クーパー・カー・カンパニー

クーパー・カー・カンパニーCooper Car Company )は、かつて存在したイギリスレーシングカーコンストラクター。F1の1959年、1960年度コンストラクターズチャンピオン。F2F3などの下部カテゴリーでも好成績を収めた。

クーパー
参戦年度1950, 1952 - 1969
出走回数128
コンストラクターズ
タイトル
2 (1959, 1960)
ドライバーズタイトル2
優勝回数16
通算獲得ポイント342
表彰台(3位以内)回数58
ポールポジション11
ファステストラップ12
F1デビュー戦1950年モナコGP
初勝利1958年アルゼンチンGP
最終勝利1967年南アフリカGP
最終戦1969年モナコGP
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歴史

創業

創業者のチャールズ・ニュートン・クーパーCharles Newton Cooper )は1893年10月14日に産まれた。父のチャールズ・レナード・クーパーは舞台俳優で、フランス語読みの「シャルル・レナール」を芸名とし「スイス・エクスプレス」一座の座長を務めていた。母も同じ一座の女優であった。

父親は跡を継がせようと考えていたが、本人は自動車に興味を持ち、名門ネイピア・アンド・サンで徒弟修行に入った。第一次世界大戦に志願兵として参加、戦争終結とともにサリーのサービトン、ユーエルロードに店「クーパーズ・ガレージ」を構え、軍から放出されたモーターサイクルの修理を手がけた。その後花形レーシングドライバーだったケイ・ドンと知遇を得て、1934年までそのレーサーの整備を請け負った。

ジョン・ニュートン・クーパーチャールズ・ニュートン・クーパーの長男として1923年7月17日に産まれた。ガレージを遊び場とし、運転免許を取るはるか前からバイクを乗り回し、自然に自動車好きになっていた。ホーカーの系列会社で徒弟修行をし、父親とは別にホービトンにて工作機器の店を開いた。第二次世界大戦中は海軍工廠で徴用時代を経て空軍勤務に回されたが転属2ヶ月で終戦を迎えた。

1946年、チャールズ・ニュートン・クーパージョン・ニュートン・クーパーは事業を統一し、ボクスホールとフォードのディーラーの共同経営に乗り出した。そこでジョンの親友であったエリック・ブランドンの示唆を受け、500ccレーシングカーの製作を始めた。

クーパー500

チャールズ・ニュートン・クーパーにはすでに手製小型スペシャルの製造経験があり、1946年6月下旬に作り始めて5週間で第1号車が完成した。

1946年7月28日に最初のレースとなるプレスコット・ヒルクライムに参加し惨めな結果に終わったが、初期トラブルが解消するに連れてコースにより当時の2Lクラスに比肩する驚異的なタイムをマークするようになった。この性能に対する反響は大きく、爆発的な売り上げを見せた。

この注文に応じるため1947年10月に「クーパー・カーズ」を設立、同時に第1期市販車であるクーパー500Mk-II、12台ロットの設計製作に入った。

1948年5月9日、当時18歳であったスターリング・モスが彼にとって最初のレースとなったプレスコット・ヒルクライムにクーパー500Mk-IIで出場、クラス優勝した。この他クーパー500愛好者の中からはピーター・コリンズ、アイヴァ・ビュエブ、スチュワート・ルイス・エヴァンズ、ハリー・シェル、ニニアン・サンダーソンなど数々の第一級ドライバーが巣立った。

1950年にはF3マシンとしてFIAに承認されたが、あまりにもクーパー独占レースが多いためF3は1958年に廃止されてしまった。例えば1958年は全18レースで優勝し、12レースで表彰台を独占している。

当時特定のグランプリでは台数確保のため混走が許されており、このマシンはプライベーターの手によりF1初年度のモナコGPに参戦している。

F1における活躍

1959年のF1チャンピオンマシン、T51

クーパー・500に次いでブリストルBSエンジン搭載のF2マシンも人気を博し、F2規定下で行われた1952年、1953年のF1では多くのプライベーターに供給された。

