キミー・マイズナー

キンバリー・クレア・“キミー”・マイズナー英語: Kimberly Claire “Kimmie” Meissner1989年10月4日[3] - )は、アメリカ合衆国女性フィギュアスケート選手。キミーはキンバリーの短縮形メリーランド州タウソンボルチモア郊外)生まれ。2007年全米フィギュアスケート選手権2007年四大陸フィギュアスケート選手権優勝。2006年世界フィギュアスケート選手権優勝。2006年トリノオリンピックでは6位入賞。

キミー・マイズナー
Kimmie Meissner
フィギュアスケート選手
2007年スケートアメリカでのキミー・マイズナー
生誕 (1989-10-04) 1989年10月4日(34歳)
メリーランド州タウソン
身長162 cm
選手情報
コーチクリス・コンテ[1]
所属クラブデラウェア大学FSC[2]
ISUパーソナルベストスコア
総合189.872006 世界選手権
SP64.672007 世界選手権
FS129.702006 世界選手権
獲得メダル
フィギュアスケート
世界選手権
2006 カルガリー女子シングル
四大陸選手権
2007 コロラドスプリングス女子シングル
世界ジュニア選手権
2004 ハーグ女子シングル
ジュニアグランプリファイナル
2004 ヘルシンキ女子シングル

人物

カトリック教徒の家庭に、4人兄弟の末っ子として生まれた(上にいる3人は全員男)。学業にも力を入れており、17歳でデラウェア大学に進学している。趣味は読書、乗馬、ヴァイオリン。好きなフィギュアスケート選手はミシェル・クワン

2006年世界選手権で優勝した際、彼女の故郷であるメリーランド州ベル・エアでは祝勝パレードが行われた。さらに、記念として街の大通りが“Kimmie way”(キミー通り)に改名された。

2018年10月、電力会社に勤務する男性からプロポーズを受けた[4]。2019年8月24日には結婚式を挙げた[5]

スケート技術

アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。3回転アクセルにも2005年全米選手権で成功しているが[6]、国内選手権なのでISU公認の記録にはなっていない。コンビネーションジャンプは3回転フリップ-3回転トウループと3回転ルッツ-3回転トウループの2種類を跳ぶことができる[7]。また、アイスショーの練習中には何度もクリーンな3A+3Tを降りている[8]

経歴

幼少期~ジュニア時代

6歳の時に、アイスホッケーを習っていた3人の兄の影響を受けてスケートを始める[2]

2003-2004シーズン、全米選手権ジュニアクラス優勝。世界ジュニア選手権では初出場で銀メダルを獲得した。2004-2005シーズン、ジュニアグランプリファイナル3位。全米選手権ではシニアクラスに出場、トリプルアクセルに成功(アメリカの女子選手としてトーニャ・ハーディング以来2人目)して3位に入る。世界選手権には国際スケート連盟の定めた年齢制限のため出場できず世界ジュニア選手権に出場し4位。

シニア時代

2006年スケートアメリカにて

2005-2006シーズン、全米選手権は体調不良で臨みながらも、前年より順位を1つ上げて2位。トリノオリンピックでは6位入賞。初出場の世界選手権では、ショートプログラムは5位と出遅れたものの、フリースケーティングでは2種の3回転+3回転コンビネーションジャンプ、終盤に3連続ジャンプを完璧に決めるなどして、フリースケーティングの当時歴代3位(技術点は当時歴代1位)を記録、トリノオリンピック2位のサーシャ・コーエン、同4位の村主章枝らを逆転し、16歳にして世界女王となった。

2006-2007シーズン、グランプリシリーズではジャンプが安定せず、スケートアメリカ2位、エリック・ボンパール杯3位。結果、獲得ポイント24点は6位タイとなったが、総得点で及ばずグランプリファイナル進出を逃す。全米選手権は、完全復調とはいかないものの初優勝を果たす。続く四大陸選手権でも、ショートプログラム6位と出遅れながらフリースケーティングで出場選手中唯一の120ポイント以上を獲得、逆転優勝を飾った。2連覇を狙った世界選手権はショートプログラムでパーソナルベストを更新して4位、フリースケーティングでは3位で、総合4位入賞。

