カステルノー=ラ=シャペル
カステルノー=ラ=シャペル (Castelnaud-la-Chapelle、オック語:Castèlnòu e La Capèla[1])は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ドルドーニュ県のコミューン。フランスの最も美しい村に登録されている[2]。
Castelnaud-la-Chapelle | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ドルドーニュ県 |
郡 (arrondissement) | サルラ=ラ=カネダ郡 |
小郡 (canton) | ヴァレ・ドルドーニュ小郡 |
INSEEコード | 24086 |
郵便番号 | 24250 |
市長(任期) | マリー=フランソワーズ・ルベルグ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Domme-Villefranche du Périgord |
人口動態 | |
人口 | 471人 (2015年) |
人口密度 | 23人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯44度48分57秒 東経1度08分58秒 / 北緯44.8158333333度 東経1.14944444444度 東経1度08分58秒 / 北緯44.8158333333度 東経1.14944444444度 |
標高 | 平均:?m 最低:51m 最高:283m |
面積 | 20.88km2 |
公式サイト | castelnaud-la-chapelle.com |
由来
Castelnaudというつづりは、『新しい城』を意味するCastelnauが改竄されたものである(ラテン語ではcastellum novum)。
歴史
1827年、カステルノーとフェイラック(Fayrac)の2コミューンが合併し、カステルノー=フェイラック(Castelnaud-Fayrac)と名乗った。
カステルノー=ラ=シャペルは、カステルノー=フェイラックとラ・シャペル=ペショー(La Chapelle-Péchaud)が1973年に合併して誕生した。ラ・シャペル=ペショーは関連コミューンの地位を保持しており、このためカステルノー=ラ=シャペル議会に首長代理を選出している。
経済
観光業、タバコやトウモロコシの栽培。
人口統計
1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2015年 |
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380 | 374 | 408 | 426 | 457 | 471 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[3]、2006年以降INSEE[4][5]
史跡
- カステルノー城 - 13世紀から14世紀。1966年に歴史的記念物となった。ドルドーニュ川の急な崖の上に腰かけるようにそびえ、セウ川との合流地点を見下ろす。12世紀に城が言及された。1214年にはシモン4世・ド・モンフォールに占領された。15世紀にはイングランド軍が占領している。13世紀の遺跡は13世紀と14世紀に手が加えられ、ダンジョンと巨大な塔が14世紀に建った。19世紀には石材の採石場となっていたが、以後に再建された。
- フェイラック城 - 15世紀から16世紀。
- ラコストのシャトー - 18世紀から19世紀。
- ミランドのシャトー - 15世紀から19世紀。
- ミランドのシャトー
- カステルノー城
- ラコストのシャトー
- フェイラック城
- ドルドーニュ川に架かる橋
- サン・ミシェル・アルシャンジュ教会
- 街並み
- 通り
ゆかりの人物
- ジョフロワ・ド・ヴィヴァン(fr) - カステルノー城で誕生。軍人
- フェルナン・ド・ラ・トンベル(fr) - 作曲家、オルガン奏者。フェイラック城で死去。
- アンドレ・マルロー - レジスタンス運動に参加していた1944年、カステルノー城に滞在
- ジョセフィン・ベーカー - 1937年以来借りていたミランドのシャトーを、1947年に購入。