ワークス・チームとしては、1955年のイギリスGPプロトタイプレーシングカー改造マシンでスポット参戦(ドライバーはメカニック出身のジャック・ブラバム)。1957年より2,000ccのコヴェントリー・クライマックスエンジンを搭載したミッドシップマシンで本格参戦を始める。翌1958年の開幕戦アルゼンチンGPで、ロブ・ウォーカー・レーシングチームのモスがコンストラクターとしての初勝利を達成。これはF1史上、プライベーター・チームが記録した最初の勝利でもあった。1959年にはエンジンを2,500ccまでボアアップし、ワークス、プライベーター両チーム合わせて9戦中5勝を記録。コンストラクターズ選手権を初制覇し、ワークスチームのブラバムがドライバーズチャンピオンに輝いた。翌1960年もブラバムの5連勝を含む10戦中6勝を挙げ、両タイトルを連覇した。

クーパーの快進撃に衝撃を受けた他チームはこぞってミッドシップマシンを開発。チーム・ロータスらの台頭により、徐々にクーパーの優位は失われていく。ブラバムの独立後、ブルース・マクラーレンが新エースとなるも成績は下降。チャーリー・クーパーが死去し、息子ジョンも交通事故で負傷した後、1965年に会社はチップステッド・モーターグループへ売却される。クーパー名義での参戦は続き、1966年にマセラティエンジンを搭載してジョン・サーティースヨッヘン・リントらが好走。しかし再び戦力を落とし、1969年末にF1からの撤退を決めた。

ミニ・クーパーの活躍

ミニ・クーパーの詳細についてはミニ (BMC)またはミニ (BMW)を参照。

クーパーは小型乗用車ミニの性能に目をつけ、BMCにスポーツモデルの販売を提案。チューンナップを手がけたミニ・クーパー、ミニ・クーパーSは1960年代のレース界を席巻した。伝統のラリー・モンテカルロでは、ランチアポルシェら強豪を退け1964、1965、1967年の総合優勝を果たした。1966年の優勝が認められれば4連覇だったが、この時はライトの規定違反を問われ失格処分となった。

ミニの製造メーカーが合併・買収などで変化しても、ミニ・クーパーはスポーツモデルとして継承されている。ジョン・クーパーはチューンナップガレージを経営する傍ら、これらの開発アドバイザーも務めていた。クーパーワークスのシンボルであるブリティッシュグリーンに白いストライプのカラーリング(画像参照)は、市販モデルでも人気カラーのひとつになっている。

クーパーの功績

ミッドシップ革命

1930年代のアウトウニオンPワーゲンがミッドシップ方式で成功した例があるものの、フォーミュラカーのエンジンレイアウトは1950年代も依然フロントエンジン・リヤドライブ(FR)方式が主流を占めていた。しかしF1におけるクーパーの活躍により、地殻変動のごとくミッドシップ化が進行することになる。クーパーのマシンは小型でエンジンも非力だったが、ミッドシップ特有の軽快なコーナリング性能を発揮し、フェラーリらのFRマシンを時代遅れなものにした。クーパーは1951年のインディ500にも挑戦し、大排気量車を相手に9位と健闘。その後ロータスの優勝もあり、アメリカのオープンホイールカーレースでもミッドシップ化が進むことになる。

ただし、最初にクーパー・500でミッドシップ方式を採ったのは「オートバイエンジンのチェーン駆動に適している」という現実的な理由であった。クーパーの設計思想はむしろ保守的・職人的であり、モノコックシャシーなど革新的な技術を打ちだすロータスに対しては、安全性を考慮し直ちに追随しなかった。

コンストラクターのモデル

従来のF1参戦マシンは、フェラーリやメルセデス・ベンツなどの自動車メーカーがシャーシとエンジンをセットで開発するのが一般的であった。これに対し、非メーカー系チームのクーパーはシャーシのみを設計し、量販エンジンを搭載するというコンストラクター(車体製造者)の立場で頂点を極めた。下町の小さなガレージの裏庭でマシンを組み立てるため「バックヤードビルダー」と呼ばれたこのスタイルを手本に、1960年代から1970年代にかけて続々と英国系コンストラクターが誕生し、F1に参戦することになる。

人材輩出

クーパーは1960年代末に消滅したが、所属ドライバーが独立して創設したブラバムマクラーレンは、後に名門チームへと成長する。ドライバー以外でも、クーパーのF2チームを指揮し、一時期F1チームの監督代行も務めていたケン・ティレルが独立してティレルを興した。マクラーレンの総帥ロン・デニスも、もとはクーパーのメカニックとしてレース界に入った人物である。