2007-2008シーズン、スケートアメリカISUグランプリシリーズ初優勝。初進出のグランプリファイナルでは右足首捻挫の影響もあり6位にとどまった[8]。さらに全米選手権では7位と低迷。世界選手権前にコーチをリチャード・キャラハントッド・エルドリッジに変え、復調を目指した[9]

2008-2009シーズン、フリップとルッツのロングエッジ判定導入にともないフリップのエッジ修正を行ったところ、全くジャンプが飛べなくなってしまった。グランプリシリーズは2戦とも8位に沈んだ。全米選手権の直前、トレーニング中に右膝に痛みを感じるようになり、慢性的な炎症を起こし腫れと痛みが続いたためMRIの検査を受けたところ、右膝頭の膝蓋骨の腱炎と部分的な脱臼と診断された。ドクターストップによりシーズンの残りを棒にふった。

オリンピックシーズンとなる2009-2010シーズンの夏は調子が良く、コーチのリチャード・キャラハンがアメリカ代表の2枠にも入れると確信していたが、グランプリシリーズ開幕直前でキミーのジャンプの練習中に若いスケーターが飛び出してきて故障をしてしまう。ドクターストップによりこのシーズンも棒にふり、バンクーバーオリンピックの代表選出は断念せざるを得なかった。

その後引退するつもりはないこと、シーズンに向けて準備をしていること、24歳でのソチオリンピックを目指すことを発表していたが、ソチまでに競技に復帰することはなかった。

サーシャ・コーエンとともに世界選手権女子シングルのアメリカ最後のメダリストとなり、アメリカ人選手は9大会にわたって表彰台を逃し続けたが、2016年大会でのアシュリー・ワグナーの銀メダル獲得によって悲願の達成となった。

主な戦績

大会/年2002-032003-042004-052005-062006-072007-082008-09
冬季オリンピック6
世界選手権147
四大陸選手権1
全米選手権1 N1 J3217
GPファイナル6
GPロシア杯8
GPスケートアメリカ218
GPエリック杯532
GPNHK杯5
世界Jr.選手権24
JGPファイナル53
JGPスケートロングビーチ2
JGPクールシュベル2
JGPスケートブレッド1
JGPソフィア杯2
トリグラフトロフィー3 N
  • N = ノービスクラス、J = ジュニアクラス

詳細

2008-2009 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2008年11月20日 - 23日ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ8
48.08
7
83.28
8
131.36
2008年10月23日 - 26日ISUグランプリシリーズ スケートアメリカエバレット6
54.90
9
81.02
8
135.92
2007-2008 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2008年4月20日2008年ジャパンオープンさいたま-5
108.42
3
団体
2008年3月17日 - 23日2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ9
57.25
12
92.49
7
149.74
2008年1月20日 - 27日全米フィギュアスケート選手権セントポール4
57.78
7
99.98
7
157.56
2007年12月13日 - 16日2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ5
59.08
6
95.14
6
154.22
2007年11月15日 - 18日ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ2
55.98
3
103.99
2
158.74
2007年10月25日 - 28日ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレディング1
59.24
2
103.99
1
163.23
2006-2007 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2007年4月29日2007年ジャパンオープンさいたま-6
92.78
3
団体
2007年3月19日 - 25日2007年世界フィギュアスケート選手権東京4
64.67
3
115.56
4
180.23
2007年2月5日 - 11日2007年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス6
52.49
1
120.26
1
172.75
2007年1月21日 - 28日全米フィギュアスケート選手権スポケーン1
65.69
3
115.99
1
181.68
2006年11月16日 - 19日ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ4
52.56
4
105.47
3
158.03
2006年10月26日 - 29日ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード3
58.82
2
118.96
2
177.78
2006年10月15日キャンベルカップ(シンシナティ-2
108.86
2
団体
2005-2006 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2006年3月19日-26日2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー2
28.46
5
60.17
1
129.70
1
189.87
2006年2月10日-16日トリノオリンピックトリノ-5
59.40
6
106.31
6
165.71
2006年1月7日-15日全米フィギュアスケート選手権セントルイス-4
55.03
2
116.01
2
171.04
2005年12月1日-4日ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪-3
56.10
5
96.08
5
152.18
2005年11月17日-20日ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ-6
44.92
4
110.80
5
155.72
2004-2005 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2005年2月28日-3月6日2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー4
81.94
3
52.67
4
93.96
4
146.63
2005年1月9日-16日全米フィギュアスケート選手権ポートランド-433
2004年12月2日-5日2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナルヘルシンキ-7
42.21
2
90.93
3
133.14
2004年9月9日-12日ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチロングビーチ-2
46.33
2
87.40
2
133.73
2004年8月26日-28日ISUジュニアグランプリ クールシュヴェルクールシュヴェル-2
54.30
2
93.85
2
148.15
2003-2004 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2004年2月29日-3月7日2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ2322
2004年1月3日-11日全米フィギュアスケート選手権 ジュニアクラス(アトランタ-211
2003年12月11日-14日2003/2004 ISUジュニアグランプリファイナルマルメ-755
2003年10月9日-12日ISUジュニアグランプリ スケートブレッドブレッド-311
2003年9月11日-13日ISUジュニアグランプリ ソフィア杯ソフィア-522
2002-2003 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2003年4月7日 - 13日2003年トリグラフトロフィー ノービスクラス(イェセニツェ333
2003年1月7日 - 15日全米フィギュアスケート選手権 ノービスクラス(ダラス111

