イサシオ・カジェハ

スペインのサッカー選手 (1936 - 2019)

イサシオ・カジェハ・ガルシアIsacio Calleja García1936年12月6日 - 2019年2月4日)は、スペインカスティーリャ・イ・レオン州ビジャムリエル・デ・セラート出身の元サッカー選手。ポジションはDFだった。

イサシオ・カジャハ
アトレティコ・マドリードでのカジャハ (1971年)
名前
本名イサシオ・カジェハ・ガルシア
Isacio Calleja García
ラテン文字Isacio Calleja
基本情報
国籍スペインの旗 スペイン
生年月日 (1936-12-06) 1936年12月6日(87歳)
出身地ビジャムリエル・デ・セラート
没年月日 (2019-02-04) 2019年2月4日(82歳没)
身長172cm
体重71kg
選手情報
ポジションDF (LB)
利き足左足
ユース
スペインの旗 アルテス・グラフィカス
スペインの旗 フェムサ
クラブ1
クラブ出場(得点)
1958-1972スペインの旗 アトレティコ・マドリード 300 (6)
1958スペインの旗 グアダラハラ (loan)
代表歴
1961スペインの旗 スペインB1 (0)
1961-1972スペインの旗 スペイン13 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

1958年にアトレティコ・マドリードでプロデビューし、1972年に同クラブで現役を引退した。スペイン代表1964 欧州ネイションズカップを制した際のメンバーでもある。

クラブ経歴

パレンシア県のビジャムリエル・デ・セラートに生まれた。1958年にアトレティコ・マドリードのトップチーム選手に登録されたが、その1958年は経験を積むために当時3部に在籍していたCDグアダラハラへとレンタルされた。1959年1月にアトレティコ・マドリードへ復帰すると、直後のレアル・オビエド戦でラ・リーガデビューを果たした[1]

アトレティコ・マドリードにレンタルバックしてからはクラブの中心選手として活躍し、1960~70年代のクラブの黄金期をけん引した。また、1969-70シーズンには、リーグ優勝が掛かったCEサバデルとの一戦で決勝点を挙げ、自身2度目となるリーグ優勝に貢献した。1971-72シーズン、4回目のコパ・デル・レイ優勝を果たしてシーズン終了後に現役を引退[1]。14年にも及ぶアトレティコ・マドリードでの選手生活で公式戦425試合に出場した (UEFA主催大会には76試合出場)[2]

代表経歴

1961年4月19日、ウェールズ代表とのワールドカップ予選でスペインA代表デビューを飾った[3]

1964年に開催された欧州ネイションズカップでは決勝を除く4試合に先発フル出場。スペイン代表の大会制覇に一役買った[2]

引退後

現役を引退後は大学にて法学を学び、マドリードの裁判所で裁判官として働いた[2]。2019年2月4日、マドリードにて死去[4]

タイトル

クラブ

アトレティコ・マドリード

代表

脚注

外部リンク