F1における全成績

ワークス

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

シャシーエンジンタイヤドライバー123456789101112ポイント順位
1953年T20
T23
T21
ブリストル BS1 2.0 L6
アルタ GP 2.5 L4
DARG500NEDBELFRAGBRGERSUIITA-*-*
アラン・ブラウン9
ジョン・バーバー8
アドルフォ・シュウェルム・クルスRet
スターリング・モス9Ret613
1955年T40ブリストル BS1 2.0 L6DARGMON500BELNEDGBRITA-*-*
ジャック・ブラバムRet
1957年T43クライマックス FPF 2.0 L4
クライマックス FPF 1.5 L4
A

D

ARGMON500FRAGBRGERPESITA-*-*
ジャック・ブラバム67† / Ret
レス・レストンDNQ
マイク・マクドウェル7†
ロイ・サルヴァドーリ5RetRet
1958年T45
T44
クライマックス FPF 2.0 L4
クライマックス FPF 1.5 L4
DARGMONNED500BELFRAGBRGERPORITAMOR313rd
ジャック・ブラバム48Ret66Ret7Ret11
ロイ・サルヴァドーリRet481132957
イアン・バージェスRet
ジャック・フェアーマン8
ブルース・マクラーレン513
1959年T51クライマックス FPF 2.5 L4DMON500NEDFRAGBRGERPORITAUSA40
(53)
1st
ブルース・マクラーレン553RetRetRet1
ジャック・ブラバム1231RetRet34
マステン・グレゴリーRet3Ret7Ret2
ジョルジオ・スカルラッティ12
1960年T51
T53
クライマックス FPF 2.5 L4DARGMON500NEDBELFRAGBRPORITAUSA48
(58)
1st
ブルース・マクラーレン12Ret23423
ジャック・ブラバムRetDSQ111114
チャック・デイRet
ロン・フロックハートRet
1961年T55
T58
クライマックス FPF 1.5 L4
クライマックス FWMV 1.5 V8
DMONNEDBELFRAGBRGERITAUSA14
(18)
4th
ブルース・マクラーレン612Ret58634
ジャック・ブラバムRet6RetRet4NCRetRet
1962年T60
T55
クライマックス FWMV 1.5 V8
クライマックス FPF 1.5 L4
DNEDMONBELFRAGBRGERITAUSARSA29
(37)
3rd
ブルース・マクラーレンRet1Ret435332
トニー・マグス5RetRet269773
ティミー・メイヤーRet
1963年T66クライマックス FWMV 1.5 V8DMONBELNEDFRAGBRGERITAUSAMEXRSA 25
(26)
5th
ブルース・マクラーレン32Ret12RetRet311Ret4
トニー・マグス57Ret29Ret6RetRet7
1964年T73
T66
クライマックス FWMV 1.5 V8DMONNEDBELFRAGBRGERAUTITAUSAMEX165th
フィル・ヒル98Ret76RetRetRet9
ブルース・マクラーレンRet726RetRetRet2Ret7
1965年T77
T73
クライマックス FWMV 1.5 V8DRSAMONBELFRAGBRNEDGERITAUSAMEX145th
ブルース・マクラーレン553Ret10RetRet5RetRet
ヨッヘン・リントRetDNQ11Ret14Ret486Ret
1966年T81マセラティ 9/F1 3.0 V12DMONBELFRAGBRNEDGERITAUSAMEX30
(35)
3rd
リッチー・ギンサーRet5
ヨッヘン・リントRet245Ret342Ret
ジョン・サーティースRetRetRet2Ret31
クリス・エイモン8
モイセス・ソラーナRet
1967年T81
T81B
T86
マセラティ 9/F1 3.0 V12
マセラティ 10/F1 3.0 V12
FRSAMONNEDBELFRAGBRGERCANITAUSAMEX283rd
ヨッヘン・リントRetRetRet4RetRetRetRet4Ret
ペドロ・ロドリゲス15Ret96586
アラン・リース9
リチャード・アトウッド10
ジャッキー・イクス6Ret
1968年T81B
T86
T86B
T86C
マセラティ 10/F1 3.0 V12
BRM P142 3.0 V12
アルファロメオ T33 3.0 V8
F

G

RSAESPMONBELNEDFRAGBRGERITACANUSAMEX147th
ブライアン・レッドマンRet3Ret
ルドヴィコ・スカルフィオッティRet44
ルシアン・ビアンキ36RetRetNCRetRet
ビック・エルフォード4RetRetRet5Ret8
ジョニー・セルボ=ギャバンRet
ロビン・ウィドウズRet
  • *コンストラクタータイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。
  • 印は同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。

