ウィリアムズ・FW07

ウィリアムズ・FW07 (Williams FW07) は、ウィリアムズF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーパトリック・ヘッドが設計し、1979年から1982年にかけて使用された。

ウィリアムズ・FW07
ウィリアムズ・FW07B
ウィリアムズ・FW07C
ウィリアムズ・FW07D
FW07(2009年撮影)
FW07(2009年撮影)
カテゴリーF1
コンストラクターウィリアムズ
デザイナーパトリック・ヘッド
ニール・オートレイ
フランク・ダーニー
先代ウィリアムズ・FW06
後継ウィリアムズ・FW08
主要諸元
シャシーアルミニウム ハニカム モノコック
サスペンション(前)ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー, アンチロールバー
サスペンション(後)ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー, アンチロールバー
エンジンコスワース DFV, 2993cc, 90度 V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッションヒューランド 5速 MT
タイヤグッドイヤー / ミシュラン
主要成績
チームアルビラド-サウジア レーシングチーム (1979-80)
アルビラド-ウィリアムズ レーシングチーム (1981)
TAG ウィリアムズ レーシングチーム (1982)
RAMレーシング (1980)
ドライバーオーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン
フィンランドの旗 ケケ・ロズベルグ
アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ
コンストラクターズタイトル2(1980年,1981年
ドライバーズタイトル1(1980年 - アラン・ジョーンズ
初戦1979年スペイングランプリ
初勝利1979年イギリスグランプリ
最終戦1982年アメリカ西グランプリ
備考ドライバーはワークス(ウィリアムズ)のみ表記
出走優勝ポールFラップ
4315815
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FW07

FW07(2010年撮影)

FW07はウィリアムズとしては初めて製作するグラウンド・エフェクト・カー(ウィングカー)だった。パトリック・ヘッドは技術的な冒険をせず、ウィングカーの成功作であるロータス・79をつぶさに観察し、その設計を把握した上でデザインを行った。その作業をエンジニアのニール・オートレイフランク・ダーニーが手伝った[1]

FW07の外見はロータス・79に酷似していたが、コンセプトを進化させる細かな配慮がなされていた。ヘッドはウィングカーの成功の鍵として、強大なダウンフォースに耐えられる堅牢なシャーシが必要であることを理解し、アルミハニカムを素材とする剛性の高い細身のモノコックを設計した。サイドポンツーン下縁にはバネ式のスライディングスカートを吊るし、ベンチュリ構造の気密性を保った。車重590kgのFW07が時速180km前後で走行すると、床下では1800〜2250kgものダウンフォースが発生し[2]、車体は路面に吸い寄せられた。

ウィリアムズは中東のスポンサーを獲得して運営面も安定し、1979年から2カーエントリーで参戦。序盤戦はFW06を使用し、第5戦スペインGPから新車FW07を投入した。第9戦イギリスGPではアラン・ジョーンズがポールポジション (PP) を獲得。決勝でジョーンズはリタイアしたが、チームメイトのクレイ・レガツォーニが優勝し、ウィリアムズにとって念願のF1初優勝を達成した。

その後、ジョーンズの3連勝などシーズン後半戦は最速のマシンとなり、通算5勝・2PP・3ファステストラップ (FL) を記録した。コンストラクターズランキングはフェラーリに次ぐ2位に浮上し、ウィリアムズは弱小チームからトップコンテンダーに昇格した。

1980年にはプライベーターのRAMレーシングに売却された。4名のドライバーがエントリーしたが、予選通過を果たしたのはルパート・キーガン(4戦)のみだった。

FW07B

FW07B(1980年ベルギーGP

1980年シーズンにはモノコックを補強し、サイドウィングをリアサスペンション後方まで延長した改良型のFW07Bが登場した。初期には空力的な不安定さがみられ、第5戦ベルギーGPからアンダーサイドを短くした仕様が投入された[3]。レースによってはフロントウィングを外して出走した。

フォード・コスワース・DFVエンジンのプレートには通常ならば"FORD"と刻印されるが、ウィリアムズの場合は自動車メーカーのブリティッシュ・レイランドがスポンサーに付いたため"COSWORTH"と記されていた。

