クレイグ・ウィリアムズ

クレイグ・ウィリアムズCraig Williams、香港表記:韋紀力1977年5月23日[1] - )は、オーストラリアメルボルン地区を拠点とする騎手。かつてはデビッド・ヘイズ厩舎主戦騎手を務めていたが、専属契約を解除している[2]

クレイグ・ウィリアムズ
2010年天皇賞(春)表彰式
基本情報
国籍オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1977-05-23) 1977年5月23日(47歳)
身長163cm
体重50kg
血液型O型
騎手情報
初免許年1993年
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来歴

1977年5月23日オーストラリアビクトリア州メルボルンに生まれる。父のアラン・ウィリアムズは騎手で、のちに調教師となった。二人の兄はともに調教師[3]1993年、メルボルン地区で見習い騎手としてデビューする。3年で見習い期間を終了。

2000年、4月にオーストラリアンオークスをグランデシェゾーに騎乗して制し、G1初勝利を挙げる。同年5月にイギリスへ渡り、ミック・チャノン厩舎の主戦騎手として活躍した。3年間オーストラリアを本拠地としつつイギリス、ドバイ、香港を転戦したのち、2002年/2003年シーズンから2004年/2005年シーズンまで香港に滞在した。

2005年、オーストラリアに帰国。メルボルン地区を拠点とし、デビッド・ヘイズ厩舎の主戦騎手を務めた。デビッドはウィリアムズが少年時代に所属騎手となることを夢見た調教師コリン・ヘイズの息子にあたる。

2005年/2006年シーズンは70勝を挙げ、自身初のリーディングジョッキーとなった。2006年12月には第20回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場するために日本を訪れる。12月2日にゴールデンホイップトロフィーをエイシンドーバーに騎乗して制し、中央競馬2戦目で初勝利を挙げた。なお、同シリーズは30ポイントを獲得し5位タイとなった。

2006年/2007年シーズンも前シーズンに続きリーディングジョッキーとなる。2007年11月8日第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場が発表され、2年連続でシリーズに出場。12月1日は初戦こそ(A - Dランク中)Dランクの馬で15頭中14着と出遅れたが、2戦目はCランクの馬で2着。12月2日はBランクのシルクドラグーンで1着、最終レースもAランク(3番人気)の馬で4着とまとめて47ポイントで初優勝を果たした。南半球の国の代表騎手が同シリーズを制覇するのは史上初めてであった。

2009年にフリーとなる[4]。2010年、2009年/2010年シーズンの途中に、中央競馬の調教師森秀行の誘いに応じ、短期免許を取得し日本で騎乗。短期免許2日目の2010年5月2日京都競馬場で行われた天皇賞(春)でジャガーメイルに騎乗し優勝。外国人初の天皇賞(春)優勝騎手となった。

評価

  • JRA所属の騎手藤田伸二によると、騎手はレース中の状況に応じて左右両方の手で鞭を扱う必要があるが、ウィリアムズは右手でしか扱うことができない[5]

おもな勝ち鞍

オーストラリア
イギリス
フランス
日本
香港
アラブ首長国連邦

年度別成績表

オーストラリア

シーズン騎乗数勝利(メルボルン)勝率獲得賞金
(オーストラリア)
勝数順位金額順位
2005年/2006年49070勝1位.1421013万60223位
2006年/2007年48794勝1位.1931190万70502位
通算??勝----?

※金額の単位はオーストラリアドル

香港

シーズン騎乗数勝利勝率獲得賞金
勝数順位
2002年/2003年??勝?位??
2003年/2004年??勝?位??
2004年/2005年37435勝9位.0932534万5000
通算??勝----?

※金額の単位は香港ドル

日本(中央競馬)

騎乗数勝利勝率連対率獲得賞金
勝数順位
2006年41勝150位.167.1672129万2000
2007年102勝?位.200.3003219万
2008年90勝?位.000.0001285万
2009年70勝?位.000.000178万
2010年20118勝54位.089.18852841万8000
2011年18714勝67位.075.17162286万7000
通算41835勝-.084.177121939万7000

※金額の単位は

脚注

参考文献

  • 藤田伸二『騎手の一分 競馬界の真実』講談社〈講談社現代新書2210〉、2013年。ISBN 978-4-06-288210-1 

関連項目

参考文献

  • 芦谷有香「芦谷有香の特別インタビュー vol.350」『競馬ブック』2010年5月30日号、競馬ブック、2010年5月、194-196頁。