクワ)は、ロシア帝国のウクライナ人作曲家。
グリゴリー・アレクセーヴィチ・アルチェフスキー | |
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生誕 | 1866年1月1日 |
出身地 | ロシア帝国、ハリコフ |
死没 | 1920年1月1日(54歳没) ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、モスクワ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
略歴
父オレクシィ(Oleksiy Alchevsky)は鉱山技師で資本家(銀行家)で、母フルィスティナ・アルチェフスカ(Khrystina Alchevska)は教師であった。後に著名なオペラ歌手となった弟イヴァン(1876年-1917年)と、フランス語教師で詩人になった妹フルィスティヤ(Khrystia Alchevska, 1882年-1931年)がいる。
モスクワ音楽院に学び、声楽教師や作曲家・声楽家として身を立てた。交響曲《オレクシー・ポポヴィチ》や、ウクライナ民謡およびロシア民謡の編曲のほか、タラス・シェフチェンコやイヴァン・フランコ、レーシャ・ウクラインカおよび妹フルィスティヤら同胞の詩人の作品への曲付けを手懸けた。声楽家のための教則本を数点執筆している。