エーヌ県

フランスの県

エーヌ県(エーヌけん、le département de l'Aisne)は、フランスオー=ド=フランス地域圏の県である。名前は、県央を東西に貫流するエーヌ川la rivière de l'Aisne、古代ラテン語名アクソナ川 Axona flumen)に由来する。

エーヌ県
Aisne
Aisne旗 Aisne章
エーヌ県旗 エーヌ県章
位置
Aisneの位置
概要
県番号02
地域圏オー=ド=フランス
県庁所在地ラン
郡庁所在地シャトー=ティエリ
サン=カンタン
ソワソン
ヴェルヴァン
5
小郡42
コミューン816
県議会議長ニコラ・フリコトー
統計
人口
国内46位
  (2011年)
541,302人
人口密度73人/km2
面積¹7,369 km2
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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地理

県はノール県ソンム県オワーズ県セーヌ=エ=マルヌ県アルデンヌ県、そしてベルギーと接している。

2003年の国勢調査によると、県の森林面積は123,392ヘクタールで、県面積の16.6%である(フランス・メトロポリテーヌの平均は27.4%)[1]

主要河川はエーヌ川のほか、スヘルデ川マルヌ川、ウルク川、ヴェール川、ソンム川オワーズ川、セール川がある。県には多くの運河が交差している。

歴史

1790年以前の旧州で色分けされたエーヌ県。シャンパーニュ、イル=ド=フランス、ピカルディー

1790年、新設された83県とともに誕生した。州の分割と編成を、ルイ16世はジャン・シャルル・ド・サールに委託した(彼は1800年にラン市長となる)。県は地理的、歴史的、政策的にも異質である。地図を参照すると明らかなように、旧ピカルディー州、旧イル=ド=フランス、旧シャンパーニュからなる。

人口統計

エーヌ県は中規模都市1つ(サン=カンタン)、3つの小規模都市(ソワソン、ラン、シャトー=ティエリ)に、ショーニーとテルニエが付け足される。

県は19世紀半ばに農村からの人口流出で県人口の一部を減少させた。しかし、北部の県で起きた産業の発展で減少が鈍化した。県は第一次世界大戦にひどく影響を受け、その後1900年当時の人口を回復させる程度の増加を見た。1960年代からの30年間、産業の衰退による人口の減少が起きた。県西部だけが、パリ都市圏に近いため、現在も人口増加を続けている。

人口の増減
1801年1831年1841年1851年1856年1861年1866年
425.981513.000542.213558.989555.539564.597565.025
1872年1876年1881年1886年1891年1896年1901年
552.439560.427556.891555.925545.493541.513535.583
1906年1911年1921年1926年1931年1936年1946年
534.495530.226421.515489.022489.368484.647453.411
1954年1962年1968年1975年1982年1990年1999年
487.068512.920526.346533.862533.970537.259535.489
2010年
540.508

参照:SPLAF[2] et INSEE pour les années 2006[3] et 2007[4]

主なコミューン

コミューン人口
2007
変遷
2007/1999
コミューン人口
2007
変遷
2007/1999
サン=カンタン56,471[B 1]   -4,4 %ヴィレール=コトレ10,090[B 2]   2,6 %
ソワソン28,471[B 3]   -3,3 %イルソン9,473[B 4]   -8,3 %
ラン (フランス)26,463[B 5]==  0,8 %ボアン・ヴェルマンドワ6,212[B 6]   -5,8 %
シャトー=ティエリ14,794[B 7]==  -1,1 %ゴーシー5,678[B 8]==  1,3 %
テルニエ14,722[B 9]   -2,5 %ギーズ5,489[B 10]   -6,9 %
ショーニー12,517[B 11]==  0 %
出典: Insee[5]

政治

パリやイル=ド=フランスで働く世帯が住居をかまえているため、農村と都市労働者が混ざり合い、エーヌは長い間左翼志向の県だった。県一般理事会は1998年から左翼が過半数をしめており、県選出の国会議員も同様である。

文化

北部ではピカルディ語、南部ではシャンパーニュ語、イル=ド=フランスおよび県中央部・南部ではフランス語が話される。この言語の失敗が困難を物語っている。エーヌ県南部の住民は自らがピカルディ地域圏に属しているのだと認識するからである。

関係者

出身者

居住その他ゆかりある人物

脚注

出典

  • 2007年1月1日にINSEEが公表したコミューン人口