ノンワークス

前述した通り、クーパーのマシンは多数のプライベーターに使用された。ロブ・ウォーカー・レーシングチームは1958年から1959年にかけて4勝(スターリング・モス3勝、モーリス・トランティニアン1勝)を記録している。

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チームシャシーエンジンタイヤドライバー123456789101112
1950年GBRMON500SUIBELFRAITA
ホーシェル・レーシング・コーポレーションT12JAP 1.1 L2D ハリー・シェルRet
1952年SUI500BELFRAGBRGERNEDITA
L.D. ホーソーンT20ブリストル BS1 2.0 L6D マイク・ホーソーン434Ret
AHM ブライドRet
レグ・パーネル7
エキュリー・リッチモンド アラン・ブラウン892013
エリック・ブランドン562215
エキュリー・エコッセ デヴィッド・マレーRet
1953年ARG500NEDBELFRAGBRGERSUIITA
R.J. チェースT23ブリストル BS1 2.0 L6D アラン・ブラウンRet
エキップ・アングレーズRet12
ヘルムート・グロックラーDNS
ケン・ウォートン ケン・ウォートンRetRet87NC
ボブ・ジェラード ボブ・ジェラード11Ret
ロドニー・ナッキー ロドニー・ナッキー11
エキュリー・エコッセT20 ジミー・スチュワートRet
トニー・クルック トニー・クルックRet
アトランティック・ステーブルT24アルタ GP 2.5 L4 ピーター・ホワイトヘッド9
1954年ARG500BELFRAGBRGERSUIITAESP
ボブ・ジェラードT23ブリストル BS1 2.0 L6D ボブ・ジェラード10
グールズ・ガレージ ホレース・グールド15
エキュリー・リッチモンド エリック・ブランドンRet
ロドニー・ナッキーDNS
R.J. チェース アラン・ブラウンDNS
ピーター・ホワイトヘッドT24アルタ GP 2.5 L4 ピーター・ホワイトヘッドRet
1956年ARGMON500BELFRAGBRGERITA
ボブ・ジェラードT23ブリストル BS1 2.0 L6D ボブ・ジェラード11
1957年ARGMON500FRAGBRGERPESITA
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チームT43クライマックス FPF 2.0 L4D ジャック・ブラバムRet7
クライマックス FPF 1.5 L4Ret
J.B. ネイラーT43 ブライアン・ネイラー13
リッジウェイ・マネージメンツT41
T43
トニー・マーシュ15
ポール・イングランドRet
ディック・ギブソンT43 ディック・ギブソンRet
ボブ・ジェラードT44ブリストル BS2 2.2 L6 ボブ・ジェラード6
1958年ARGMONNED500BELFRAGBRGERPORITAMOR
ロブ・ウォーカー・レーシングチームT43
T45
クライマックス FPF 2.0 L4C

