インガ・ババコワ

インガ・ババコワ(Inga Babakova、ウクライナ語: Інга Бабакова1967年6月26日 - )は、ウクライナの陸上競技選手。1996年アトランタオリンピックの銅メダリストである。

獲得メダル
陸上競技
オリンピック
 ウクライナ
1996 アトランタ走高跳
世界陸上競技選手権大会
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
1991 東京走高跳
 ウクライナ
1999 セビリア走高跳
1997 アテネ走高跳
2001 エドモントン走高跳
1995 イェーテボリ走高跳
インガ・ババコワ

経歴

ババコワは、リトアニア人の両親のもと、ソビエト連邦トルクメン共和国アシガバードにおいて誕生。旧姓はブトクス (Butkus) [注釈 1]走高跳の選手として活躍した。彼女の1988年当時のベスト記録は1m92であったが、結婚し最初の出産を終えた後、1991年には2m02まで記録は向上した。1991年の東京の世界選手権では、1m96でドイツハイケ・ヘンケル、同じソ連のエレーナ・エレシナに次いで3位となる。

ババコワは、ソ連解体後、ウクライナ代表として競技に参加。ウクライナ代表として最初のメダルは1993年の世界室内選手権の銅メダルであった。同年夏の世界選手権は欠場、翌1994年のヨーロッパ選手権では1m93で4位となったが、1995年は、イェーテボリの世界選手権では、1m99で、ブルガリアステフカ・コスタディノヴァ、ドイツのアリーナ・アスタフェイに次いで3位となる。この1週間後、ババコワは、生涯自己最高の2m05を記録している。

ババコワは、1996年アトランタオリンピックに出場。決勝では、コスタディノヴァとともに2m01の高さまですべて1回目に成功。続く2m03をコスタディノヴァは1回目に成功したが、ババコワは3回続けて失敗。この後、ギリシャニキ・バコイヤーニが2m03を成功させたことから、この大会の銅メダルが確定した。

ババコワは、1997年のアテネで開催された世界選手権では、1m96で、優勝したノルウェーのハンネ・ハウグランに次ぎ、ロシアのオルガ・カルトゥリナと並んで銀メダルを獲得。翌年は2人目の子を出産。出産後、1999年のセビリアの世界選手権では、1m99で、ロシアのエレシナとスヴェトラーナ・ラピナと同記録ながらも、ババコワが勝利。世界選手権で初めての優勝を果たした。

ババコワは、2000年シドニーオリンピックに出場するも、1m99の高さを3回失敗し、1m96で5位に終わってしまう。しかし、翌年のエドモントンの世界選手権では、2m00で、南アフリカヘストリー・クルーテと同記録であったが、2位となり銀メダルを獲得。世界選手権で5回目の表彰台となった。

その後も、ババコワは、大会に出場し続けるが、2003年のパリの世界選手権では8位。2004年アテネオリンピックでは9位に終わっている。

自己ベスト

  • 走高跳 - 2m05 (1995年9月15日、世界歴代9位)

主な実績

大会場所種目結果記録
1991世界陸上選手権東京(日本)走高跳3位1m96
1993世界室内陸上選手権トロント(カナダ)走高跳3位2m00
1994ヨーロッパ陸上選手権ヘルシンキ(フィンランド)走高跳4位1m93
1995世界陸上選手権イェーテボリ(スウェーデン)走高跳3位1m99
1995IAAFグランプリファイナルモンテカルロ(モナコ)走高跳1位2m03
1996オリンピックアトランタ(アメリカ合衆国)走高跳3位2m01
1997世界室内陸上選手権パリ(フランス)走高跳2位2m00
1997世界陸上選手権アテネ(ギリシャ)走高跳2位1m96
1997IAAFグランプリファイナル福岡(日本)走高跳1位2m02
1999世界陸上選手権セビリア(スペイン)走高跳1位1m99
1999IAAFグランプリファイナルミュンヘン(ドイツ)走高跳2位1m96
2000オリンピックシドニー(オーストラリア)走高跳5位1m96
2001世界室内陸上選手権リスボン(ポルトガル)走高跳2位2m00
2001世界陸上選手権エドモントン(カナダ)走高跳2位2m00
2001IAAFグランプリファイナルメルボルン(オーストラリア)走高跳2位1m96
2003世界室内陸上選手権バーミンガム(イギリス)走高跳8位1m92
2003世界陸上選手権パリ(フランス)走高跳7位(h)1m88
2003IAAFワールドアスレチックファイナルモンテカルロ(モナコ)走高跳5位1m96
2004オリンピックアテネ(ギリシャ)走高跳9位1m93
2004IAAFワールドアスレチックファイナルモンテカルロ(モナコ)走高跳4位1m95
  • hは予選

脚注

注釈

出典

外部リンク