オートラマ

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オートラマ (Autorama) は、かつて日本に存在した自動車販売網のブランドである。日本のマツダ米国フォード・モーターが協業したフォード車専門の販売チャネルである。

概要・沿革

初期店舗サイン(旧ジャスコカーライフ・オートラマライフ東京神田店)
旧オートラママエダ鶴ヶ島店(前田製作所)
旧フォード新茨城水戸赤塚店(茨城日産自動車)[1]
  • かつて、1974年昭和49年)設立の「フォード自動車(日本)」を総輸入元として、近鉄モータース、北海自動車工業、カメイオート、日光社、欧米モータースなど有力輸入車ディーラー各社が正規販売店として、日本でフォード車を販売した。
  • 1979年(昭和54年)にフォードがマツダへ資本参加したことを契機に、マツダの第3チャネル(販売系列)を展開するプランが持ち上がった。
  • 1981年(昭和56年)に全国オートラマ店の統括会社(ディストリビューター)として「株式会社オートラマ」が設立された。 オートラマはオートモービル (Automobile) とパノラマ (Panorama) からなる造語である。フォード自動車とマツダが出資で開設する予定であったが、初期資本は全国有力マツダ系ディーラーや損害保険各社が出資した。
  • 1982年(昭和57年)に全国展開を開始した。「エンジョイ・カーライフ」「世界一の流通生産性の実現」をコンセプトにし、従来の自動車ディーラーの常識とは正反対のビジネスモデルを構築した。ディーラーの形態を「営業所」から「ショップ」という概念に置き換え、オープン当時は店頭誘客を図るためにカーライフグッズ (CLG) をショップに導入。「車に関する全てを取り扱うトータルオートセンターを目指し、新車だけではなく中古車カー用品なども積極的に取り扱う」「訪問販売ではなく店頭販売」「売れた分だけ発注すればよいので過剰在庫を抱えて値引き乱売する必要はない。その代わりメーカーからのインセンティブは一切なし」[2]。これらの全く新しい営業スタイルを武器として、店舗展開の際、異業種資本の参入を積極的に進めた。そのため、マツダ系ディーラーや古くからのフォード販売会社のみならず、自動車ビジネスと縁もゆかりもない様々な会社がオートラマ販売網に参加した。この方法論は後のユーノスオートザムの全国展開でも踏襲され、成果をあげた。
参入した異業種会社一例、後にフォード店へ転換したものを含む
交通北陸鉄道滋賀交通中国バス東海自動車(東海車輌サービス)、京成電鉄
商社三井物産伊藤忠商事トーメン
スーパーマーケットジャスコ(及び子会社の伊勢甚)、フジフォードフジ)、マルナカスーパー大栄イズミヤ原信マルエツカスミキョーエイフレッセイ藤越
ホームセンター:ジュンテンドーケーヨーカンセキエンチョー
その他:エンケイ共同石油吉田産業前田製作所、あおい商事、NTTエステックス、マツダアクセサリーサービス、東方会館。
参入した他社ディーラー例(現在フォード店として営業中のものも含む)…埼玉日産自動車、東京日産自動車販売トヨタカローラ秋田、名古屋トヨペット長野日産自動車ネッツトヨタ神奈川、トヨタ勝又グループ大阪日産自動車、日産サニー湘南(日産サティオ湘南)、茨城日産自動車
  • 1997年(平成9年)、社名を「フォードセールスジャパン」に変更し、本社を東京都新宿区新宿センタービルから東京都港区虎ノ門秀和神谷町ビルに移転した。
  • 1999年(平成11年)3月、マツダが所有するフォードセールスジャパン株がフォードに買い取られ、その他出資企業の保有分もフォードに買い取られ、フォード自動車(日本)と統合して正式に「フォード・ジャパン」が設立された。
  • 同時に、直営販売会社として「フォード・ジャパン・ディーラー・リミテッド」が設立され、のちに東京・千葉・埼玉の一部フォード店、旧フォード関西全店舗(大阪の大手スーパーイズミヤが経営していた)を運営していた。

以後はフォード・ジャパンに詳述がある。

取り扱い車種

年号は生産年基準

北米製

欧州製

米国・AAI製

外観車種名初登場年販売終了年世代数備考

Probe
(写真は初代)
プローブ1988年1997年2代

日本・マツダ製

外観車種名初登場年販売終了年世代数備考

TELSTAR
(写真は5代目)
テルスター1982年2001年5代マツダカペラクロノスMS-6バッジエンジニアリング車
4ドアセダン、5ドアハッチバック、ワゴンが設定された。