D

スターリング・モス1
モーリス・トランティニアン19838RetRet
ロン・フロックハートDNQ
T43クライマックス FPF 1.5 L4D フランソワ・ピカールRet
ハイ・エフィシエンシー・モータースT43 イアン・バージェス7
トニー・マーシュT45 トニー・マーシュ8
ロベール・ラ・カズT45 ロベール・ラ・カズ14
アンドレ・ゲルフィT45 アンドレ・ゲルフィ15
ディック・ギブソンT43 ディック・ギブソンRet
エキュリー・エペロン・ドールT43 クリスチャン・ゲータルズRet
J.B. ネイラーT45 ブライアン・ネイラーRet
スクーデリア・セントロ・スッドT43 ウォルフガング・ザイデルRet
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップT45 トム・ブリッジャーRet
1959年MON500NEDFRAGBRGERPORITAUSA
ロブ・ウォーカー・レーシングチームT51クライマックス FPF 2.5 L4D モーリス・トランティニアン381154492
スターリング・モスRetRetRet11Ret
R.H.H. パーネルT45
T51
クライマックス FPF 1.5 L4 ヘンリー・テイラー11
ティム・パーネルDNQ
アラン・ブラウン・エキップT45クライマックス FPF 1.5 L4 ピーター・アシュダウン12
マイク・テイラーRet
ハイ・エフィシエンシー・モータースT45クライマックス FPF 2.5 L4 ジャック・フェアーマンRet
エキュリー・ブルーT51クライマックス FPF 2.5 L4 ハリー・シェルRet
テイラー-クロウリー・レーシング・チームT51クライマックス FPF 2.5 L4 ジョージ・コンスタンチンRet
エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲT51クライマックス FPF 1.5 L4 アラン・ド・シャニュイDNQ
ルシアン・ビアンキDNQ
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップT51クライマックス FPF 1.5 L4 アイヴァー・ビューブDNQ
ジャン・ルシアンボネT45クライマックス FPF 1.5 L4 ジャン・ルシアンボネDNQ
エース・ガレージ-ロザラムT51クライマックス FPF 1.5 L4 トレバー・テイラーDNQ
ギルビー・エンジニアリングT45クライマックス FPF 1.5 L4 キース・グリーンDNQ
ユナイテッド・レーシング・ステーブルT51クライマックス FPF 2.5 L4 ビル・モスDNQ
スクーデリア・セントロ・スッドT51マセラティ 250S 2.5 L6 イアン・バージェスRetRet614
マリオ・カブラル10
コリン・デイヴィスRet11
ハンス・ヘルマンRet
ハイ・エフィシエンシー・モータースT45 ロイ・サルヴァドーリ6RetRet
ジャック・フェアーマンRetRet
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップT51ボルクヴァルト 1500 RS 1.5 L6 クリス・ブリストウ10
アイヴァー・ビューブ13
オスカ・オートモビリT43オスカ 2.0 L6 アレッサンドロ・デ・トマソRet
1960年ARGMON500NEDBELFRAGBRPORITAUSA
ヨーマン・クレジット・レーシング・チームT51クライマックス FPF 2.5 L4D オリヴィエ・ジャンドビアン329712
トニー・ブルックス4RetRet55Ret
ヘンリー・テイラー74814
フィル・ヒル6
クリス・ブリストウRetRetRet
ブルース・ハルフォード8
フレッド・トラック・カーズT51DNQ
ルシアン・ビアンキRetRet
エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲT456
ロブ・ウォーカー・レーシングチームT51 モーリス・トランティニアン3†
スターリング・モスRet/3†
ランス・リヴェントロウPO
ハイ・エフィシエンシー・モータースT51 ロイ・サルヴァドーリRet8
エキュリー・マールスベルゲンT51クライマックス FPF 1.5 L4 カレル・ゴダン・ド・ボーフォール8
スクーデリア・コロニアT43クライマックス FPF 1.5 L4 ピエロ・ドロゴ8
ヴォルフガング・ザイデルT45クライマックス FPF 1.5 L4 ヴォルフガング・ザイデル9
エキュリー・ブルーT51クライマックス FPF 2.2 L4 ハリー・シェルRet
C.T. アトキンスT51クライマックス FPF 2.5 L4 ジャック・フェアーマンRet
アーサー・オーウェンT45クライマックス FPF 2.2 L4 アーサー・オーウェンRet
エキップ・プリドー/ディック・ギブソンT43クライマックス FPF 1.5 L4 ヴィク・ウィルソンRet
スクーデリア・セントロ・スッドT51マセラティ 250S 2.5 L6 カルロス・メンディテギー4
マステン・グレゴリーDNQDNS914Ret
ヴォルフガング・フォン・トリップス9
イアン・バージェスDNQRet10Ret
ロベルト・ボノーミ11
モーリス・トランティニアンRetRetRet15
マリオ・カブラルRet
アルフォンソ・シールRet
ギルビー・エンジニアリングT45 キース・グリーンRet
スクーデリア・エウジェニオ・カステロッティT51カステロッティ 2.5 L4 ジュリオ・ガビアンカ4
ジーノ・ムナロンRet15Ret
ジョルジオ・スカルラッティDNQRet
フレッド・アームブラスターT45フェラーリ 107 2.5 L4 ピート・ラヴリー11
1961年MONNEDBELFRAGBRGERITAUSA
ヨーマン・クレジット・レーシング・チームT53クライマックス FPF 1.5 L4D ジョン・サーティース1175RetRet5RetRet
ロイ・サルヴァドーリ86106Ret
H&L モータースT53 ジャッキー・ルイス9RetRet94
ジョン・M・ワイアット三世T53 ロジャー・ペンスキー8
カモラーディ・インターナショナルT53 マステン・グレゴリーDNQDNS101211
イアン・バージェス12
ハップ・シャープT53 ハップ・シャープ10
ベルナール・コロームT53 ベルナール・コロームRetNC
フレッド・トラック・カーズT45 ジャック・フェアーマンRet
モモ・コーポレーションT53 ウォルター・ハンセンRet
スクーデリア・セレニッシマT51マセラティ 6-1500 1.5 L4 モーリス・トランティニアン7Ret13Ret9
スクーデリア・セントロ・スッドT51
T53
ロレンツォ・バンディーニRet12Ret8
マッシモ・ナティリRetDNS
ペスカーラ・レーシング・チームT45 レナート・ピロッキー12
1962年NEDMONBELFRAGBRGERITAUSARSA
エキュリー・ギャロワーズT53クライマックス FPF 1.5 L4D ジャッキー・ルイス8DNQRet10Ret
ジョン・ラヴT55 ジョン・ラヴ8
アングロ=アメリカン・エキップT59 イアン・バージェス1211DNQ
ハップ・シャープT53 ハップ・シャープ11
ベルナール・コロームT53 ベルナール・コロームRet
マイク・ハリスT53アルファロメオ ジュリエッタ 1.5 L4 マイク・ハリスRet
1963年MONBELNEDFRAGBRGERITAUSAMEXRSA
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チームT60クライマックス FWMV 1.5 V8D ヨアキム・ボニエ7511NCRet67856
ジョン・ラヴT55クライマックス FPF 1.5 L4 ジョン・ラヴ9
スクーデリア・セントロ・スッドT60クライマックス FWMV 1.5 V8 マリオ・カブラルRetDNQ
フランク・ダッチナルT51クライマックス FPF 1.5 L4 フランク・ダッチナルDNQ
スクーデリア・ルッピーニT51マセラティ 6-1500 1.5 L4 トレヴァー・ブロクダイク12
スクーデリア・セントロ・スッドT53 エルネスト・ブランビラDNQ
1964年MONNEDBELFRAGBRGERAUTITAUSAMEX
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チームT66クライマックス FWMV 1.5 V8D ヨアキム・ボニエ5
エドガー・バースRet
ファーブル・ユルバンT60 ジャン=クロード・ルーダスDNS
ボブ・ジェラード・レーシングT73フォード 109E 1.5 L4 ジョン・テイラー14
1965年RSAMONBELFRAGBRNEDGERITAUSAMEX
ジョン・ラヴT55クライマックス FPF 1.5 L4D ジョン・ラヴRet
ボブ・ジェラード・レーシングT60クライマックス FWMV 1.5 V8 ジョン・ローズRet
トレヴァー・ブロクダイクT59フォード 109E 1.5 L4 トレヴァー・ブロクダイクDNQ
ボブ・ジェラード・レーシングT73 アラン・ローリンソンDNQ
1966年MONBELFRAGBRNEDGERITAUSAMEX
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チームT81マセラティ 9/F1 3.0 V12D ジョー・シフェールRetRetNCRetRet4Ret
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チームT81D