ジョーンズは5勝・3PP・5FLを獲得し、ブラバムネルソン・ピケをしのいで自身初のドライバーズチャンピオンに輝いた。新加入のカルロス・ロイテマンも1勝し、翌年にかけて15戦連続入賞という当時の新記録を作った。ウィリアムズはリジェに2倍近いポイント差をつけて、チーム創設以来初のコンストラクターズタイトルを獲得した。

FW07C

FW07C(2007年撮影)

FW07Cは1981年に導入された「スライディングスカート禁止、最低地上高60mm」という規定に適合するようモディファイされた。しかし、ブラバムが走行中にサスペンションを調節して車高を下げる裏技を用いたため、ウィリアムズもこれに追随した。強力なターボエンジンに対抗するため、DFVエンジンはエンジン・ディベロップメント(ジャッド)のチューニングを受けていた。

開幕前にグッドイヤータイヤが撤退したため、第7戦スペインGPまではミシュランタイヤを装着した。第8戦以降は復帰したグッドイヤータイヤを装着した。

開幕2戦連続ワンツーフィニッシュと好調なスタートを切ったが、第2戦ブラジルGPではロイテマンがチームオーダーに従わず優勝し、以後、ジョーンズとの関係は険悪になった。コンストラクターズタイトルは連覇したが、チームメイト同士の対立が災いし、ドライバーズタイトルはブラバムのピケのものになった。

FW07D

FW07Dは1981年シーズン後半戦、ジョーンズのマシンとして投入され、シーズン後にはフロント2輪・リア4輪のタイヤを付けた6輪車のテストベッドとされた。試験走行の結果を踏まえて、後継モデルのFW08は6輪車へのスイッチを前提に設計された。

1982年は開幕戦から2台のFW07Dが投入された。第2戦ブラジルGPでは新加入のケケ・ロズベルグが2位フィニッシュしたが、レース後ブレーキ冷却水を注ぎ足したことが車両重量規定違反とされ、失格処分となった。ロイテマンはこのレースを最後に引退。FW07シリーズのラストレースとなった第3戦アメリカ西GPマリオ・アンドレッティがスポット参戦した。

記録

ワークスチームのウィリアムズのみ結果を記す。

1979年

No.ドライバー123456789101112131415ポイントランキング
ARG
BRA
RSA
USW
ESP
BEL
MON
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
USE
CAN
197927 ジョーンズRetRetRet4Ret11191Ret75
(4)
2位
28 レガッツォーニRetRet26125Ret33Ret

1980年

No.ドライバー1234567891011121314ポイントランキング
ARG
BRA
RSA
USW
BEL
MON
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
USE
CAN
198027 ジョーンズ13RetRet2Ret1132112111201位
28 ロイテマンRetRet5Ret3163234322

1981年

No.ドライバー123456789101112131415ポイントランキング
USA
BRA
ARG
SMR
BEL
MON
ESP
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
CAN
CPL
19811 ジョーンズ12412Ret2717Ret11432Ret1951位
2 ロイテマン21231Ret4102Ret5Ret3108

1982年

No.ドライバー12345678910111213141516ポイントランキング
RSA
BRA
USW
SMR
BEL
MON
USA
CAN
NED
GBR
FRA
GER
AUT
SUI
ITA
CPL
19825 ロイテマン2Ret58
(44)
4位
6 ロズベルグ5DSQ2
5 アンドレッティRet

ノンタイトル戦

1980年から1982年にかけて、F1の運営を巡るFISAFOCAの政治的対立が過熱した。そのあおりで、FOCA系チームのみが参加した1980年第7戦スペインGPと1981年開幕戦南アフリカGPが選手権から除外された。この2レースはいずれもウィリアムズが優勝していた。

  • 1980年スペインGP(ハラマ) - 優勝:アラン・ジョーンズ(ウィリアムズ・フォード)
  • 1981年南アフリカGP(キャラミ) - 優勝:カルロス・ロイテマン(ウィリアムズ・フォード)

脚注