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オーヴルチ公はオーヴルチ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったオーヴルチによる。
オーヴルチ公の一覧
- 一覧のうち、( )はオーヴルチ公国領域の統治者の称号を示す。
キエフ・ルーシ期(ドレヴリャーネ公)
- オレグ・スヴャトスラヴィチ(ru) - 在位:970年 - 977年
- スヴャトスラフ・ウラジミロヴィチ(ru) - 在位:988年 - 1015年
キエフ・ルーシ期・オーヴルチ公
ジョチ・ウルス期・オーヴルチ公
- モンゴルのルーシ侵攻を経て、1240年よりジョチ・ウルスのバスカクによる統治が行われた。この期間にオーヴルチ公として言及される以下の人物がいる。
- アンドレイ・イヴァノヴィチ - 在位:14世紀の第一四半期[1]
- エフスタフィー・イヴァノヴィチ - 在位:14世紀の第一四半期
- イヴァン・スタニスラヴィチ - 在位:14世紀前半
- イヴァン・ボリソヴィチ? - 在位:? - 1399年[1]
- ドミトリー?[1]
リトアニア大公国期(キエフ公)
- 1362年のシニュハ川の戦いでリトアニア大公国がジョチ・ウルスを破り、オーヴルチを含む南ルーシを領土に加えた。リトアニア大公国期には、オーヴルチは主にキエフ公の所領の一部として統治された[4]。
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