F

ヨアキム・ボニエNCRet7RetRetNC6
ギ・リジェT81D ギ・リジェNCNCNC109DNS
J.A. ピアース・エンジニアリング・リミテッドT73フェラーリ 218 3.0 V12D クリス・ローレンス英語版11Ret
1967年RSAMONNEDBELFRAGBRGERCANITAUSAMEX
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシング・チームT81マセラティ 9/F1 3.0 V12F ジョー・シフェールRetRet1074RetRetDNSRet412
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チームT81 ヨアキム・ボニエRetRetRet68Ret610
ギ・リジェT81D

F

ギ・リジェ10NC
ジョン・ラヴT79クライマックス FPF 2.8 L4F ジョン・ラヴ2
トム・ジョーンズT82クライマックス FWMV 2.0 V8- トム・ジョーンズDNQ
シャルル・ホーゲル・レーシングT77ATS 2.7 V8D シルビオ・モーザーRet
1968年RSAESPMONBELNEDFRAGBRGERITACANUSAMEX
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシング・チームT81マセラティ 9/F1 3.0 V12F ジョー・シフェール7
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チームT81G ヨアキム・ボニエRet
ジョン・ラヴT79クライマックス 2.8 L4F ベイシル・ヴァン・ルーエンRet
1969年RSASPAMONNEDFRAGBRGERITACANUSAMEX
アンティーク・オートモビルズT86Bマセラティ 10/F1 3.0 V12G ビック・エルフォード7
  • 印は同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。
  • 印はF2のマシンで出場した。

参照

参考文献

  • 神田重巳『世界の自動車-15 クーパー ローラ エルヴァ』二玄社

関連項目