プログラム使用曲

シーズンSPFSEX
2009-2010アンジェ・パッセ
作曲:アラン・ルフェーブル
振付:ローリー・ニコル
シチリアーナ
リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲より
作曲:オットリーノ・レスピーギ

ロミオとジュリエット
振付:ローリー・ニコル
2008-2009[10]合奏協奏曲第11番ニ短調
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ
演奏:BBCフィルハーモニック

アルビノーニのアダージョ
作曲:トマゾ・アルビノーニ
演奏:エロティカ・トリオ・オーケストラ

振付:ローリー・ニコル
Testify to Love ドラマ『タッチド・バイ・アン・エンジェル』より
ボーカル:ワイノナ・ジャッド
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より
ボーカル:エヴァ・キャシディ
イエロー
曲:コールドプレイ
2007-2008奇跡の始まり
作曲:ピーター・ガブリエル
振付:ローリー・ニコル
映画『エバー・アフター』より
作曲:ジョージ・フェントン
誰も寝てはならぬ 歌劇『トゥーランドット』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
振付:ローリー・ニコル
Testify to Love ドラマ『タッチド・バイ・アン・エンジェル』より
ボーカル:ワイノナ・ジャッド
イマジン
ボーカル:ジョン・レノン
2006-2007[11]ロマンス 映画『吹雪』より
作曲:ゲオルギー・スヴィリードフ
振付:ニコライ・モロゾフ
ガリシアフラメンコ
作曲:ジーノ・ダウリ
振付:ローリー・ニコル
エンジェル 映画『シティ・オブ・エンジェル』より
ボーカル:サラ・マクラクラン
Keep Holding On
ボーカル:アヴリル・ラヴィーン
アンリトゥン
ボーカル:ナターシャ・ベディングフィールド
2005-2006[3]交響的舞曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
バレエ『シバの女王ベルキス』より
作曲:オットリーノ・レスピーギ
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より
ボーカル:エヴァ・キャシディ
アンリトゥン
ボーカル:ナターシャ・ベディングフィールド
2004-2005
作曲:クロード・ドビュッシー
ダフニスとクロエ
作曲:モーリス・ラヴェル
Breakaway
曲:ケリー・クラークソン
2003-2004Sand and Waterローマの松
作曲:オットリーノ・レスピーギ
ヒア・カムズ・ザ・サン
ボーカル:リンダ・エダー
2002-2003バレエ『ライモンダ』より
作曲:アレクサンドル・グラズノフ
交響曲第5番
作曲:セルゲイ・プロコフィエフ
Say A Little Prayer
作曲:アレサ・フランクリン

脚注

出典

外部リンク