TELSTARII
テルスターII1994年1997年1代6代目マツダカペラのバッジエンジニアリング車。
4ドアセダンが設定された。
販売当時テルスターも併売されていた。

LASER
(写真は3代目)
レーザー1982年2000年5代マツダファミリアのバッジエンジニアリング車(3代目除く)。
3ドア・5ドアハッチバック、4ドアセダンが設定された。
3代目はファミリアと異なる外板だった。

Festiva
(写真は初代)
フェスティバ1986年1997年2代初代は欧州・豪州向けのマツダ121のバッジエンジニアリング車(日本では2代目含みフォードブランド専売)。
3ドアハッチバックが設定された。

Festiva MINIWAGON
フェスティバミニワゴン1996年2002年1代デミオのバッジエンジニアリング車。
5ドアステーションワゴンが設定された。

IXION
イクシオン1999年2003年1代プレマシーのバッジエンジニアリング車。
5ドアステーションワゴンが設定された。

SPECTRON
スペクトロン1983年1997年1代ボンゴのバッジエンジニアリング車。

FREDA
フリーダ1995年2002年1代ボンゴフレンディのバッジエンジニアリング車。

J80
J801983年1997年1代ボンゴバン・トラックのバッジエンジニアリング車。
J100J1001983年1997年1代ボンゴブローニイバン・トラックのバッジエンジニアリング車。

韓国・起亜自動車製

外観車種名初登場年販売終了年世代数備考

Festiva5
フェスティバ51代キア・プライドを日本に導入。
5ドアハッチバックが設定された。

Festivaβ
フェスティバβ1代キア・プライドを日本に導入。
4ドアセダンが設定された。

老舗フォード車輸入・販売会社による取り扱い

オートラマ販売網展開に当たっては、戦前や戦後直後から自らフォード車を輸入・販売を行ってきた、所謂「老舗」のフォードディーラーも多数参加している。

近鉄モータースもオートラマ販売網に参加したが、近鉄モータースはリンカーンマーキュリーの輸入権を保有し自社の販売網も構築していたことで、両方の販売網に参加している販売会社は、リンカーン・マーキュリー車も併売した。

その他

沖縄県は老舗フォードディーラーの「コーラルアイルモータース」がオートラマ車を扱ったが、1980年代後半以降、1991年末に「フォード沖縄」(2000年代後半に廃業)が設立されるまで、オートラマ系列の店舗はなかった。その間、地元中古車販売業者[5]、地元マツダ販売会社[6]の2社がフェスティバを扱ったが、その他オートラマ車は不明。

自動車検査証の車名は、輸入車種は「フォード」、マツダの国内工場での生産車種は「ニホンフォード」と記された。

その他・マスコミタイアップ

  • 初期のキャッチコピー:「クルマとぼくらの衣食住」
  • 『オートラマへ、愛に恋。』のキャッチコピーを90年代前半まで用いた。1991年10月発行のテルスターのカタログ背表紙左下に使用、1992年3月発行のテルスターV6のカタログは使用されていない。
  • プロモーション活動にセイントフォーが起用された。
    • 映画『ザ・オーディション』に協賛して実際の店舗がロケに使われた。
    • セイントフォー1stビデオのワンシーンも実店舗で撮影が行われ収録されている。
    • 開業2周年記念特別仕様車「レーザー1500スーパースポーツ"セイントフォー"スペシャル」と「テルスター"ザ・オーディション"スペシャル」を発売
    • CMソング:セイントフォー「夢に愛に恋」
    • セイントフォー移動車名:愛に恋special号
  • CMソングその1:尾崎亜美「愛に恋 Love Is Gonna Get You」
  • CMソングその2:本田美奈子.7th Bird "愛に恋"」…開業7周年記念CMソング
  • 映画『プロ野球を10倍楽しく見る方法』に協賛し、アニメーション部分には「オートラマ球場」や「Autorama」の看板も登場した。
  • TVドラマ『超新星フラッシュマン』(フェスティバを劇用車提供)
  • TVドラマ『真夏の刑事』(テルスター・レーザーを劇用車提供)
  • 映画『悲しい色やねん』(テルスター・レーザー・トーラスを劇用車提供)
  • 映画『82分署』(マスタングコンバーチブル、エクスプローラー、フェスティバを劇用車提供)
  • 映画『ウホッホ探険隊』1986年(初代フェスティバ・キャンバストップを劇用車提供)
  • 楽曲:河上幸恵「DO-KI♡DO-KI」「ハートのねじ」(プロモーションスポンサーとして、J80バンを提供)

脚注