エジプトイチジク

エジプトイチジク(学名:Ficus sycomorussycamore figfig-mulberry[注 1]、sycamore、sycomore)、シカモアシカモアイチジクとも呼ばれる。古代から栽培されているイチジク属の種である。古代エジプトでは、生命の木として扱われた。

エジプトイチジク
分類APG III
:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 angiosperms
階級なし:真正双子葉類 eudicots
階級なし:コア真正双子葉類 core eudicots
階級なし:バラ類 rosids
階級なし:真正バラ類I eurosids I
:バラ目 Rosales
:クワ科 Moraceae
:イチジク連 Ficeae
:イチジク属 Ficus
:F. sycomorus
学名
Ficus sycomorus L.
分布
5ナクファ紙幣とモデルとなったFicus sycomorus
シカモアイチジクの実(en:Syconium

リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである[1]

sycamore(syc「a」more)という綴りでは、セイヨウカジカエデプラタナスの別名でも使われる。sycomore(syc「o」more)と綴られた場合は、本種のみを示す[2][3]

分布

アフリカ南西の多雨林エリアを除く、サヘルの南と南回帰線の北部。それからアラビア半島南部、キプロスマダガスカルのごく一部で自生、そしてイスラエルエジプトでは帰化種として自生する。レバノンの有名なGemmayzeh Streetは、アラビア語の本種の名前 Gemmayz に由来する。

本来、自生していた環境は、川沿いの土壌が肥えた雑木林である。

文化

植物学者のダニエル・ゾーハリー(1926-2016)とマリア・ホップ(1914-2008)によれば、古代エジプト人はこの種を「ほとんど独占的に」栽培している。この種の痕跡は、紀元前3000年代の初めから大量に出現し始める。古代エジプトでは、生命の木として扱われている[4]。古代エジプト王朝の初期から後期までの墓にも描かれている[5]

エジプトのミイラの棺はこの木からできている。

2015年の研究によれば、シカモアの木は、ケシクミンとともに、鉄器時代にペリシテ人によってイスラエルにもたらされている[6]

庭園

近東では、果樹園や鑑賞用の樹木として広く栽培されている。広く伸びる枝は木陰を作っている。

宗教

キリスト教とユダヤ教
この木は、旧約聖書で7回、新約聖書で1回登場する。パレスチナでは一般的では無かったが、カナンとエリコではポピュラーであった[7]。ほか、ヘブライ語聖書ルカによる福音書ミシュナータルムードの書にも登場する。
キクユ族
キクユ語: mũkũyũ モコヨケニア最大の部族キクユ族 (キクユ語: Agĩkũyũ) の神話で、神聖な木とされ、そもそもキクユの名もモコヨに由来するとされる。主神ンガイへの生贄は、この木の下に祀られた。この木の葉が落ちるのは凶兆とされ、族長会議が開かれ、儀式が行われた。これらの儀式の多くは、現在でも行われている[8][9]
エジプト神話
エジプトの神話で度々登場する。木の神性を持つハトホルは、エジプト古王国からはLady of the Sycamore と呼ばれた[10]

脚注

注釈

出典

外部リンク